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第六章【8】

「な、なに?」
 唐突な声に戸惑うドニーズとは対照的に、ラウルはやれやれ、と肩をすくめる。
「そんなトンチキな事を言ってるのは、どこの誰かしら」
 なおも続く、金属的な響きを持つ少女の声。 そして人込みを割って彼らの前にやってきた声の主は、尊大な態度でドニーズを睨みつけた。 濃紺の髪に紫の瞳。だぼだぼとした黒の長衣を纏い、手には彼女の背丈よりも長い杖を握り締めている。
 彼の方が背が高いにもかかわらず、まるで遥か上から見ろされているような感覚さえ覚えるのは、少女の瞳が鋭く力に満ち溢れているからか。そんな瞳でドニーズを睨みつけて、少女は口を開いた。
「あらまあ、どこの誰かと思ったら、ローラ国王立研究院の人間ね?相変わらず質の悪い人間ばっかり集めてること」
「なっ……なんだ、お前は?!」
「あら、聞きたい?聞いたらきっと後悔するわよ」
 にやり、と笑ったその瞳は、まるで獲物を追い詰めた猫のよう。とても、こんな小さな少女のする目つきではない。
「この……子供がっ……」
 怒りに言葉が出ないドニーズに、少女はどーんと胸を張って高らかに名乗りを上げた。
「わたしは北の塔三賢人が一、アルメイア。知識の番人にして永遠の探求者。そして、時に見放された悲しき放浪者よ」
 最後の台詞の意味が分からなかったラウルだが、しかしドニーズには十分通じたようで、怒りに赤く染まっていた顔が一気に青ざめていく。
「そ、そんな……まさか……」
「まあまあ、アル。そんなにいきり立たなくても……あらラウルさん、いつもと雰囲気が違って、野性的でとても素敵ですわね〜」
 ゆっくりと人込みから現れた女性が、こちらも相変わらずのんびりとラウルに話しかけてきた。柔らかな薄緑の髪に白い長衣を纏ったこちらは、そこだけ少女とそっくりな紫の双眸でラウルをにこにこと見つめている。
「は、はあ……どうも」
 返答に困るラウルを横目にその女性はアルメイアの隣に並び、そして居並ぶ守備隊とドニーズを前に、とびっきりの笑顔で挨拶をする。
「ごきげんよう。私は北の塔三賢人が一、ユリシエラですわ」
 北の塔三賢人のうち、二人までもがここに揃っているこの事実に、ドニーズの顔は青ざめるを通り越して既に蒼白だ。ラウルや村人を槍で威嚇していた守備隊の面々も、戸惑いを隠せずにドニーズを伺っている。
「あの、ドニーズ様……」
「ぶ、武器を引け。この方々は……本物だ」
 その物言いに頬を膨らませるアルメイア。
「なによそれ」
「まあまあ、いいじゃありませんの。間違ってはいませんし」
 ドニーズの言葉に槍を収める守備隊。その誰しもが、目の前に佇む二人の女性に疑惑の色を隠せないでいた。無理もない。どうみても十二、三歳の生意気な少女と、おっとりした女性の二人が権威ある三賢人とは俄かには信じがたいだろう。しかし、ドニーズの言う事を信用しないわけにもいかない。
「王立研究院も随分と偉くなったものね。塔に篭って怪しい研究に勤しんでいる輩の言う事など、あてにならないですって?」
「そそ、それはその、言葉のあやというもので……」
「あらそう。それじゃそういう事にしてあげるけど、あの卵を邪悪な怪物だなんて決め付けるのはどういう了見かしら。あれは、竜の研究に生涯を捧げたこのわたしとユラが、確かに竜の卵だと証明するものよ。それともなに、こんなチビガキとのほほん娘の言う事なんんて、聞く耳持たない?」
「いえ、ですから……」
「アル。苛めてはかわいそうですわよ」
 そうたしなめるユリシエラも、その顔には少々怒りが見える。
「そもそも、どなたからそのような噂をお聞きになったんですか?」
 あまりに気が動転している彼が気の毒になったのか、村長がそっと割り込んだ。その問いかけにほっと安堵の表情を浮かべ、口を開くドニーズ。
「その……」
「ちゃっちゃと言いなさいよ」
「はい、実は、王宮出入りの宝石商が……」
「宝石商?」
 カイトの素っ頓狂な声がどこからか上がったかと思うと、人込みを掻き分けてカイトとエスタスがやってくる。
「それって、フォルカのドルセンって人じゃないですか?」
 カイトの問いに、ドニーズは苦々しい顔で頷いた。
「あ、ああ。そうだ。その宝石商の使いの者が、研究院に嘆願にやってきたのだ」
「嘆願?」
 眉をひそめるラウル。
「その、エストという村に奇妙な卵がある、と……。それ以前から噂は都にも伝わっていたが、卵は実は邪悪な怪物のもので、それを保護している神官はそれを知っていながら村人に隠していると……」
(あの親父、言うに事欠いてそんなでまかせを……)
「はあ、なんともまあ、出鱈目な」
 ラウルの横で、呆れ顔の村長は呟く。
「卵を手に入れられなかった腹いせ、ですかねえ」
「その卵を王立研究院で接収し、詳しく調査してもらいたいという言葉を受けて、こうして出向いたわけで……」
「ふうん、その話が本当かどうかも確かめずに、守備隊まで引き連れて?」
 意地の悪いアルメイアの言葉に、再び蛇に睨まれた蛙のように竦むドニーズ。さっきまでの尊大な態度はどこへやらである。
「よほど、その宝石商さんは王宮に顔の通る方ですのね。国民のため国家のため日々大事な研究に勤しんでいる王立研究院のお方や、国民を守るという崇高なお仕事に就かれている守備隊の皆さんを、わざわざここまで出向かせられるほどの力を持っていらっしゃるようですし」
 ため息混じりにユリシエラ。さり気なく言葉が棘だらけな辺り、やはりアルメイアと血の繋がった姉妹である。
「賄賂でももらってるんじゃないのか?」
 からかうようなエスタスの言葉に、ドニーズはぶんぶんと首を横に振る。
「そ、そんな事は……」
「そうやって否定するところが怪しいですね」
「いや、だから、その……」
 たじたじのドニーズに、アルメイアがとどめを刺した。
「いい?あの卵に手を出す事は、このアルメイアの名において許さないわよ。魔術士の塔は治外法権、わたし達はどの国家とも対等に話し合える立場にある事をお忘れなく。例え王立研究院だろうと、敵に回ったら容赦しないから覚えておきなさい」
 きっぱりと言い切るアルメイアに、村人から歓声と拍手が上がる。
「まあ、アル。そういう事を言うから、私たち魔術士の印象がますます悪くなるのだって、長老にも言われているでしょう」
「知ったこっちゃないわよ、あんなじじいの言う事なんて。わたしは、わたしのやりたいようにやらせてもらうわ。さあ、分かったらとっとと帰りなさい。わたし達はお祭を楽しみに来たんだから」
「はは、はいっ。お前達、引き上げるぞっ!」
 そう言ってドニーズが踵を返したその時。
「大変だぁっ!!」
 人垣の向こうから、そんな声が飛んできた。


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