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第十章【8】

「私、は……」
 目を見開き、少女は自分の胸から溢れ出す、冷たき血潮を凝視していた。 そして、ゆっくりとラウルを見る。
「……なぜ……」
「あんたは、誰かに終わらせて欲しかったんだ。違うか」
 少女の瞳が揺れている。紫の双眸いっぱいに映るラウルの顔は、見たこともないほど穏やかだった。
「あんたは、不死の儀式に耐え抜いた。そしてその後も自我を保ち、影の象徴として崇められた。だからあんたの周りの連中は、だれもあんたの願いを聞き届けなかった……」
 それは、あの懺悔にも似た記録の最後に綴られていた言葉。最後の実験体となった少女は、奇跡的にも不死を受け入れ、それどころか闇を従わせる強力な力を宿した。そして彼女は巫女と呼ばれるようになり、長い年月を、影を従えて生きる事となった。
 その苦難に満ちた生に、まだ幼い少女は幾度となく死を選ぼうとしたが、その呪われし体が、そして周囲がそれを許さなかった。
 我らが巫女を失うわけには行かない。それは彼らの勝手な言い分だ。彼らの欲望のために、少女は望まぬ生に甘んじてきたのだ。

「長い間、あんたはたった一人で、時の流れからも見放されて生きてきた。死ぬために、生きてきたんだな」
 紫の双眸から、透明な雫が落ちた。
 悲しすぎる人生。それは彼女が望んで得たものではない。死ぬために生きる、過去へ復讐するために未来を目指す、そんな矛盾した生き方を、彼女は歩んできた。
 誰一人としてこの思いを、狂おしいまでの死の希求を分かちあってはくれなかった。彼女の元に集うものはただ、世界を呪い、自らを呪い、彼女のもたらす死の安らぎに縋ってきた。 それなのに。
 闇を崇めるこの青年は、何故も彼女の魂の奥に眠る思いを、言い当ててみせるのか。
「お前は……なぜ……」
 不思議そうに見つめてくる少女に、ラウルは目を伏せて呟く。
「……俺も、それを望んだことがあったからだ。そして今もきっと、心のどこかでそう願っているのかもしれない。この記憶と肉体に染み付いた過去から解放される事を……」
 死は解放。死は救い。そう考えた事は何度もある。 だからこそ、ラウルには少女の葛藤が、苦しみが想像できた。
 それでも、彼が導き出す答え、そして未来は、少女の選び抜いたものとは異なっている。
「ならば……なぜお前は生きる…?」
 かすれた声が問う。ラウルは、さあな、と頭を振った。
「知らねえよ。ただ、生きるだけだ」
 生きる事に、理由や意味なんてないのかもしれない。ふと、そんな考えがよぎる。
 今いるこの瞬間を、ただ生きる。それの何が悪い。意味づけなどしなくたって、生きていける。
 そして。この一瞬一瞬を積み重ねていけば、いつか未来へと届くだろう。
「そう、か……」
 なぜか、安堵したような息をつく少女。
「ああ。俺は生きる。……あんたは、もう眠れ」
 静かな言葉は、まるで遠き日に聞いた少年神の声の如く。
 黒い髪を闇にたなびかせ、青年はただ穏やかに、少女を見つめていた。

 そして。

「これで……終わる……」
  眩しそうに目を細め、少女は空を仰いだ。その体がぐらり、と傾ぐのを、ラウルが抱きとめる。
 はじめて触れたその体は、まるで空気のように軽かった。このまま空気に溶けてしまいそうなほどに。まるで、幻であるかのように。
 涙の最後の一滴が、頬を伝ってラウルの手を濡らす。それは暖かい、一人の少女の涙。
「今度こそ、安らかに……」
 ラウルの言葉が、届いたかどうか。
 少女の瞳がゆっくりと閉じられる。 その小さな体は一瞬のうちに光の粒子となり、風の中に砕け散った。
 あとには、何も残らない。
―――アリガトウ―――
 風の中に、少女の声が聞こえた気がした。

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