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第六章[14]

 床に散らばった無数の欠片を前に、男達は驚愕と憤怒の表情で固まっていた。
「こ、このような……おのれ!」
 ようやく口を開いたのは、司祭にのみ許された緑色の肩飾りを下げた男。
 机に散らばった卵の欠片の上に、憤りをぶつけるように拳を振り下ろす。欠片は容易く粉々になったが、その破片が彼の拳を傷つけていた。
 血が滲む拳を握り締め、司祭は卵を運んできた男達をねめつける。その睨まれた男達もまた、憤りを隠しえない。
「あの神官、こんな……」
「まさか、贋物とは……」
 二段構えの作戦を敷き、万全の体制で臨んだはずなのに、このざまだ。わざわざ王立研究院や守備隊まで引っ張り出したというのに、贋物の卵を掴まされる結果になるとは。

 彼らは、卵奪還の機会をそれは慎重に待っていた。侮れない相手と巫女までもが認める男なのだ、簡単に事が運ぶとは勿論思ってなどいなかった。だからこそ入念に情報を集め、人員も選りすぐった。卵が孵化の準備に入ったという話を聞きつけ、そのために最近は小屋から出すことが少なくなくなったというのも、良い知らせだった。それなのに――。
「あの王立研究院の男は、いかが致します?」
「ふん、放っておけ。どうせどうやったところで、あやつに我らの正体も居場所もつかめるわけがない」
 そう、王立研究院の男は何も知らない。彼は本当に、卵が「邪悪な怪物の卵」と信じていた。そして、その世にも珍しい怪物の卵を王立研究院で詳しく調べるために、彼は嬉々としてやってきたのだ。まあ、多少の鼻薬を嗅がせたのは事実ではあるが、それもフォルカの宝石商の名を利用して行っていたもの。そしてフォルカの宝石商もまた、彼らの正体を知らない。全ては闇の中だ。
 彼らが村人の注意を引きつけている間に死人の群れを突入させ、混乱に陥れる。それに乗じて卵を奪取する手筈は、二重、三重に策を凝らした、まさに一分の隙もない作戦に思われた。
 卵は村外れの丘に立つ小屋にあるか、もしくはあの神官かその仲間が持ち歩いているはずである。どちらにしても、騒ぎに乗じて奪取するのは容易いことと思えた。
 そして、卵は小屋にあった。留守番もいたがさほどの障害にはならず、まんまと卵を奪取して逃げおおせた、はずだった。あとは目くらまし目的で襲撃させた死人達が村に少しでも損害を与えれば上出来というところだったが、さすがにそれはならず、村人や彼らはほとんど無傷だという。
 ともあれ、彼らは慎重にそれを彼らの拠点まで持ち帰った。そして本拠地への報告も飛ばし、これで一安心といった矢先に、その悲劇は起こった。
 本拠地から、巫女の腹心であり事実上彼らを纏め上げている『影の神殿』が高司祭サイハ自ら卵を引き取りに出向いてくると連絡が来たのは、卵を奪取してから十日ほどたった日のことだった。
 孵化が近いという話なので注意して観察しろという一文があったため、慌ててしまい込んでいた卵を引っ張り出してきた。そして検分しようとした司祭の目の前で、あろうことか卵を運んできた神官の手が滑ったのだ。
 卵は、彼らの目の前でゆっくりと床に落ちていき、そして。
 陶器の割れるような派手な音は部屋の外まで響き渡った。
「なっ――!」
 彼らの顔面が一気に青ざめ、取り落とした張本人である神官は、今にも泣き出しそうな情けない顔のまま固まった。しかし。
「これ、は……」
 最初に恐慌状態から抜け出したのは、司祭だった。信じられないものを見るように、目の前で砕けた卵の欠片を見る。
「これは、卵ではない! 贋物だ!」

 砕けた殻だけが床に広がっている。中身は、ない。いや、あることはあった。粉々に砕けた欠片の中に、白い紙が覗いている。そっと拾い上げ、広げてみると、ただ一言。
『馬鹿が見る』
 思わず紙を握り潰す司祭。
「あの……神官めが……なめた真似をしてくれる!」
 ただものではないと分かっていた。しかし、これほどとは。
「司祭様、どういたしましょう?」
 動揺を隠せない男達に、司祭は忌々しそうに頭を振る。
「サイハ様には私から報告する。お前達はすぐに次の手を打つのだ。なんとしても卵を手に入れろ!」
「し、しかし、あまり立て続けに動いては……あれだけのことの後です、あの神官も警戒していることでしょうし……」
 村を襲ってからすでに十日。今頃あの神官は、彼らのこの様子を想像して笑いが止まらないことだろう。そう思うと尚も腸が煮え繰り返る思いだった。
「なに、我らが表立って動く必要などない。あの男を使え。そろそろ邪魔になってきたことだしな」
「あの、男爵をですか」
「ああ。これまで散々機嫌をとってきたんだ、せいぜい利用させてもらおう。急ぎ連絡を取れ」
「はっ……して、この卵は」
「さっさと片付けろ!」
 苛立つ司祭の拳から流れる血が、黒い神官服の袖口を濡らす。それに構わず、彼は部屋を出て行った。
 礼拝が始まる。この苛立ちを鎮めるためにも、闇に祈りを捧げなければ。
「司祭様、そのお怪我は……?」
 廊下に出た途端、出くわした神官が彼の手を見て眉をひそめる。
「なに、大したことはない。礼拝の準備は?」
「はい、すでに整ってございます」
「よし……」
 廊下を進み、格調高い作りの礼拝堂に向かう。
 信者や神官が集う中を進み、奥に安置された少年神の像の前に頭を垂れて、男は聖句を唱え始めた。

第六章・終
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