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第三章【6】

 夜。
 丘の上に立つ小屋は、ひっそりと静まり返っていた。
 夜風が村を渡り、小屋の隣に立つ木の梢を揺らして通り過ぎていく。 雲に覆われた空。月も星も雲に隠され、地上は闇に覆われている。
(よし……!)
 先程までついていた書斎の明かりも既に消え、寝室からは静かな寝息が聞こえてくる。
 今が絶好の機会だ。
(こんな簡単な仕事で金貨百枚なんて、ついてるな、オレ)
 百枚もあれば、けちなこそ泥稼業など足を洗って、大手を振って故郷の村に戻れる。最近ギルドからも目をつけられ始めているし、今が潮時なのかもしれない。
(いい時に声かけてくれたよなあ、あの親父。ったく、どこで知ったか知らねえが、オレに声を掛けるなんて、いい目してるぜ)
 ギルドに頼めない仕事となれば、もぐりの盗賊の出番である。
(しっかし、分かっちゃいたが、静かな村だよな。やりにくくって仕方ないぜ)
 都会ならば足音も喧騒に紛れるし、夜に出歩いていたって不信がられる事もない。しかしここは辺境の村。村人全員顔見知り、些細な事でも瞬く間に村中に知れ渡るような場所である。下手に人前に姿を晒す事も、探りを入れる事すら危険だ。 故に昼前に到着してからずっと、この村外れの丘に潜伏して様子を伺っていたが、持ち主の神官というのはなかなか用心深く、卵をずっと妙な紐で背中にくくりつけて移動しており、盗む隙を見出せずにいた。そこで盗みの常套手段、夜陰に紛れて忍び込むという手を使わざるを得なかった。
(ホントはこういうの、好きじゃないんだけどなあ)
 もともと掏りや置き引きで日銭を稼いできた身だ。空き巣狙いもやらないわけではないが、得意な方ではない。しかし、これから手に入れられる金額を考えればこんな苦労、大した事ではない。
(前金ももらっちまったことだしな。なんとか、やってやるさ!)
 『彼』は音を立てずに木の枝から地面に降り立った。一見どこにでもいそうな青年の姿をしているが、その鋭く隙のない目つきや身のこなしは、『彼』がただの青年ではないことを如実に語っている。
 辺りを見渡し、素早く居間の窓に近づく。内側から簡単な鍵がかかってはいたが、窓の隙間から板を差し込んで跳ね上げると、すぐに鍵は開いた。
 窓を開けて中へと滑り込む『彼』。その目的は、ただ一つ。 暖炉の真ん前に置かれた、大きな卵。


―――ビィィィィィィィィィィィッ!!―――
「うわぁぁぁぁっぁぁぁ……っ!!」
「ななな、なんだぁっ?」
 突然聞こえてきた声に、ラウルは寝台から飛び上がりそうになった。 ちょうど寝付いたばかりだったから、一瞬夢か現実か分からなくなる。しかし、すぐに
―――ビィィィッ!!―――
 と現実から聞こえてくる鳴き声に、何が起きたかを悟ったラウルは、寝巻きのまま寝台から飛び降りると、居間に通じる扉に走る。
(なんだなんだ?!)
 息せき切って居間に飛び込んだラウルの目に入ったものは、暖炉の前でピカピカと明滅し大きく揺れる卵と、それを見て腰を抜かしている一人の青年の姿だった。
「……誰だ、お前」
 その間抜けな姿に呆れながらラウルが尋ねる。しかし青年は腰が抜けた状態のままでずるずるとラウルに近寄ると、すがりつかんばかりに
「お、おいっ!あれ、あれ何だよ?光ってるぜ?しかもぐらぐら揺れるしよぉ……。オレ、何にもしてないのに」
 と泣きついてくる。
「何もしてなくて良かったな。ちょっとでも変な事したら、呪われたかもしれないぜ?」
 冗談半分に、にやぁと笑って言ってやると、青年は見るからに青ざめてブルブルと震え出す。
「マ、ジ……?」
「ああ、何てったって不思議な卵なんだからな、そのくらい出来てもおかしくないだろ」
 脅しつつもさりげなく卵の前に移動し、後ろ手で卵をひっぱたいて大人しくさせるラウル。音は小さくなったものの、今までずっと不満げにびーびー鳴いていたのだ。寝起きの頭には辛すぎる。
「ど、どうしよう……。オレ、ちょっと触っただけなのに……」
 ラウルは肩をすくめた。
(またか……。ホントにこいつ、人見知りか?)
 ただ触られただけで、あれほどの大音量で泣き叫ぶというのは、本当に迷惑な話だ。
「本当か?盗もうとして落としたとか、壊そうとしたとか、そういうんじゃないのか?」
「違うさ!盗もうとしたのは確かだけど、壊しちゃ報酬が……あ」
 自分が何を口走ったのか気付いて、はっと口を閉じる青年。しかし、ラウルは意地の悪い笑みを浮かべて、
「報酬っつーことは、誰かに頼まれたんだな?」
 と問い詰める。青年はしまった、という顔でようやく立ち上がると、ばっとラウルから距離を取った。
「こ、今回は不覚を取ったけど、次は覚えてろっ!」
 言うが早いか、一目散に玄関に向かう青年。ラウルはその後姿を悠然と見送りながら、
「呪われてたら、死に際くらいは看取ってやるぞ〜」
 と親切に言ってやると、走り去った方角だけを頭に入れながら扉を閉じた。
(全く……)
 居間に戻ると、卵がぴかぴかと明滅している。頭の中には楽しげな、ぴぃぴぃという声が響いていた。ラウルが帰って来た事を喜んでいるのか、さらわれそうになった所を助けてもらって喜んでいるのかは分からないが、楽しそうな雰囲気だけは伝わってくる。
「お前、盗まれそうになったの分かったのか?」
 ―――ぴぃぴぃぴぃ―――
 否定とも肯定とも取れない声が返ってくる。
(しっかし……泥棒に入られるようになったとはな……)
 ぽりぽりと頭を掻きながら、逃げ帰った間抜けな泥棒の姿を思い出す。 銀髪に灰色の目。十代後半くらいの青年は、小柄で細い体をしていた。格好は普通の村人のようだったが、人の家に夜中忍び込んだ挙句、捨て台詞を残して逃げる普通の青年というのも妙である。
(……次は覚えてろ、ねえ)
 随分と使い古された捨て台詞である。今時ごろつきでも使わないような陳腐な言葉だ。
(明日から出かけるっつーのに……。こりゃ、ちょっと対策を講じとく必要があるか)
 明日はエンリカに出かける日だ。それから十日以上小屋を留守にするとなると、ただ戸締りを厳重にするだけでは足りないかもしれない。まあ、あのこそ泥の狙いが卵なのは分かっている。明日以降盗みに入ったところで盗めるはずなどないが、相手はラウル達が明日から留守にすることなど知る由もない。
 となると、やることはただ一つ。
 いかに相手をからかうか、これに尽きる。
(久しぶりに腕が鳴るぜ)
 妙に嬉しそうなラウルに、卵がぴぃぴぃと同調するような鳴き声を響かせた。


「それじゃ、その男はダレスの方角に逃げていったんですね」
 手綱を握り締めながら言うエスタスに、ラウルは頷いて見せた。
「見覚えのない顔だったから、この村の人間じゃない。それにただの出来心で泥棒に入ったって感じじゃなかったし、その道の奴だと思うんだけどな」
 それにしては捨て台詞が貧相だったが、果たしてこんなど田舎に「その道の奴」がいるとも思えない。
「ダレスといえば昔、盗賊団が根城にしていたって聞きましたけどね。頭が死んでバラバラになったとか、内部紛争で潰れたとか……」
「マジか?」
 なんとも物騒な村である。
「あ、盗賊団っていってもアレですよ。遺跡専門の」
「遺跡荒らしって奴か」
 遺跡探検をする者の中でも、遺跡に眠る古代の調度品や美術品、ひどいと棺桶まで盗んで売りさばくというアレである。
「そこまでひどくはなかったらしいですけど、かつてはこの村を拠点にしていた冒険者と対立してたらしいですよ。盗賊団の方は遺跡自体には興味がなくて、必要とあらば遺跡を破壊してでもお宝を掘り出していたらしくて」
 この村に集う冒険者の中には、ただ宝目的の者だけではなく、一夜にして滅亡した古代魔法帝国ルーンについて研究している者や、ルーン遺跡にも時折見られる古代超魔法による仕掛けや、ここだけに見られる特殊な建築技術等、学術的興味から探索をしている者もいた。そういう者達にとって、お宝お宝と目の色を変える盗賊団は、まさに敵そのものだったのだろう。
「ダレスまでは……半日くらいだったな」
 二月前、このエストまでやってきた折に、その村で一夜の宿を求めたことがある。その時は夕刻に着いたせいもあって、村の様子などを伺う事はなかった。
「そうですね。ああ、盗賊団が壊滅したっていうのはもう五十年くらい昔の話で、今はごく普通の農村ですよ」
 なるほど、とラウルは腕を組む。
(潰れたっつっても、地下に潜っただけっていう可能性があるしな……)
 ふと、ラウルは素朴な疑問を口にした。
「そういや、この北大陸には盗賊ギルドなんてないのか?」
 盗賊ギルドは、街や都市の盗賊達を束ねる組織だ。大きな街には大抵あり、それぞれが情報の交換等を行っている。ギルドに所属しないモグリの盗賊は、ギルド管轄内で勝手な盗みをすればギルドから狙われる事になるらしい。ラウルも話にしか聞いた事はないが、ギルドそのものの存在は確かだ。
「盗賊ギルドですか?そう言えば聞いたこともないですね。西の自由都市メイルならあるかもしれませんけど……」
 ギルドには当然、盗賊でなければ立ち入る事など出来ない。貧民街育ちのラウルは、何人か盗賊まがいの者を知っているが、ギルドの場所についてはみな、頑なに口をつぐんでいた。
「お前ら三人、冒険者仲間で盗賊ってのはいないのか?」
 聞いてみるが、三人とも首を横に振る。
「最近は冒険者も数が減ってますからね。僕らだって組むまで大変だったんですよ」
「そうそう、なかなか初心者と組んでくれる人がいなくてな」
「あれはもう、二年くらい前になりますかねえ……エスタスと僕が酒場で偶然……」
 放っておくと三人の結成話に発展しそうな雰囲気だったので、ラウルはぴしっと話を遮った。
「ギルドに知り合いでもいりゃ、そこから話をつけるなり何なり出来るんだが……いないなら仕方がないな」
「話って、どういうことです?」
 きょとんとするカイトに、ラウルはおいおい、とため息をつく。
「ヤツははっきりと『報酬』って言葉を口にした。つまり、誰かからの依頼を受けて盗みに入ったって訳だ。それが誰の依頼なのか、それともギルドと関係があるのか、調べられるだろ?」
 なるほど、とパチパチ手を叩いているカイトとアイシャ。これでは、どちらが冒険者か分かったものではない。
「冒険者の常識じゃないのか?」
 呆れて言うと、エスタスがいやぁ、と頭を掻いた。
「何しろ、仲間に盗賊がいなければ使えない手ですからね」
 確かにそのとおりだと、ラウルは肩をすくめた。
「とりあえず、こいつの存在が想像以上に知れ渡ったって言うのは分かったな」
「そうですねぇ。噂がどこまで伝わってるか知りませんが、盗もうとする奴が出てくるくらいなんですからかなり広まっていると思って間違いないでしょう。しかも、盛大な尾ひれをつけてね」
 カイトの言う通り、噂というものは広がれば広がるほど、本来の形を失う事が多い。今のところ『不思議な卵』『なんでも竜の卵らしい』位しか分かっていないのが、『古代生物の卵らしい』とか、『中には不思議な力が隠されている』とか、『持つ者は幸せになる』とか、出鱈目な話が出来ているくらいだ。
「しかし、実際手に入れてどうするんだろう」
 エスタスが呟く。どんな噂が流れようと、この卵が光るわ鳴くわ揺れるわの、ハタ迷惑限りないシロモノであることには変わりない。
「まあ、飾って、眺めてるだけで満足なんじゃありませんか?珍しいものを収集している人っていうのは大概そんな感じらしいですよ」
「金持ちの考えてることってな、全く理解できねえな」
 欠伸をかみ殺しながら呟くラウル。
「眠そう」
 アイシャの言葉に、ラウルはにやりと笑みを浮かべる。
「まあな。色々と細工してきたからあんまり寝てないのさ」
「細工?」
 首を傾げるカイト。
「なあに、陳腐な捨て台詞を残して逃げてった泥棒に、ちょいと置き土産をしていくだけさ。ひっかかってたら大笑いだな」
 その様を想像しつつ、はたとあることを思い出す。
(そういや、マリオに小屋に近づくなって言いそびれたな……)
 律儀に、朝早い出発に合わせて朝食を届けてくれたマリオに、泥棒のことは話したが、ついうっかり罠の事を話すのを忘れていた。 小屋の周りにも多少の仕掛けをしておいたのだが、マリオが引っ掛かってしまっては元も子もない。
 小屋の合鍵を持っているマリオなら、留守中入って絵を描こうと思うかもしれないが、
(ま、いいさ)
 命にかかわるような罠は仕掛けていない。万が一マリオが引っ掛かったとしても、後で事情を話せば分かってくれるだろう。
「駄目だ、ねみぃ……ちょっと寝るわ」
 そう言って、ラウルはごろんと荷台に横になった。

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