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第八章[7] |
目が覚めた時、ラウルは不思議なほどの爽快感と、奇妙な夢の余韻に包まれていた。 上半身を起こし、辺りを見回す。閉ざされた窓の隙間からは朝日が差し込み、朝がやってきたことを告げている。 「夢、だよな……?」 懐かしい夢を見ていた気がする。十年以上前、生死の境を彷徨った時の夢。そして、夢の中でラウルは、現実には言えなかった言葉を、伝えられなかった思いを、必死に紡いでいた。 「夢……のはずだよな」 そう、そのはずだ。なのに、何故か心が軽い。 夕べまでひどく高かった熱もすっきりと下がり、気力も体力もすっかり充填された体で寝台を抜け出ると、ひとまず顔を洗おうと寝室の扉を開ける。 そして居間に一歩踏み入れたところで、ラウルは飛び上がらんばかりに驚いた。 「まったく、いつまで寝とる!?」 居間の椅子にふんぞり返った老人が、いかめしい顔でこちらを睨んでいる。 「ゲ、ゲルク様!? 一体……」 慌てふためくラウルをよそに、ゲルクはのんびりと茶などすすりながら、ラウルを上から下までじろじろと見回して、 「ふん、すっかり調子を戻したようじゃな。さあ、とっとと顔を洗ってこんか」 「は、はい」 ひとまずはゲルクの言葉に従い、台所に向かう。と、今度は、 「おや、おはようございます。今朝食の準備しますからね」 と満面の笑みを浮かべた村長の姿。 「な、なんで村長まで……」 「すっかり元気になったようで、何よりです。ほらほら、早く顔を洗ってきて下さい。すぐに朝食にしますから」 前掛けなどして食事の支度をしている村長。その手際は意外なほどに鮮やかだ。 「だ、だからなんで、あんたが……」 ゲルクには聞こえないように尋ねるラウルに、村長は鍋をかき回しながら、 「いやですねえ、昨日からずっと、私達あなたにつきっきりだったんですよ。あ、そうそう。ゲルク様にばれてますから、そんな声を潜めないで大丈夫ですよ」 「ばれてるって、何が!?」 「猫被ってたことがですよ」 (そ、それじゃもしかして、あの夢……!) さーっと血の気が引く音が聞こえた気がした。そんなラウルに村長は苦笑しながら付け足す。 「大丈夫ですよ。ゲルク様、怒ってませ――」 「いつまで顔を洗っとる! さっさと来んか!」 居間から怒声が飛んできた。首をすくめて、ラウルは村長を見やる。 「あれが怒ってないのか?」 「あのくらいはいつものことでしょう? ほら、早く顔を洗って、行った方がいいですよ」 「あ、ああ……」 ともあれ、勝手口から井戸に出て顔を洗い、居間へと引き返す。そこには、いかめしい顔をして椅子にふんぞり返るゲルクと、食卓に朝食をいそいそと並べている村長の姿があった。まるで悪夢のような朝の光景である。 「とっとと座らんか」 「は、はあ……」 何を言われるかとびくびくしながら、村長の勧めるままゲルクの向かいに腰掛ける。 「体の具合はどうじゃ」 「ええ、もうすっかり良くなりました。あの、ゲルク様が……ついていて下さったと、村長から聞いたのですが」 「そうじゃ。エリナが余りにも心配しとったからの。それにしても……」 (な、何言われるんだ……?) 顔を強張らせ構えるラウルに、ゲルクは意外なことを言ってきた。 「そういう喋り方はもうやめるんじゃな。今更猫を被ったところで無駄じゃ」 怒るわけでなく、ただ淡々と言ってくるゲルクに、目を丸くするラウル。 「人をくそじじぃ呼ばわりしてくれたんじゃ、ただで済むと思うでないぞ?」 意地の悪い笑みを浮かべるゲルクに、ラウルの顔が歪む。 (ひぇー! そこまで言っちまったか……) ただのじじぃ呼ばわりならまだしも、くそじじぃとまで言ってしまったとは。 恐らくは、彼の養い親である本神殿長と間違えてそう呼んでしまったのだろう。 ラウルはいつも彼をそう呼んでいた。そして養い親は常に「その言い方はやめんか、小僧」と返してくる。それが彼らの普段の挨拶だった。 本来なら養父養子の間柄だが、お互い一度も「父」「息子」と呼んだことはない。ラウルはくすぐったさと照れくささから、そして恐らくは養い親も同じ気持ちだったのだろう。 「そ、それは、その……」 冷や汗をかきつつ弁解を試みるラウルに、ゲルクは意外な言葉を返してきた。 「神殿の再建が終わるまで、きりきり働いてもらうからの。覚悟しておくんじゃな」 「え?」 てっきり、出て行けとか人を騙しおって許さんぞとか怒鳴られると思っていたところに、これである。目を丸くするラウルに、村長が笑いかけた。 「だから言ったでしょう? 大丈夫だって。ねえゲルク様」 「ふん」 「その……、いい、んですか」 「だからその喋り方をやめろというに……。いいも悪いもあるか。第一、あの神殿を壊したのはあの竜じゃろ? その保護者が責任を取るのは当然のことじゃ」 「じ、冗談だろぉ? なんで俺が卵のしでかしたことまで責任取らなきゃならないんだ!」 思わず抗議するラウルに、ゲルクはにやりと笑ってみせた。 「なるほど、確かにそのほうがお前らしいな」 「あ」 途端に勢いを失ってしゅんとなるラウルに、ゲルクはこほん、と咳払いをして続ける。 「まあそれは冗談としても、お前はワシの後継としてここに赴任してきたんじゃろう? ワシのように骨を埋めろとまでは言わんが、せめて神殿が直るまではいてもらわにゃ困る。第一、ワシが死んだ時に経を上げる人間がいないのでは困るからの」 「いやですね、縁起でもない。心配しなくてもゲルク様は、あと五十年はお元気ですよ」 「お前と一緒にするな、この若作りが」 妙に息の合った二人の掛け合いをよそに、がっくりとラウルは椅子の背にもたれかかる。 (これまでの苦労はなんだったんだ……) まあ、勝手にしてきた苦労なのだから、文句を言っても仕方のないことだ。 「さあ、朝食冷めちゃいますから、食べて下さい。昨日までちゃんとご飯食べてないんですから、栄養つけないと寝台に逆戻りですよ」 「あ、ああ……」 逆らう気力もなく、並べられた朝食に手を出す。簡素な食事だが、ラウル自身が作るより遥かに美味だった。こんな才能もあるとは、全く意外性に富んだ男である。 「治ってすぐで申し訳ありませんけど、食事が済んだら広場に出てもら えますかね? 村の人達にラウルさんが元気になったことを伝えたい ですし、それに……」 「ああ、分かってるさ」 もう、隠してはおけない。というより、ラウルが捕らわれた一件ですでに、『影の神殿』の企みは世の人々の知ることとなっている。質問攻めにあった村長が一通り説明はしてあるそうだが、ここはラウルの口からも、きちんとした説明をしなければならない。 一度は告げずにいただけに、今彼らに真実を語るのはラウルにとって非常に心苦しいものがあった。しかし今度ばかりは茶を濁すわけには行かない。 強張るラウルの顔を見て、村長がその肩をぽん、と叩いた。 「ラウルさん。そう怖い顔をしないで、楽に行きましょう」 |
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