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第三章【11】

「なんでも、卵を盗もうとした盗賊がいたんだってよ」
「それ、結局盗みそこなった上に、盗賊ギルドの制裁を受けたんでしょう?まあ、怖い」
「いや、卵が不思議な力で盗賊を叩きのめしたって聞いただよ?」
「なんてったって、竜の卵なんだろ?」
「ああ、そうだってねえ。いやはや、ものすごいものを拾いなさったね、ラウルさんは」
 そんな噂がラウルの耳に入るようになったのは、七の月も終わりに近い頃だ。
「なんか、随分と広まってますね」
 益々人気者になりましたね、と言ってくるエスタスに、しめしめ、とほくそ笑むラウル。これだけ噂を流せば、例え卵を手に入れようとしている者がいたとしても、多少慎重な行動を取る事を余儀なくされるはずだ。
 しかし誤算もあった。
「神官さん、おらんとこの婆さんも見てくださいだよ」
「その次はうちの父ちゃんをお願いします」
 どうやら、エストに新しくやってきた神官は医術の心得があるという噂まで広まったようなのだ。
(くそ、あのガキめ……)
 次々にやってくる村人達に、引きつった笑顔を返しながら、ラウルは毒づく。
(余計な噂流しやがって……)
 いや、もしかしたら、シリンではなくその母親が村の人間に話し、それがどんどん広がっただけかもしれないのだが、なんにせよこの噂のおかげで仕事が急増してしまったのは事実である。
「はいはい、分かってます。順番に回りますから」
 おかげで村中の年寄りやら怪我人を往診する羽目になってしまったラウルである。しまいには近隣からも往診の依頼が来て、まさにてんてこ舞いだ。
 こうなると分かっていたから、あまり大っぴらにしていなかったというのに。
「神官様も人が悪いだよ。どうしてもっと早く言ってくれなかった?」
 何年も前から関節の痛みに苦しんでいるという農家の親父は、感謝しつつもそうラウルに言ってくる。
「はあ、何分本業ではありませんし、きちんとした医師とは比べ物になりませんから」
 困ったように笑いながら答えるラウル。事実、ラウルには重度の怪我や病気の治療など出来ないし、ましてガイリア神官のように奇跡の術で人を癒すことが出来ない。
「でも、ユーク様が怪我や病気の治療まで司ってるとは知らなかったよ」
「ゲルク様はそんなこと、全然おっしゃらなかったしなあ」
 首を傾げる村人達に、ラウルは冷や汗をかきつつ
「ここ近年、神殿の教えも変化しているんですよ。教義を見直し、癒すこともまたユークの務めという結論に達したのは、三十年程前だと聞いています」
 と説明し、ゲルクの面目を守った。ゲルクがこの村に赴任したのは今から六十年も前のことだ。その頃にはまだ、今のような教義の解釈はされていなかった。ユークはただひたすら、人の死を弔う神殿だったのだ。
 もっとも、教義を見直し、医学を神殿で教えるようになってからも、葬儀屋という印象は世間から未だ払拭されていない。仕方のない事だ。
 そんなこんなで家々を巡回する羽目になったラウルは、村長から言われていた夏祭の儀式について、すっかり忘れてしまっていた。


「おーっす」
 元気な声と共に部屋に入ってきた人影に、ちょうどお祈りの途中だったラウルは眉をひそめ、そして肩をすくめた。
「シリン。どっから入ってきた」
 さきほど村の往診を終えて帰ってきたところだから、玄関の鍵は閉まっている。
「そこの窓」
 シリンが指したのはすぐそこにある書斎の窓である。確かに閉まっていたはずの窓が開いて、爽やかな空気が流れ込んできていた。
「素直に玄関から入ってこい」
 祈りを邪魔されて不機嫌なラウルに、シリンはちっちっちっと指を振ってみせる。
「盗賊たるもの、玄関からお邪魔しちゃ失礼ってもんさ」
「妙な理屈たれやがって……」
 まあ座れ、と書斎の椅子を勧める。シリンは勧められるままに椅子に腰掛けながら
「お祈り途中だったろ?オレに構わず続けなよ」
「別にいいさ」
 あっけらかんと言うラウル。シリンの向かい側にある机に腰を降ろすと、
「ユーク様だってそんな、一回くらいお祈りを抜かしたくらいで目くじら立てて怒るお方じゃねえよ」
 と言ってのける。これにはシリンも呆れ顔で、
「そうなのかぁ?」
「そんなもんだ」
 これまで祈りを怠けたことは数知らず。しかし未だに見放されていないところを見ると、ユーク神も結構いい加減なのかもしれない。
「で。どうした?」
「どうしたもこうしたも、ある程度情報が集まったから報告にきてやったんじゃないか」
 ああ、とラウルは手を叩く。シリンに情報収集を頼んでからまだ十日ほどしか経っていないのだが、毎日何かと忙しいせいですっかり失念していた。 シリンはまったく、と肩をすくめると、腰の小物入れから帳面を出してめくり出す。
「えっとな、突風について調査してたのは、分かっただけでも十人くらいいたみたいだぜ。この辺り、バイセムからエルドナ、フォルカあたりまでのほとんどの町や村で……」
「待て」
 ラウルが制止をかける。
「俺はこの辺りの地理に詳しくないんだ。簡単でいいから、地図を書いて説明しろよ」
「なんだよ、この家には地図もねえのか?」
 ぶつぶつ文句を言いながら、シリンは小物入れから小さく畳み込まれた地図を取り出し、書き物机の上に広げる。
「いいか、ここがこのエストだろ」
 地図はローラ国全体の地図らしく、西側の隅にルーン遺跡が書かれている。そのすぐそばにある小さな点が、ここ最果ての村エストだ。
「ダレスはここ、エルドナがこれ。あんたがこないだ行ってたエンリカはここだな」
 まずラウルの知っている場所から説明するシリン。ふむ、と頷くラウルに、先程中断された続きを話し出す。
「バイセムはエルドナから半日くらいのとこにある村。で、俺の住んでるフォルカはそこから南に下ったところにある、街道の宿場町さ」
 エルドナから南に伸びる街道は、港町リトエルまで続いている。中央大陸へ渡る定期便はこのリトエルから出航しており、ラウルもリトエルから街道を旅して来たのだ。
「フォルカは乗り合い馬車の終点だったから知ってる。そこからエストまで、街道から外れた道を延々歩かされたんだからな」
 街道はエルドナまで伸びているが、エルドナを経由すると二、三日余計にかかると言われ、渋々違う道を行く事になった。途中の村まで帰るという行商人の馬車に乗せてもらい、ダレスまで送ってもらえたのは幸運だった。
「そのフォルカ辺りからこっち、ローラの西側に、突風について調査している人間が出没してる。調査していたのは突風について、その夜の詳しい状況や被害状況みたいで、まあケルナ神官なら当然の調査だろうってみんな思ったみたいだな」
 風を司る女神の神殿が、謎の突風について調べるのはごく自然な事だ。村人達も進んで情報を寄せただろう。
「それにしても、お前十日足らずでよくそこまで調べたな」
 ラウルの言葉に、シリンはにやりと胸を張る。
「そこはそれ、オレの人脈ってヤツよ。ギルドの情報網も使わせてもらったんだけどな」
 なし崩しにギルド員となったシリンだったが、そこはそれ、使えるものは何でも利用するのがシリンの信条だ。
「話を戻すけど、突風が吹いたのが四の月二十四日の深夜。最初に調査の人間が来たのがその二日後、フォルカに来たらしいんけどな」
 シリンがすっと声を潜める。
「……どうやら、こんな事を聞いていた奴もいたらしいんだ」
「何をだ?」
「二十四日の夜、空を飛ぶものを目撃した者はいないか、ってさ」
 空を飛ぶもの。その言葉にラウルが眉をひそめる。
「あまりにも漠然としてるんで、みんな答えようがなかったみたいだけどな」
 それはそうだ。空を飛ぶものなら鳥や蝶など色々なものが当てはまる。空人だって空を飛ぶ。
「つまり、奴らは突風を調査しているというより、『突風を引き起こした空飛ぶもの』を探してると考えた方が良さそうだな」
 ラウルの言葉にシリンが首を傾げた。
「なんだよ、それ?」
「竜は空を飛ぶ」
 ラウルはそう言って、足元の籠に収まっている卵を目で示した。
 シリンが目を瞬かせる。
「だって、それは卵だろ?」
 ラウルは、先日やってきた二人の魔術士が教えてくれた竜の生態について、簡単に説明してやった。それを頭の中で整理して、シリンはまじまじと卵を見つめる。
「それじゃ、つまりなんだ。その卵は元々ちゃんとした竜で、大怪我をして卵になったっていうのか」
「そうらしいな。何故そんな怪我をしたのか、どうしてこの小屋の前で卵になっていたのかは分からんが」
 あの二人の魔術士は、ラウルの小屋から出て行ったあと『見果てぬ希望亭』にて、自らの学説を朗々と演説して帰ったらしい。そこから噂が広まって、少なくともこの辺りでは
「ラウルが育てているのは竜の卵」
 という情報が行き渡った。いいのか悪いのかは分からないが、怪物の卵と噂されるよりはマシだ。
「なるほどね。あ、そういえば」
 シリンが帳面をぱらぱらと捲る。
「フォルカより東にはまだ調べに行ってないんだが、ちょっと気になった噂があるんだ」
「なんだ?」
「竜の卵というのは出鱈目で、本当は凶悪な怪物の卵で、拾った神官はそれを孵して手懐け、なにかを企んでいるらしい」
 ラウルが眉をひそめる。
「はぁ?なんだそりゃ」
「出所はちょっと分からなかったんだけど、ここ五日くらい前からあちこちで流れ始めているみたいだぜ。まあ、かなりの眉唾ものだって信じられちゃいないみたいだけどな」
 それはそうだ。 怪物云々は前から言われていた事だが、その後が突拍子もない。まさに根も葉もない噂だ。
(どこをどうやったらそんな噂が……)
「そうなんですよねえ。まあ、皆さん与太話だと思っているみたいですから、大丈夫だとは思いますが」
 突然村長の声がして、はっと振り返った先に、いつもの笑顔で村長が立っていた。


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