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第四章[8] |
「ったく……ほんとに大丈夫かよ」 連れの青年に手を取られて闇へと消えて行く少女の後姿を見送りながら、ラウルは呟いていた。 (あの咳は、ただの風邪じゃない。肺がやられてるような感じだったな……) 「……あの……ラウルさんですか?」 唐突に横からかけられた声に驚く。見ると、そこにはトルテの姿があった。水色の衣装に身を包み、その頬は心なしか赤く染まっている。そしてその腕には、誰に贈られたのか素朴な木彫りの腕輪がはめられていた。 (なるほどなるほど……いいよなあ) エリナにマリオ、そしてトルテまで幸せ絶頂ときている。自分はこんなにも一人寂しく過ごしているというのに、なんとも切ない話だ。 (こんなに真面目に生きてんのに、どうして俺には浮いた話がないんだよ!) などと心の中で愚痴っているラウルに、トルテは首を傾げて問いかける。 「あの……こんなところでどうしたんですか?」 「いえ、ちょっと……」 まさか、マリオとエリナの告白場面を覗きに行った挙句に森の中で見知らぬ少女に出くわし、その少女を酔っ払いから助けてここまで送ってきた、などとは、口が裂けても言えない。 「ああ、そうだ。レオーナさんが探していましたよ?」 さりげなく話をすり替えると、トルテはいけない、と小さく呟いて走り出す。慌ててそれを追うラウル。 「一緒に行きましょう。私も卵をあのお店に待たせているのでね」 「あ、はいっ」 「トルテ! あんた、一体どこに行ってたの!」 娘の姿を見るなり怒鳴りつけるレオーナに、トルテはびくっと肩を振るわせる。しかし、トルテと共に天幕に入ってきたラウルが、 「怒らないであげて下さい。迷子を見つけて、一緒にお母さんを探してあげていたんですよ」 と言い出して、トルテを驚かせた。 「迷子?」 更に小言を言おうと構えていたレオーナが、目を丸くする。 「ええ、近くの村から遊びにきていた子供が、親とはぐれてしまったらしくて。ご心配なく、ちゃんと見つかりましたから」 すらすらと嘘を並べ立てるラウルを、トルテが心配そうに見上げてくる。そこでラウルはそっとトルテの耳元に口を寄せると、 「嘘も方便、ですよ」 と小声で囁いた。その言葉に、トルテは小さく微笑んで頷きを返す。 「おやおや、内緒話ですか?」 村長が茶化す。まだここにいるところを見ると、マリオ達は戻ってきていないようだ。 (あいつら、一体なにやってんだか……) 「それならいいけど、あんまり心配させるんじゃないよ。祭の時期は柄の悪いのもいるんだからね」 怒った口調で言うレオーナ。トルテはごめんなさい、と素直に謝る。その腕に見慣れない腕輪が揺れているのを、レオーナは見逃してはいなかった。それでも何も言わず、黙って我が子の頭を撫でる。それを横目に見ながら、ラウルは三人組が待つ席に戻った。 「おかえりなさい、ラウルさん。あれ、上着どうしたんです?」 少々言葉が揺れているエスタスは、あれから多少杯を重ねているようだった。 「ああ、迷子にやったんだ。っておい、アイシャ。それ何杯目だ?」 変わらない調子で杯を空にしているアイシャに、呆れ顔で尋ねてみる。 「さあ」 表情も変えず、声色もいつも通りのアイシャ。その隣では、何故かカイトが机に突っ伏していた。どういうことか尋ねようとエスタスを見ると、顔を赤らめている彼は苦笑しながら、 「アイシャが無理やり一口飲ませちまったんですよ」 と教えてくれた。なんだかんだで押しの強いアイシャに勝てなかったのだろう。 「なるほど……」 呆れ顔のラウルの前に、どん、と飲み物が運ばれてきた。なみなみと注がれた透明な液体は、噂の氷結酒だろう。 「さっき飲みそびれたでしょう? あたしからのおごりよ」 運んできたのはレオーナだった。そのほかにもつまみになる食事を二、三皿並べ、ついでに空になったアイシャの杯を回収していく。 「ありがとうございます」 考えてみれば、昼もろくに食事を取っていないのだ。そう気づいたら急に腹が減って仕方ない。 空きっ腹に酒はきついので、まずは目の前に並べられたご馳走を頬張る。さすがは村一番の――というより唯一の――酒場だ、食事も最高にうまい。 と、それまでラウルの隣で同じようにつまみに手を出していた村長が、思い出したように、 「それにしても、うちのマリオはどこに行ったんでしょうねえ」 と溜め息をついた。まさか森の中でエリナと仲良くやってました、などとは言えないので黙っていると、向かいにいたアイシャが、いつもながら唐突に、 「戻ってきた」 とだけ告げる。 え? と目を丸くする村長に、アイシャは静かに立ち上がると、何事か小さく呟いた。 「わっ」 どこからともなく風が吹いて、入り口の垂れ幕がまくれ上がる。そしてその向こうから、走ってくる二つの人影が見えた。 「ア、 アイシャ……んなことに精霊使うなよ」 エスタスが言うが、アイシャは何事もなかったかのようにすとんと座り、やってくる人影を見つめている。 「ああ、あれはマリオですねえ。一緒にいるのは……エリナかな?」 細い目を更に細めて見る村長。そんなことを言っているうちに、全速力で駆けて来たらしい二人は天幕の中に飛び込んできた。 「あれ、父さん?」 息を切らしながら、目の前に立つ村長に首を傾げるマリオ。 「もうそろそろ踊りが始まるよ? なんでここにいるの」 溜め息をついて、村長は手をマリオの前に突き出す。 「鍵はちゃんと持ってるね?」 「え? あ、ああ、うん」 慌てて服の隠しから鍵を引っ張り出すマリオ。それを受け取って村長は、 「それじゃ失礼します。家の椅子を借りたいと楽団の人に言われてましてね。マリオ、お前も手伝いなさい」 と言いながら、マリオの手を引っ張って天幕から出て行った。 「うわっ、あ、それじゃエリナ、また後でね!」 引っ張られていくマリオに、にこにこと手を振るエリナ。その胸には、マリオが贈った絵がしっかりと抱えられている。 「おやエリナ、何だいそれは?」 レオーナの言葉にエリナはにんまりと笑って、 「ひ、み、つ!」 と答えると、奥にいたトルテに駆け寄っていく。何事か話している二人は、どちらも普段より格段に輝いた笑顔をしていた。 (女の子が笑ってるのはいいことだ) ひとまずは一安心といったところで、ラウルはようやく手にした杯を傾けた。本物の葡萄に似た、爽やかな味と香りが口いっぱいに広がる。 「これは、いい酒だ……」 ラウルの言葉に、アイシャが頷いてみせる。 「酒は、いい」 ……何か間違っている気もするが、敢えて深く追求するのはやめておいた。 (こいつ、実はさり気なく酔ってるだろ……) 普段のアイシャなら、必要もなしに精霊を使ったりしないはずだ。それどころか、アイシャが術を使うところを見るのは、実はさっきが初めてだったりする。 しばらくの間、エスタス達と雑談に興じながらも、ゆっくりと酒や料理に舌鼓を打っていると、表から鐘の音が響いてきた。 宵の二の刻。いよいよ祭の醍醐味、大きな篝火を囲んでの踊りの始まりだ。 「さあさあ、こんなところで飲んだくれてないで、外へ行きなさい、外へ」 鐘の音を聞いたレオーナが、店に溜まっているお客達に発破をかけ始める。 「そりゃないよ、レオーナさん」 「俺達、踊る相手もいないんだぜ?」 「そーだそーだ」 ぐちぐち言っている若者達を、蹴り出さんばかりの勢いで追い出しにかかるレオーナ。 「何言ってるの、ほらとっとと出る! 踊る相手がいないんなら、男同士で手でも繋いでるんだね」 「そ、それは……ちょっと」 怯む若者達を椅子から追い立て、天幕の外へと送り出す。そしてお次は、とラウル達に向き直ると、 「ほらほら、ラウルさんも早く片付けて行ってきなさいよ。きっとひっぱりだこよ」 と言って来た。 「い、いえ、私は……」 慌てて手を振るラウルだが、レオーナは容赦しない。 「駄目駄目、あたしだって旦那と踊りに行くんだから、ここを閉めなきゃならないの」 (そっちか、本来の目的は……) と、天幕の奥から見慣れない男が入ってきた。随分と長身の、そしてがっしりとした体格の御仁である。顔は髭だらけで口がどこにあるのかわからないくらいだ。まるで熊のような男は事もあろうにレオーナに向かって、 「レオーナ。行くぞ」 などと言っている。 (おい、もしかして……) このむさ苦しいのが、レオーナの……? 「あらあなた、早かったわね」 (旦那か!? これが? んじゃこの料理もこの熊が……? うそだろぉ……) 思わずまじまじとその巨体を見上げるラウルに、レオーナがその腕を取ってラウルの前に引っ張り出した。 「あなた、こちらがラウルさん。ラウルさん、これがうちの亭主でエドガーよ。初めて見るでしょ? ほんと人嫌いで困っちゃうのよね」 ラウルとて背は高い方だが、このエドガーはそれを頭一つ分ほど越えている。横幅にいたっては二倍あるのではないか。まさに人並み外れた体格である。それだけではない、何か人を威圧するような雰囲気を全身から醸し出している。とてもではないが、こんな田舎で酒場の料理人をやっているようには見えない。 「はじめまして、ラウル=エバストと申します」 レオーナに紹介された手前、挨拶をしない訳にもいかない。エドガーの方も同じように、渋々といった具合で、 「エドガーだ」 と短く挨拶を返してきた。レオーナはもう、とエドガーの背中を引っぱたきながら、 「ごめんなさいね、もともとが剣一本で渡ってきた傭兵なもんだから、口下手で仕方なくって」 「はあ……」 なるほど、それなら料理人だと言われるよりよほど納得がいく。 「それとは関係ない」 むすっと呟くエドガー。そんな旦那にはいはい、と笑って、レオーナはなおも店に残る客を追い出しにかかった。 「ほらほら! とっとと行く!」 そんなレオーナを横目に見ながら、やれやれ、とエスタスがカイトを起こしにかかる。 「ほら、カイト。起きろよ。踊りが始まるぜ」 「……んー……なんですかぁ?」 「行こう」 アイシャはといえば、さっさと椅子を立って外へと歩き始めている。 (これは、行くしかないのか……) 粘っても叩き出されるのがオチだろうな、と渋々席を立つラウル。 (ま、見てるだけでもいいか……) 意外にも、ラウルは踊りがあまり好きではない。女性と急接近できるいい機会なのは分かっているが、どうにも下手くそなのだ。躍起になって練習したこともあったが、相手の足やら裾やらを散々踏んだ挙句、もう二度と踊りに誘わないでときっぱり言い渡され、それ以降練習する気も失せた。 (大体、あんな複雑な動きを覚えろってのが無理なんだ) 「ラウルさん」 おずおずと、ラウルに声を掛けてくるものがいた。見ると、トルテの下の妹で、十二歳になるアルナがラウルを見上げている。 「なんですか?」 その後ろにはエリナがいて、「ほら、頑張れ」だの「勇気を出して!」だの声援を送っている。何か嫌な予感がするラウルに、アルナはあどけない笑みを浮かべて言ってきた。 「あたしと踊って? ね、いいでしょお?」 目を丸くするラウル。まさか、このおちびさんからお誘いが来るとは思わなかった。 「いやー、モテモテですねえラウルさん」 いつの間に復活したのか、エスタスに肩を借りて立ち上がったカイトが囃し立ててくる。こいつめ、と心の中で舌打ちをしつつ、 「ええと、その……」 どう答えようか困っているラウルに、すでに天幕から出かかっていたアイシャがスタスタと戻ってきて、ぽんと肩に手を置いた。 「アイシャ?」 「踊れないのなら、無理することはない」 その言葉にアルナがいかにも意外そうな顔をした。 「えー!? 踊れないの、ラウルさん?」 「い、いえ。確かに踊りが得意なわけではありませんが……」 「それなら踊りましょうよ、ラウルさん。簡単だからすぐ覚えますって。折角の機会なんですから」 そう言ってくるのはエスタスだ。こう言われては、無下に断る訳にも行かない。ラウルは腹を括ると、小さなアルナに手を差し出した。 「足を踏んでも怒らないと約束してくださるなら、喜んでお相手しましょう」 「やったぁ!」 アルナは嬉しそうに笑って頷き、差し出された手をぎゅっと握り締めてきた。柔らかい子供の手の感触が、何かくすぐったい。 「それじゃあ、行きましょう!」 カイトをよいしょと支えて、エスタスが元気よく歩き出す。 「あたし達も後から行くからね」 レオーナの声に送られて、ラウル達は広場へと繰り出していった。 祭の最後を飾る踊りは例年にない盛況振りとなった。しかも、今年は美貌の神官さんが来たこともあって、女達の張り切りようは一味違う。 楽団の奏でる陽気な音楽にあわせ、篝火の周りを回って踊る単純な踊り。しかし、いつしか人々の熱気は広場を包み、篝火と共に夏の夜空を明るく彩る。 恋人も、長年連れ添った夫婦も。子供も、年寄りも。誰もが心躍らせる夏祭。 しかし、どんな楽しいことにも終わりはやってくる。 真夜中まで盛り上がった祭は、大盛況のうちにその幕を閉じた。 篝火が消され、音楽が止む。疲れ切った村人達は三々五々家路に着き、広場は普段通りの静寂に満たされる。 明日からは普段通りの一日が待っている。祭とは、一夜だけの夢。 それでも、心ゆくまで祭を楽しんだ人々は、それを糧に明日を生きていくのだ。 「ほんっとーに楽しかったですよねえ!」 熱気に酔ったか酒が抜けていないのか、やけに陽気なカイトの声が、夜の闇にこだましていた。 余談だが、アルナと踊っているところを見つけた村の人間達が次々にラウルに相手を申し込み、断り切れなかったラウルは村中の老若男女と踊る羽目になった。 ついでに、かなりの人間の足や服の裾を踏んづけて、笑いを誘っていたようである。 その後二、三日筋肉痛に苦しめられたラウルは、次の祭までにはなんとしても上手い断り方を見つけなければ、と真剣に悩む羽目になった。 |
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