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第四章【3】

「『……見よ!空は青く澄み渡り、風は草原を渡っている。我等を脅かす影は彼方へと過ぎ去り、黄金の輝きが大地を照らしている……』」
 朗々と響き渡る使者の口上を、人々はじっと押し黙って聞き入っていた。声は風に乗り、村中に響き渡る。
「『聞け、祝福の歌声を!神々は微笑み、精霊は踊り、喜びの歌は我等のもとへと降り注がん……』」
 ラウルの手には素朴な花束が握られている。この地方でよく見かける釣鐘型をした青い花は、夏になると一斉に花開いて人々を楽しませる。
 花は風に揺れて芳しい香りを広場に振りまき、人々に夏の訪れを告げた。


「……ふん、ちゃんと覚えたようじゃな」
 足が痛いといって家に残っていたゲルクは、風に乗って届けられるラウルの口上に安堵しつつも、口ではそんな憎まれ口を叩いていた。
 口上は滞る事なく滑らかに、自信たっぷりの声で続けられている。去年までのゲルクのものとは比べ物にならない位に立派なものだ。
「懐かしい……」
 目を閉じて、ラウルの声に耳を澄ませる。そうしていると、遥か六十年もの昔に戻ったかのような幻想にとらわれる。
 六十年前、あの広場に立ち、高らかに夏の宣言をしたのは、まだ若かりし日のゲルク。
 普段の神官服でなく、この村にやってきた時に着ていた礼服を着用したのは、戦いの際に何ヶ所も破れ、更に血に染まってしまった神官服の繕いが間に合わなかったからという、ただそれだけの理由だった。
 戦いの日々が終わっても、残された傷跡は簡単には癒されない。そのときゲルクの左足や左肩にも、痛々しい傷が残されていた。最後の戦いで負ったその傷はまだ塞がってもいなかったが、その襲い来る痛みを顔に出すことなく、彼は宣言を行った。
 きらびやかな礼服は傷を完全に覆い隠してくれた。広場に颯爽と現れたゲルクの姿に、村人達は当初、怯えの表情を見せた。 そういった人々に慈愛のこもった笑顔を向け、ゲルクは宣言した。
 朗々と響き渡る声に、長き戦いに疲労し切った村人達の心は、次第に希望で満たされていく。
 もう、終わったのだ。 死と影の恐怖に怯える事なく、光の中で笑い会える日々が、戻ってきたのだ。
 これからは真の闇が村を癒し、そして輝ける日の光がすべてを照らしてくれるだろう。 辛い日々は過去のものとなり、やがて歴史の片隅に埋没するだろう。
 今日、この日を持って長き冬は終わり、すべてが光り輝く夏が始まったのだ。

 そして、その「夏」は、今も続いている。 少なくとも、ゲルクはそう信じていたかった。

(あれから六十年……ワシも老いるわけだ……)
 戦いから六十年間、この村の平穏を守る為に尽力してきたゲルク。しかし、もうその役目も終わりを迎えているのかもしれない。
(あの若造も意外によくやっとるしのう……。ワシも本格的に隠居の身かの)
 そう思うと、なにやら寂しいものが胸をよぎるゲルクであった。


「『……悪夢を運ぶ影に怯える日々は過ぎ去り、青く澄んだ真の夜が我等を祝福するだろう。さあ、これより夏が始まる。誰にも脅かされることのない新しい季節の始まりを、ここに宣言する!』」
 口上が終わった瞬間、歓喜の声が広場を揺るがした。どっ、と村人達が台に殺到し、慌てるラウルが逃げ出す間もなく人々がラウルを取り囲む。
「ラウルさんっ!すっごい素敵ですっ」
 真っ先に台の上へと飛び乗ってきたエリナが、飛びつかんばかりの勢いで言えば、
「僕、感動しましたっ!ラウルさんってホントは物凄くかっこいい人だったんですね!」
 とマリオがラウルの手を握り締める。
「いや〜、オレもびっくりしましたよ」
「ほんと、ここまで変身するなんて思ってませんでしたよね。僕、息が止まるかと思いました」
「……見事な化けっぷりだ」
 なんだか褒められているのかけなされているのか分からない発言もあったが、ひとまずラウルは素直に受け止める事にした。
「そ、それはどうも……」
 わらわらと押し寄せる人の波を掻い潜り、なんとか台の下にラウルが降りた頃には、代わりに村長が台の上に立っていた。
「さあ、それでは祭をはじめましょう!」
 その言葉が終わると同時に、広場の隅で待機していた楽団が軽やかな音楽を奏で出す。
 騒然としていた広場は次第に落ち着きを取り戻し、例年通りの祭の賑わいへと変化していった。
 台はあっという間に村人によって撤収され、夜の篝火の用意が着々と整っていく。夕暮れと共に篝火を囲んでの踊りが始まり、夜更けまで続けられるという。 出店が並ぶ広場では、この日ばかりはと昼間から酒を酌み交わす大人達や、親から貰った小遣いを握り締めて駄菓子やおもちゃなどを眺めている子供達の姿が見える。
 篝火の用意が整った広場の中央では、気の早い恋人達が手を繋いで踊り始め、それをはやし立てる若者達も、そわそわと夜を待っているようだ。
 そして、使者の大役を見事務め上げたラウルといえば、その格好のままレオーナの出店に座り込んでいた。
「お疲れ様、ラウルさん」
 笑顔でレオーナが軽い昼食を運んでくる。そして娘たちが縫い上げた衣装を見て、満足げに
「本当によく似合ってるわね。着心地はいかが?」
 と尋ねてきた。
「ええ、とても良い衣装を作っていただきました。二人には感謝しています」
 笑顔で答えたラウルだが、こそこそっと周りにトルテやエリナがいないことを確認して、
「……使者の衣装は、本当にこんなに派手なものなんですか?」
 と小声で尋ねる。確かに良い衣装だとは思うのだが、こんな派手なものを毎年ゲルクが着ていたとは到底思えないのだ。
 その問いかけに、レオーナはにっこりと笑ってみせる。
「勿論、ゲルク様が着てたのはもっと落ち着いた色合いのだったわよ。でもラウルさんは黒髪で背も高いから、地味な色より白とか青の方がいいわよって言ったの」
 なるほど、この派手な衣装に一役買っていたのはレオーナだったようだ。
(そうだよなあ、こんなのあのじいさんが着たら、似合わないを通り越して道化だよな)
「でも、ラウルさんがそんな格好をすると、まるでどこかの騎士様みたいですよ」
 向かいに座っていたカイトが言ってくる。
「まさに、女の子の憧れを絵に描いたみたいですよね」
 エスタスが酒の杯を両手で握り締めながら言ってのけた。その杯の中身は、先日ラウル達自身が買い付けてきた、例の氷結酒だ。
「そうよねえ。これで白馬にでも乗って木陰から現れたら完璧ね」
 お盆を握り締めながら言うレオーナに、ラウルの口元が引きつる。大分妄想が入っている言葉だが、レオーナの発言だけに笑い飛ばすわけにも行かない。 三人もそう思ったのか、引きつった笑いがその場を支配する。それを打ち破ったのは、突如天幕の中に飛び込んできた賑やかな声だった。
「あー、いたいた!ラウルさーん」
「もお、どこ行ったかと思いましたよ」
 エリナとマリオの二人である。広場中を探し回っていたのか、二人とも軽く息を切らしている。
「どうしました?二人とも」
「おじいちゃまが、ラウルさんを呼んでるんです。分神殿で待ってるって」
 分神殿で、とは珍しい事もあるものだ。ゲルクがラウルを呼びつけるときはいつも決まって、エリナの家の書斎だったのだが。
「分かりました。すぐ行きます」
 そう答えてラウルは、目の前の昼食を急いで片付け始めた。

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