<<  >>
第九章[6]

 月のない夜。
 雑木林の中に、影が躍る。
「神官はいまだ、村に留まっております。今はもう、小屋に……」
 配下の報告に、女は小さく頷く。
「よし。サイハ様より受けし使命、今こそ果たす時だ……!」
「はっ……」


 それは、闇を切り裂く白刃の煌きから始まった。
「お、おいっ?」
 どっと地面に倒れこむ相棒に慌てる青年は、次の瞬間自らに襲い掛かってきた黒衣の人間の刃を、辛うじて剣で受け止める。
「くっ……!」
 キンッ、と金属同士のすれ違う音が響き、次の瞬間青年はばっと後ろに飛びのくと、喉を振り絞って声を上げていた。
「敵襲だっ!」
 次の瞬間、青年目掛けて振り下ろされた刃が、その胴を薙ぐ。
 暗闇に血飛沫を散らして倒れこむ青年の目には、彼の声を聞きつけて駆けつけた村の仲間達の姿が映っていた。


 エストの村が、再び戦場と化す。
 それは収穫祭の、そして六十年前の悲劇の再来であるかのよう。
 しかし、あの時とは違う。村は、強い戦いの意志を秘めていた。


「ちっ……」
 鋭く舌打ちをしながら、巨体から繰り出される渾身の一撃をかわす。次の瞬間、彼女のいた場所に振り下ろされた巨大な剣は、空気を切り裂き地面を抉った。とてつもない威力である。受ければ剣はおろか、体ごと真っ二つにされそうな勢いだった。
「……」
 無言で剣を構え直す巨体。距離を置いてこちらも刃を構えながら、ライーザは己の考えの甘さを痛感した。

 闇夜に紛れて村を襲い、あのラウルという神官を連れて戻る。いかな警備体制を強化されていても、闇を使役する自分達にとってはさほどの障害にならないはずだった。ところが。
 入り口を突破した彼女達が見たものは、真夜中にもかかわらず、村のあちこちから飛び出してくる村人達の姿。彼らは手に武器を携え、または呪符を行使して、彼女らと互角以上の戦いを繰り広げている。
「入り口を守れ!」
「広場に入れるなっ!」
 口々に叫びながら戦う村人達。広場には、どうやら女子供、老人などが集められているようだった。悲鳴や子供の泣き声が彼女達の元にも届いてくるが、それでも村人達の闘志は揺らぐことがない。
「神官を出せ! お前達には用はない!」
 高らかに告げるのは、『影の神殿』にて司祭位を預かるライーザ。しかし村人達は応じることなく戦いを挑んでくる。
「そういうわけに行くかよっ!」
「そうだ! ラウルさんは連れて行かせない!」
「愚かな……」
 嘲りとともに白刃が踊る。血飛沫が闇夜に散り、悲鳴や呻き声が辺りに響く。果敢に立ち向かってくる村人達を、ライーザ率いる『影の神殿』の者達は容赦なく地面に沈めて行く。彼女らの放つ闇の術は村人達の心を闇へと引きずり込み、戦意を喪失させ、また敵味方の区別を失わせていく。そして、ただ命令のままに動く死人の群れが、村人達に襲いかかる。
 しかし、村人達は怯むことなく立ちはだかって来る。無謀としか思えないその行動に呆れる間もなく、ライーザの目の前に立ちふさがる巨体があった。
「……失せろ」
 低い声と共に構える大剣は、ぎらりと物騒な輝きをもってライーザを映し出している。それを握り締めるのは、雲をつくような大男。ただの村人とは思えない肉体とその腕に、さしものライーザも押されていた。

「このっ……」
 力では到底叶わない。そう判断してその場を飛び退き、辺りの死者に命じて巨体の動きを封じる。その間に呪文を紡ごうと、印を組んだその時。
『破邪の力よ!』
 声と共に舞う紙吹雪。一瞬視界を奪われたライーザが目を開けた時、そこには呪符に力を奪われ倒れ伏す死者の群れと、息を切らして佇む老人の姿があった。
「ゲルク様!」
 村人達の声に、老人は手を挙げて応えてみせる。
「すまん、遅れた」
 小屋からここまで、よく利かぬ足で走ってきたのだろう。その息は乱れていたが、とても八十過ぎとは思えない鋭い眼光で居並ぶ敵を見据えている。
 そして、その隣に佇む人影。
「目的は私ですか」
 静かな声が響き渡ったかと思うと、不可思議な力が彼らを襲った。
 それは、質量のある風のように彼らを襲い、地面に叩きつける。
「なにっ!?」
 今、自分に襲い掛かった奇妙な力に首を傾げつつ、ライーザは即座に起き上がって声の方を見やる。
 そこには、黒髪の青年が佇んでいた。村人達が彼を守るように取り囲むが、彼はすっと手で彼らを退かせ、そして一歩、また一歩とライーザの前にやってくる。
「退きなさい、影の使徒よ」
 穏やかな声。黒い神官服に身を包んだその男は、まさに彼女が迎えに来た、若きユークの使徒。その表情には哀切の色が溢れていた。
「誰が退くものか! お前に宿りし竜の力、我らが悲願のためにっ……」
 言葉が途切れる。次の瞬間、ライーザとその部下達は、まるで不可視の腕に押さえつけられたかのように、再び地面へと叩きつけられていた。
「お前、は……」
 地面に倒れ伏し、ライーザは信じられないものを見るような顔で、近づいてくる黒髪の青年を睨みつけた。これは、ユークに仕える神官が行使出来る術とは違う。何かがおかしい。
 すると、青年は肩をすくめ、すい、と手を振った。
 まるで夢でも見ているかのように、青年の姿が色をなくし、そして消える。次の瞬間そこに佇んでいたのは、金の髪を風になびかせた魔術士だった。穏やかな笑みを浮かべる、まるでこの場には似つかわしくない人間の登場に、誰もが目を剥く。
 にっこりと笑って、魔術士はライーザに話しかけてきた。
「残念でした。ラウルさんならもうここにはいませんよ」
「な、に……」
 目を見開くライーザには構わず、その魔術士は集ってきた村人達に向けて問いかける。
「とりあえずラウルさんとのお約束通り捕まえましたけど、どうします? 村長代理さん」
 その言葉に、村人の中から進み出てきたのは、一人の少年だった。その傍らには、彼にそっくりな目をした女性の姿もある。
「ありがとうございます、リファさん。僕達だけじゃ村を守りきれなかった」
「そんなことはありませんよ。私は少々手を貸しただけです。さあ、どうしますか? このままとどめを刺すことも出来ますし、もしくはどこか、誰も知らない場所へ飛ばしてしまうことも出来ます。あなたの望むままに」
 にこやかにとんでもないことを言ってのけるリファに、村長代理を任されたマリオは、逡巡することなく告げた。
「王都の守備隊に引き渡して、そこでちゃんとした裁きを受けてもらいます」
 戸惑いの声があちこちから上がる。中には、あからさまに不満の声を上げている村人もあった。
「マリオ、それでいいのかよ?」
「こいつら、悪い奴なんでしょ? 生かしておくことなんてないじゃん」
 子供達の、そんな残酷なまでに無邪気な言葉も聞こえた。しかしマリオは、首を横に振る。
「生きて、自分達のやったことを考えて、そして償う。それがこの人達がやるべきことだと思うから」
 その言葉に、母親であるカリーナはそっと息子の肩を抱く。そしてリファも、慈愛に満ちた瞳でマリオの決断を褒め称えた。
「そうですね。憎しみをただぶつけることだけが裁きではありません。罪を償わせるために、あえて彼らを救うこともまた裁き……。あなたは、とても優しくて、強い子ですね」
「そんな……僕はただ、父さんならなんて言うかなって考えただけで」
 いつも笑顔を絶やさない父。飄々と世の中を渡る彼の後姿を、マリオはずっと追っていた。そして、彼のようになりたいと思っていた。
 そんな彼を村に残して、父は行ってしまった。ラウル達と共に、遥か遠い儀式の地へと。
 旅立ちの前、彼はマリオにこう言ってきた。
「いいかいマリオ。私はラウルさんと一緒に行く。戻るまで、お前に村長代理をお願いするよ」
「ええ!? なんだよそれ、父さん、行っちゃうの? それに代理って」
 思いがけないことを二つも同時に告げられて慌てるマリオに、父はにっこりと、いつもの笑顔を向ける。
「私もかつては冒険者だったからね。少しでもラウルさんの役に立ちたいんだ。この村はみんなが守ってくれる。そしてお前も、この村を守ってくれ」
「で、でも僕に、何が出来るの?」
「それはお前にしか分からないことだ。でも、お前はこの前ラウルさんに言っただろう? 何も出来ないから戦えないんじゃない。何もしないから戦えないんだってね」
 言葉に詰まる息子を、村長はそっと抱き寄せる。そして、その柔らかい髪を撫でながら、そっと告げた。
「マリオ。母さんと村を……よろしく頼むよ」
 その言葉に何かを感じ取って、マリオは身じろぎをする。
「父さん?」
 すい、と身を離し、そして彼はラウル達と共に行ってしまった。それが、つい昨日のことだ。
 彼らが出発したことは今日になって、一部の村人達にだけこっそりと知らされた。それはラウルが、業を煮やした『影の神殿』が村を襲うことを警戒して言い含めていったことだ。そして更に、彼は魔術士リファに身代わりを頼んでいった。
 やってきたリファはその魔術でラウルに姿を変え、何食わぬ顔で過ごしてくれた。その見事なまでの姿変えに人々は驚いたものだが、それよりも、あの三賢人の知り合いで、彼女らに劣らぬ力を持っているというリファが村の防衛に手を貸してくれることに安堵の息を漏らしたのだった。
「それでは、この方々はそれでいいとして……」
 今も尚魔術によって大地に縛られている彼らには目もくれず、リファは辺りを見回す。戦いの終わったそこでは、怪我人の手当てや搬送に奔走する村人達の姿があった。
 幾多の傷を負い、返り血に全身を染めながら、それでも彼らは「影」の襲撃から村を、そして仲間を守り通した。
「傷の深い方は、私が診ます。魔術では一時的な癒ししか出来ませんが……」
 その言葉に、マリオは深く頭を下げる。
「お願いします!」
「はい、お願いされました」
 柔らかな笑みを浮かべながら、リファは長衣の裾をはためかせて怪我人の元へと走っていく。その後を追いかけようとして、ふと、マリオは空を見上げた。
 月のない夜。分厚い雲に覆われ、星さえも輝きを失って、空は漆黒に塗り潰されたかのよう。
 この空の下、ラウル達は今、荒野を駆け抜けている。
 雪深い荒野。そこを踏破することがどんなに困難か、この大陸で生まれたマリオにすら想像つかないほど。
 それでも彼らは迷うことなく荒野へと足を踏み入れ、その先に待つ影と戦うことを選んだ。
「ラウルさん、父さん……どうか……」
 死なないで。無事に帰ってきて。そんな言葉を口にしたら、それが叶わない気がして。
 マリオはただ、闇夜を仰いだ。その先におわすという神々に、この思いを伝えたくて。
(お願いです、お願いです……!)
 いつもの生活が、戻ってきますように。僕と、みんなと、ラウルさん達と、そして卵から孵った竜が、笑って過ごせる日が来ますように。
 切ない瞳で空を見上げるマリオの肩を、そっと叩くものがあった。
 はっと振り返ると、そこにはゲルクの顔がある。いつも見慣れた厳しい顔ではなく、穏やかな瞳で彼は、そっと空を仰ぐ。
「小倅や。祈りとは世界を動かす力じゃ。神々は人々の祈りを糧にその力を揮われる。人々の願いなくしては、どんな奇跡も起こることはない」
「ゲルク様……」
 十五年生きてきて、ゲルクのこんな司祭然とした言葉を聞いたのは初めてだった。
「祈り。願い。思い。それこそが世界を動かす。例え小さな祈りでも、束ねれば大きな力となる。それは人々を支え、未来を築き、大いなる希望をもたらす」
 朗々と響き渡るゲルクの声。その言葉に、人々は静かに耳を傾け、そして誰からともなく祈り始めた。
 それは、ただ神に縋るのではなくて。
 ただまっすぐに、ひたすらに、自分の思いを神へと投げかける、それは祈り。
 遥か天上におわす神々。その御許まで、どうか思いよ届けと。
 人々は長い間、漆黒の空を仰ぎ続けていた。

第九章・終
<<  >>