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第七章【10】

「……これ以上は危険です」
「……しぶとい奴だな。しかし……」
「時間がない……何とか……」
 そんな会話を、朦朧とする頭の隅の方でラウルは捉えていた。
 すでに、時間の感覚は完全になくなっている。ここに連れて来られてからどのくらい経ったのかも定かではない。
 最初は手荒い質問方法をとっていた彼らも、強情なラウルの態度に少々やり方を変えた。睡眠と食事を取り上げ、長期戦覚悟でまさに「体に訴える」事にしたのだ。
 いかに頑強な肉体と精神の持ち主でも、生命を維持する上で必要不可欠な睡眠と栄養の二つを禁じられれば、そう長い事意地を張ってはいられない。
 事実、五日に及ぶ「取り調べ」の末、最初は余裕の表情を浮かべていたラウルもさすがに消耗の度合いが激しくなってきていた。水だけは辛うじて与えられていたが、ラウルから気力と体力を奪うには十分すぎるくらいだった。
(……なに、焦ってるんだ……)
 おぼろげな意識の中で、ラウルは必死に会話を聞き取ろうとした。何かしていなければ、途切れてしまいそうな意識をつなぎ止めるために。
「時間がない?」
「……状況が変わった。知らせが入ったのだ。私も急いで戻らねばならない……」
「というと、あの巫女が……?困るぞ、それは?!」
 男爵の声に焦りが混じる。
「……予断を許さぬ状況だそうだ。今は何とか凌いでいるが……一刻も早く……」
(巫女……?)
 青年は、かなり切羽詰った様子で喋っている。
「おい、なんとかならんのか?」
 男爵の言葉に、しばし逡巡してから仮面の男が口を開く。
「……命の保証は出来かねますが」
「なに、どうせ長く生かしておく必要もない。卵の場所さえ分かればそれでいい。一刻も早く吐かせるのだ」
「……薬を使います。よろしいですか」
「薬?……まあいいだろう。すぐに用意できるか?」
「……今夜までには」
「よし、急げ」
「は……それでは」
 仮面の男が立ち去る。残った二人は、鎖で吊るされた状態のまま力なく頭を落とし、身動き一つしないラウルを眺めながら、苦々しい表情をしていた。
「ここまで粘るとは思ってもみなかった……。全く、本神殿もとんだ厄介者を飛ばしてきたものだな」
「は……しかし……」
「なんだ?サイハ」
「い、いえ。失礼しました」
「巫女が心配か?」
「はい……しかし、あの方は不死の体を持っておられます。決して、志半ばで潰える事はありません」
 その言葉に、男爵は歪んだ笑みを浮かべた。
「そう、不死!ああ、なんと甘美な響きだ。それを手に入れるためなら、私は全てを投げ出そう」
 歌うような男爵の言葉。サイハは黙して、男爵を見ている。
「卵を手に入れた暁には、私を不死の体にする。それを条件にお前達に手を貸している事、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
「はっ……」
「私は準備が整うまで上にいる。お前もしばらく休むといい」
 そう言って、男爵が去っていく。その足音が完全に聞こえなくなってから、サイハは小さくため息をついた。
 ―――と。
「……お疲れのようだな」
 サイハがびくん、と跳ね上がる。
「お、お前……」
 ついさきほど、完全に意識を失ったはずだ。これ以上は危険だとギルドの男が判断したのだから間違いはない。そんな、とても口を利けるような状態ではないはずのラウルが、ゆっくりとだが顔を上げ、サイハを真っ向から見据えてくる。
「まだ、そんな力が……」
「……俺を甘く見るなよ」
 そんな事を言っているが、ラウルの顔には焦燥の色が濃く表れている。だがその瞳は輝きを失ってはいない。
「そんな口が利けるのも今限りだ」
 勝ち誇ったような顔で告げるサイハに、ラウルは眉を潜める。
「今夜には全部吐いてもらうさ。そのあと生きていられるかは、お前の運次第だ」
「……何を、する気だ」
「奴が薬を使うと言っていた。ただし命の保証はしかねると。なに、ここで死んだとしても、その魂も肉体も、我等が有意義に行使してやろう。光栄に思うんだな」
 サイハの言葉を聞いて、ラウルは押し黙る。
(薬ねえ……)
 例えそれで卵の場所が分かったところで、彼らにはどうする事も出来ないはずだ。それがラウルの強みであり、切り札。
 しかし、ラウルの沈黙を怯えと勘違いしたのか、サイハは悠然と微笑んでみせる。
「最初から大人しく、卵を差し出していれば良かったものを。下らない意地を張って自らの命を散らせる羽目になるとは、哀れな奴だ」
「……」
 無言のラウルに、なおもサイハは言い募る。
「ユークの御許に行くのが他の者より少しだけ早くなっただけだ。先に行って文句でもつけて……」
「なあ、お前達の目的はなんだ」
 サイハの言葉を遮って、ラウルはまるで夕飯の献立でも聞くような口調で尋ねてきた。あまりに唐突な質問に、サイハが目を瞬かせる。
「何?」
「影の神殿とは、その目的とは何だと聞いてる」
「そんな事を聞いてどうする?」
「前々から聞きたかったんだ。なぜ、影の神殿が存在するのか。その最終目的とはなんなのか。そして……なぜユーク様はお前等にも力をお貸しになるのか」
 そう。それはラウルだけでなく、すべてのユーク信者の抱いてきた長年の疑問。
 歪んだ教義を伝播し、禁呪をもって死を撒き散らし、そして死者を汚辱する「影の神殿」。その彼らの力の源は、ユーク神に他ならない。
「……それを知ったところで、仕方あるまい」
 深い闇を内包した瞳で、サイハは首を横に振る。
「そうでもないさ。どうせ長生きはさせてくれないんだろ?死に行く者の最期の望みくらい、聞いてくれたっていいんじゃねえか」
 あの男爵が何者なのか、なぜ影の神殿と盗賊ギルドが彼に従っているのかは分からない。しかし、ラウルは彼らの顔を見ている。会話を聞いている。
 となれば、例え卵の場所を教えたところで、素直に解放してくれるわけがない。
(この勝負……諦めた方が負けだ)
 もしも村長がラウルを死なせない気なら、何らかの対策を打っているはずだ。それならばその時まで生き延び、得られるだけの情報を入手しておくのが得策というもの。
(ま、ギルドが俺を見捨てる気なら、それまでなんだけどな)
 しばらく黙って思案していたサイハだったが、ふと、まるで独り言を呟くように語り始めた。
「……なぜ我らにユーク様が力を貸し与えて下さるのか、それは分からない。巫女ですらその答えを知らないという。しかし、事実我らは遥かなる昔より、死の術を行使してきた。その事で神罰を受けた事もない」
 それは、影の神殿でも長い間疑問視されていた事。彼らとてユークを信望する者に他ならず、歪んでいようとその教義の根本はさほど変わらない。
「故にわれらはこう解釈する。ユークはもともと死と恐怖をもたらす神であると。そしてその忠実な僕こそ我ら影の神殿である、と」
「……なるほど」
 都合のいい解釈だなと思いつつ、あえて余計な口は挟まずに、ラウルは肩を竦める。
「我らはその神の意思を継ぎ、世界に死と恐怖をもたらす。そして、全てが死した後にはじめて訪れる真の安らぎの世界を渇望する」
 世界に死の安寧をもたらす事。そしてその死を乗り越えたものだけが集う理想世界を創造する事。
 これこそが、彼らの真の目的。
 しかし今までに、この目的の為に純粋に動いた者はそういない。
 多くの同志が小手先の死霊術に魅了され、自己満足の果てに朽ちていった。
「そこにどう、竜が関わってくるんだ?」
「……儀式において、大いなる力を持つものを捧げる必要がある。それだけだ」
(なるほど、竜を生贄に、死と破壊の力を呼ぶってわけか)
 ユーク神殿では様々な「禁呪」を知識として教えているが、その中にはそんなものはなかった。となれば、『影の神殿』が独自に編み出したものという事になる。
「そんな術を、ユークがお前達に授けたというのか」
 ラウルの問いに、サイハは頷いてみせる。
「ゾーンの書という名を聞いた事があるか」
 ラウルは記憶を辿った。どこかで聞いたような気がするが、思い出せない。その様子を見てサイハは続ける。
「遥か昔に存在したという偉大なる死霊術士。その書き記した秘伝書だ。そこには、数々の秘術が記されている」
 その秘伝書は数冊あり、各地の『影の神殿』が厳重に保管していると言われているが、全ての消息は分かっていない。噂では、かつてそのゾーンの書をいくつか集め、記憶や経験を宿したままの完全な形で死者を蘇生させようと研究を続けていた死霊術士がいたというが、結局のところ現在に至るまで、その完全なる蘇生術は完成していない。
「それが……なんだってんだ」
「その書を、我々は手に入れた。そして、世界に死の安寧をもたらす秘儀を知り、我らが悲願を達成するべく動いている。そういう事だ」
 そう答えるサイハの顔は、言葉に反して苦々しい表情を浮かべている。
「……だが……」
 なにやら事情があるようだったが、勿論それをラウルが知るはずもない。だからきっぱりと言ってやった。
「つまりは、お前らは自分達が辛いから死んでしまいたい、ついでに自分達をこんな目に合わせた世界も一緒に滅びてしまえと、そういうはた迷惑な事を言ってるわけだな」
「お前に何が分かる?!」
 サイハの瞳が怒りに燃える。
「お前に……お前などに我らの……!」
「分からないさ」
 憤るサイハとは対照的に、ラウルは氷のように静かな声で続ける。
「俺は、お前じゃねえ。お前に俺の苦しみが分からないように、俺もお前の苦しみなんざ分からねえ。そんなの当たり前だ」
 そう。どんなに頑張ったところで、自分の痛みを他人が完全に解する事は出来ない。
「お前、八歳のガキが人を殺さなきゃ生きていけない環境が分かるか?希望の見えない場所で、生きる意味も分からずに無為に過ごす日々を知ってるか?」
 その言葉に押し黙るサイハ。
 そう、彼は今まで影の神殿に立ち向かってきた者達とは違う。むしろ、限りなく自分達に近いとサイハは感じていた。
 しかし、ラウルはそれでいてもなお、影の手を撥ね退け、光の中で生きようと足掻いている。
「苦しいのは、お前だけじゃない。俺だけでもない。人はみな、多かれ少なかれ苦難の日々や思い出したくもない過去を心に抱いて、それでも今を生きているんじゃないのか」
「それは……っ」
 真っ直ぐなラウルの眼差しに耐え切れず、視線を逸らすサイハ。そんな彼に、ラウルは尚も続ける。
「俺はこれでも、人よりは苦労を味わってると思う。それでも俺はお前の苦しみを知る事は出来ない。でも、想像する事なら出来る」
「想像、だと?」
「ああ、そうさ。自分の経験や伝え聞いた事と照らし合わせて、人の痛みを推し量ろうとする力。その想像力こそ人を思う力となる。だから、俺にはお前の苦しみを実感する事なんざ出来ないが、推測する事くらいは出来る。そしてお前達の苦しみを少しでも和らげる事が出来るかもしれない」
 そう言って、ラウルはふと紡ぐ言葉を切り替えた。穏やかに、まるで歌のような抑揚を持つそれは、神々の言語。
『歪んだ闇に身を任せていては、いつまでたっても悲しみの連鎖から抜け出す事は出来ない。お前達に真の安らぎが訪れる事を、俺は祈ろう』
 同じユークに仕える者として、サイハにはその言葉の意味を理解する。ラウルの言葉に何か言いたげなサイハだったが、すぐにふい、とそっぽを向いて出て行ってしまった。
「……そんな祈りが、通じるものか……」
 そんな呟きを、ラウルの耳に残して。


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