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第十章[1] |
一面に広がる銀世界。 吐く息は白く、武器を持つ手は悴んで、かすかに震える。 頭上を覆うは漆黒の空。冬の夜空は高く澄み渡り、数多の星が静かに瞬いている。 「……あれが、グレメドの遺跡か」 呟くラウルの目の前には、銀世界の中、そこだけがぽっかりと空いた穴のように暗い、崩れた遺跡。 遠目にもそこは、異質な空気をかもし出していた。 ここまで来るのに、ラウル達の足では十日もかかった。ほとんどが旅慣れた者で構成された仲間達だが、道なき道を積雪や吹雪に苦しめられながら進むことは、思いのほか困難を極めた。 それをなんとか可能にしたのは、カイトによる的確な場所の把握と、アイシャの呼び出した精霊による援護。迫り来る吹雪を軽減させ、先導を頼み、時には彼らを暖める焚き火となって、精霊達は彼らの旅路を支えてくれた。 そして、今。 やっとのことで辿りついたこの地で、ラウルは共に戦う仲間を改めて振り返る。 「……もう、後戻り出来ないぜ」 そんなラウルの言葉に、苦笑する彼ら。 「ここまできて、そんなことしませんよ」 そう言って笑うエスタスの手には、愛用の長剣。鎧に身を包み盾を背負ったその姿は、まさに剣士そのもの。 「頑張りましょう!」 拳を握り締めて力強く言うカイトは、いつもの神官服ではなく動きやすい衣装に着替えている。武器はない。いや、彼の武器はその頭脳と、神のもたらす奇跡。 「行こう」 相変わらずのアイシャは、一本の長槍を手にしている。これも竜笛と同じく父から譲り受けたものだというが、遺跡探索には不便と、ずっと宿に置かれたままになっていた。しかしその腕前はエスタス達の保証つきだ。 「あまり気を張らずに行きましょうね」 にこにこと、まるで緊張感のない顔をしている村長。彼が決戦に出向くと聞いた時には、周囲はそれはもう猛反対をしたが、彼はやんわりとそれを押し切って同行した。元冒険者という触れ込みの通り、彼は使い込まれた革鎧に身を包み、腰には数本の短剣を携えている。普段からは想像も出来ないほどぴしっとした彼の戦装束に、ラウルはともかくカイト達は息を飲んだくらいだ。 と。 「よぉ、皆さんお揃いで」 唐突に背後から降ってきた声に、全員が身構える。 振り返ったそこにいたのは、片手を挙げてこちらを見ているシリンの姿。そしてその後ろには、二十人ほどの人間達が気配もなく佇んでいる。 一人、彼らの接近に気づいていたラウルは、にやりと笑ってシリンを見た。 「遅かったじゃないか。怖気づいて逃げ出したかと思ったぜ?」 「ふざけんなよ。ギルドは口約束でも守るって、あんたが一番知ってるだろ」 そう言いながら、シリンの目は村長を見ている。村長は柔らかに笑みを浮かべて、シリンだけに分かるようにそっと頷いた。 「二手に分かれるんだろ? 俺はあんた達と一緒に行く。こいつらの指揮は誰かに任せるぜ」 シリンの言葉に、ラウルは少し考える振りをして、そして村長を見た。 「村長。頼めるか?」 「ええ、いいですよ。それじゃ皆さん、よろしくお願いしますね」 黙して頷く二十人の盗賊達。これ以上ない助っ人達である。役目は終わったとばかりにさっさとラウルの元へと歩いてきたシリンは、ラウルの格好をまじまじと見て、笑いを堪えるように言ってくる。 「あんた、それじゃまるで同業者だぜ?」 「なんだと!?」 怒ってみせるラウルだが、シリンの言い分にも一理ある。普段、神官服に身を包んでいる彼も、さすがにこの戦いの場ではそれを脱いでいた。といっても彼は戦士ではないから、重い鎧を着けて立ち回るようなことは到底出来ない。その代わりに黒い細身の服の上から革の部分鎧を着込み、髪はしっかりと一本に編んで、愛用の小刀とゲルクから渡された銀の短剣とを腰に差していた。 そうしていると、それこそ盗賊のようにしか見えない。これで黒い外套を羽織って建物から建物へと飛び回っていたら完璧である。 そんな勇ましい装いのラウルに、心配げに話しかけるものがいた。 「しかしラウルさん、本当にあんた達だけで大丈夫なのか?」 「そうだ、俺達も一緒に……」 彼らはこの決戦の場への同行を申し出た村人達。皆、かつては冒険者や傭兵といった、戦いに身をおいていた者達だ。 村にいた元冒険者のうち、ラウル自身が腕を見定め、特にと選び出した八人である。 彼らにラウルが言い渡した役割は、あくまでも一般信者の注意を惹き、ラウル達が遺跡の奥まで突入する隙を作り出すことだった。 「いや、あんた達はせいぜい派手に暴れて、注意を引きつけてくれ。あとは俺達がやる」 この高台から見下ろす限り、遺跡には小さな灯り一つ灯っていない。何も知らぬものが見れば、ただ荒野の中に佇む朽ちた遺跡にしか見えないだろう。しかしそこには、深く暗い影が潜んでいる。 かつて都市国家を形成していたという廃墟の都市。入り口となるのは正門一つ。城壁部を抜ければ広場に出る。その周囲の民家跡には、一般信者が寝泊りしているという。そして巫女は都市の最深部、かつては王城だった建物の中にいる。 それは、盗賊ギルドの潜入員がまさに命を懸けて調べ出した情報。それを無駄にしないためにも、そして最大限に利用するためにも、ラウルは手勢を二つに分けた。 「でもよぉ……」 心配げな男達に、ラウルは大丈夫だ、と嘯いてみせる。 「あんまり大勢で押しかけたって仕方ないだろ。それに、こっちの連中も内部撹乱を引き受けてくれる。かき回すだけかき回してくれ。その間に、俺達は巫女を討つ」 揺るぎない決意。それを宿したラウルの黒い双眸に、男達もようやく心から頷いた。 「ああ、分かった」 「ラウルさんを信じよう」 彼らが納得したのを見て、ラウルは改めてそこに集う全員の姿を見回した。 「それじゃ、手筈通りに行くぞ。あと……これだけは言っておく。死ぬな。生きて、村に戻るんだ。いいな!」 それは祈りにも似た言葉。それに応えるように、彼らは武器を取り、重い外套を脱ぎ捨てる。 「行くぞ!」 高台から眼下の遺跡へと、彼らは一気に駆け抜けていった。 立ち止まることはしない。 ただひたすらに、彼らは疾駆する。 |
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