<<  >>
第一章【6】

「やっぱり、夢じゃないんだよなあ……」
 寝ぼけ眼で居間にやってきたラウルは、食卓から暖炉の前に移され、籠に入れられて毛布や柔らかい布で包まれた卵を見てため息をついた。
(夢だったらよかったのに……)
 残念ながら、これは現実である。受け入れるしかない。
 結局昨日はマリオが持ってきてくれた布団やら食糧やらを運び込み、軽く掃除をして荷物を解いただけで終わってしまった。
 くたくたになって寝台に潜り込み、瞬き一つしない間に眠りに落ちた。そして、なにやらおかしな夢を見ていた気がする。
(なんか、卵が頭上に落ちてきて、いろいろ喋ってたよな……)
 だから目覚めた時、すべてが夢かと淡い期待をしてみたのだが。
「駄目だったか……。ま、そりゃそうか」
 呟きながら、台所に向かう。 長く伸ばした黒髪を鬱陶しそうに払いのけながら朝食の支度をしようとするラウルの耳に、玄関の扉を叩く音が聞こえた。
「おはようございまーす!」
 まだ朝も早い時間だが元気いっぱいのマリオの声が外から響いてくる。
「朝っぱらから、何だってんだ……」
 ラウルは面倒臭そうに玄関に向かい、これまた投げやりに鍵を開ける。そして
「ラウルさーん、起きてま」
 バンッ、と前置きなしに玄関を開けたラウルに、どうやら扉のすぐ前に立っていたらしいマリオは、咄嗟に飛びのいた格好で固まった。
「なにしてんだ、お前」
「いや、ちょっといきなりだったんで」
 それでも手にしていた籠を取り落とさなかったのは見事だったというべきだろう。
「マリオったらうっかりしてるんだから。外開きの扉だって事は分かってたでしょう?」
 マリオの後ろから呆れた調子の声が響く。
「おや、おはようございます」
 途端に笑顔を取り繕って挨拶するラウル。しかも、ほんの一瞬の間にぼさぼさの髪をさっと後ろに払い落として体裁を整えている。 マリオがおや?という顔でラウルを見ていたが、とりあえずそっちは無視をした。
「おはようございます。よくお休みになれました?」
「ええ、とても。ところで、おじい様はあれからいかがです?」
 ラウルの言葉にエリナはにっこり笑って
「ええ、とても元気です。しっかりと休養を取って、万全の体調で復帰するんだって意気込んでますけど、今日は釣りに行くんだってほくほく顏でした」
 と答える。その調子で余生を楽しんで、神殿復帰をあきらめてくれれば、ラウルにとっても村人にとってもまたゲルクの家族にとってもありがたい事である。
「今日から、神殿の復旧作業を村の人達がお手伝いしますって。朝から来てくれるそうですよ」
 だから、早く食べちゃってくださいね、とマリオは持っていた籠を差し出した。
 掛けられていた布巾を取ると、焼きたてのパンやチーズ、ゆでた卵などが詰め込まれている。なるほど、これを届けにわざわざ来てくれたという訳か。
「それじゃ、私は先に神殿に行ってるわね」
「うん、すぐに行くから待ってて!」
 マリオに手を振って、エリナは軽やかな足取りで丘を下っていく。 その後ろ姿が小さくなったところで、ラウルはすっぱりと笑顔を引っ込めると、のそのそと小屋の中に戻っていった。慌ててマリオが続く。
「ラウルさん、なんでエリナには丁寧なんですか?」
 居間の食卓についてもそもそと朝食をとるラウルに、マリオが尋ねる。ラウルは面倒そうに顔を上げると、
「俺は、ここじゃ真面目で礼儀正しい人間でいたいんだ」
 と答えた。妙にもごもごした声だと思ったら、ゆで卵にかぶり付いた直後だったらしい。真面目で礼儀正しいが聞いて呆れる。
「それじゃ、なんで僕にはこうなんですか?」
「一旦これで喋っちまったら、仕方ないだろうが。外ではちゃんとした話し方してやるから心配するな」
 だから、お前も言いふらすなよ、と釘を刺して、ラウルはゆで卵の残りを口の中に押し込んだ。
「言いませんけどぉ……。なんか僕だけ損した感じ」
「気のせいだ、気のせい。さ、早いとこ食っちまわないとな」
 そう言って、ラウルは残りの朝食を片付けていった。

<<  >>