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第三章【12】 |
「いつの間にいらしたんですか」 いくらシリンとの話に夢中になっていたとはいえ、人が小屋に入ってくる音や気配に気付かなかったというのは、うっかりしていたといわざるを得ない。 別に人に聞かれてはやばい話をしていたわけではないが、それにしても注意力が散漫だった事は否めない。それも、ラウルはともかく…… 「お前、気付かなかったのか」 小声でシリンに非難の目を向けると、シリンもわたわたと 「気付いてたら教えてるさ」 と弁解する。その村長は失礼、と言ってラウルの隣に座ると、 「声を掛けたんですが、お気づきにならなかったようなので入ってきてしまいました。それで、その噂話のことなんですけどね」 なんでも、村長の耳にも同じような噂が入ってきているらしい。 「北の塔が認めたんですから、その卵くんが竜だということは間違いないと思います。まして、その卵くんが周囲に害を与えない存在である事は、私達が一番分かっている事ですから、与太話には耳を貸す必要はないと思いますが」 村長はすっと声を潜めた。 「……暑い季節になると、少々頭に血の昇った人間も出てきます。ちょっと注意した方がいいかもしれません。私も目を配っていますが、心無い人間に壊されたり盗まれたりしないよう、それにラウルさん自身も気をつけて下さいね」 「分かりました」 確かに、本当に竜の卵かどうかなど、孵ってみなければ分からない。噂が本当で、孵ってみたらとてつもない怪物が出てくるかもしれない。 しかし、不思議とラウルは、卵からそんなものが孵る気がしないのだ。 (……いつの間にか、情が移ったかな?いやいや、そんなことはない、断じてない) 自問自答しているラウルに、村長がぼそりと 「かつての神殿なら、その位の事はやりかねませんでしたからね」 と意味深な言葉を呟く。 (かつての……?) 首を傾げるラウルに、村長は再びいつもの飄々とした表情に戻り、そういえば、と言葉を続ける。 「そちらの方は?」 いきなり話を降られたシリンが慌てふためくが、ラウルは至って普通に 「知り合いのもので、シリンといいます。フォルカに住んでいまして、色々気になる話を持ってきてくれるんですよ」 と紹介した。村長はそうですか、と笑顔を見せる。 「時々村で見かけるから、どなたかの知り合いだとは思っていましたが、ラウルさんのお知り合いでしたか」 村長の洞察力は、ラウルも舌を巻くほどだ。 (ただの糸目な親父じゃないってことか……) 「そういえばラウルさん、ゲルク様のところにはいかれましたか?」 村長のその言葉に、ラウルは一瞬首を傾げたが、次の瞬間はっと思い出して気まずい顔になった。 「すいません、往診に気をとられて、すっかり忘れていました」 夏祭はもうすぐだ。儀式となればそれなりの手順や祈りの言葉を覚えなければならないはずなのだが、すっかり失念していた。 申し訳なさそうなラウルに、村長はいえいえ、と手を振る。 「まだ日はありますし、さほど大仰なものではありませんから大丈夫ですよ。それと、村のお年寄り達が、ラウルさんが診てくれるのでとても助かるとおっしゃってました。ユークの神官様が医学に通じていらっしゃるとは私も存じなかったもので……」 ラウルが来るまで、この村で怪我人や病人の手当てをしていたのは村長その人である。しかし彼も医者ではなく、応急処置程度しか施せないという。 「大変かとは思いますが、これからもよろしくお願いしますね」 「は、はい。私のような者がお役に立てるのなら、幸いです」 「それでは、私はこれで……」 そう言って席を立つ村長。来た時のように足音もなく去っていく村長の背中を追っていたシリンも、それじゃ、といって席を立った。 「また何かあったら知らせに来るぜ」 「ああ、頼む」 ラウルの言葉を背中に聞いて、シリンは素早く小屋を出る。 丘を下る道を歩いていくと、そこに村長の姿があった。 「よろしければ、途中までご一緒しましょう」 笑顔で話し掛けてくる村長に、シリンは黙って頷く。そして並んで歩き出した二人は、周囲には聞き取れないほどの音量で言葉を交わし出した。 「……ギルドを敵に回そうなどとは思っていないでしょうね」 「……ああ。オレもそんなに馬鹿じゃないさ。あのスケベ神官には借りもあるしな」 「スケベ神官はかわいそうですよ。あの人は確かに女好きのようですが……」 くすくすと笑う村長。 「……なんであんたが長なんだ」 こちらは硬い表情のシリン。村長は笑いを消して、答える。 「私も別に好きこのんでやってるわけじゃありませんけどね。こんな平和な国にだって、盗賊ギルドは必要なんですよ」 ラウルがギルドからの手紙を見せてくれた、その次の日。 ダレスの実家で久々にくつろいでいたところに、深夜音もなくやってきた人物は、笑顔で自己紹介をしてのけた。 「私がギルド長です。なんのギルドかは、言わなくても分かりますね?」 猫のように細めた瞳のその奥には、全てを見通すような瞳。 「フォルカでのお仕事、そして卵を盗み出そうとした一件についても、ひとまず不問にしましょう。その代わり今後はギルドの一員となり、ラウルさんの力になる事を命じます」 ギルドへの加入金は特別に免除しましょう、と笑う男を、シリンはエストで見かけた事がある。いや、見かけたどころの話ではない。彼は村でも有名な男だ。それもそのはず、 「村長……あんたが」 それは紛れもなく、エスト村長ヒュー=エバンスその人だった。 「『眠り猫』と呼んでもらいましょう。それが私の通り名です。ラウルさんに頼まれた仕事、ちゃんとこなしてくださいね。あと、報告は私の方にもするように」 必要な事だけ告げて、村長はシリンの家を後にした。最後に、こう付け加えることを忘れずに。 「逃げられやしませんよ。それをお忘れなく」 その言葉の裏にある、ひんやりとした感触を、シリンは忘れない。 「八の月に夏祭があります。遊びにいらっしゃい」 いつもの飄々とした顔に戻ってそう言ってくる村長に、シリンは苦笑いを浮かべつつも頷いてみせた。 「おめかししてこなきゃいけないのか?」 「当たり前でしょう?おじい様の残した衣装でも着てらっしゃい」 シリンの祖父。盗賊団最後のお頭は、盗賊にあるまじき派手好きだったことで一部に知られている。 「あの方は本当に、派手な格好がお好きでしたからねえ」 懐かしそうに呟く村長の言葉を、しかしシリンは聞いていなかった。 |
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