<<  >>
第十章【12】

 影に覆われた太陽が再び空を照らし、まるで今までの闇夜が夢であったかのように、世界は光に満ち溢れる。
「光……か」
 少女を抱いたまま、ラウルは空を見上げる。冬晴れの青空。煌々と輝く太陽。
『らう?』
 頭にしがみつくルフィーリに閉口しながら、ラウルはやってきた仲間達をぐるりと見回した。
 汗や埃にまみれた顔は、どれも爽やかに笑っている。限界まで疲弊し、恐らくは立っているのもやっとだろうに、そんな事も忘れてただ、ラウルの無事を喜んでいる。
「終わったんですね」
 戦いも。そして、卵の孵化も。 全てが終わって、今は穏やかな風が彼らを包む。
「ああ、そうだな」
 爽やかに澄み渡った空の下。眼下の広場には、力を失った陣が人々に踏み荒らされてその姿を徐々に失っている。広場を右往左往しているのは、共にやってきた仲間達。怪我人の介抱や遺跡内の捜索に余念がない彼らは、王城の上に佇むラウル達の姿を見て、大きく手を振ってきた。
 その中に、村長らしき姿を見つける。彼もまたラウルに気づいて手を振っていた。それに答えて手を振り返すラウル。その横では、
「いやぁ、かわいいですねえ!」
「生まれたばっかでも、人の形を取れるんだなあ」
「さすが」
 卵から孵ったルフィーリの姿に興味深々の三人組。カイトがそっと手を出しては、それを掴まれて喜びとも驚きともつかない奇声を上げる。それを見て笑うエスタス、無表情にルフィーリの頬をつつくアイシャ。いつもと変わらない彼らの姿に目を細めていると、少し離れたところで彼らを見ていたシリンが呟いた。
「それにしても、ホントにそれが光の竜かよ?なんか、ちびっちゃくねー?」
 それを聞いたルフィーリが腕の中で暴れ出す。
「おいおい、やめろって!」
 慌ててそれを宥めながら、ラウルも苦笑を禁じえない。
「そうだよな。てっきり、あのキーシェくらいになると想像してたんだが」
『らうっ!』
 ぷんぷんと怒った様子のルフィーリ。頬を膨らませたその姿は、人間の子供と何ら変わらない。
「おっ、喋った」
「そういえばそうですね。いやぁ〜、感動です!」
 妙に嬉しそうなエスタス達。それを聞いて、彼らがこの声を聞くのは初めてなのだと気づく。
『らう?』
 彼らの反応が面白いらしく、先ほどの怒りも忘れてしきりに笑顔を向けるルフィーリ。気分屋め、と苦笑するラウルに、ふとエスタスが言ってきた。
「なんか、そうしてると、ガイリア様とユーク様みたいですね」
 一瞬首を傾げたラウルだが、ああ、と短くなった髪に手をやる。
 彼の崇める闇の神ユークは肩までの黒髪、黒装束に身を固めた少年の姿で現される。そして対なす光の女神ガイリアは、波打つ金髪にふわりとした白い衣装を纏った少女の姿。等身こそ違えど、まさに今の二人そのものだ。
「けっ、こんなのとガイリア様を似てるだなんていったら失礼だぜ」
『らうぅっ』
 ラウルの頬をつねってくる小さな手。意外に力強いその手に閉口して、ラウルは悪かったと呟きながらそれを引き剥がしにかかる。
「……むしろ、あんたをユーク様に似てるっていう方が失礼なんじゃねえのか?」
「やかましい」
 そんな微笑ましい光景を見ながら、ふとカイトが尋ねてきた。
「でも、それって願掛けだったでしょう?切っちゃってよかったんですか?」
 苦笑するラウル。
「あの時はそんな事に構ってる余裕なかったしな。それに、もういいんだ」
「叶ったのか」
 アイシャの言葉に、ラウルはさあね、と肩をすくめてみせた。
 神殿に引き取られてしばらく経った頃から、気紛れに伸ばし始めた髪。それに意味を持たせるようになったのがいつからかは覚えていない。
 女達に伸ばしている理由を聞かれて、冗談交じりに願掛けだと口走った。それだけだった気もする。
 掛けた願いは、仲間か、絆か。それとも許しか。
 今となっては、もうどうでもいい事だ。
 髪を伸ばしたくらいの事で叶う程度の願いなら、自分の力で掴めると分かったから。
「どうせまた、すぐ伸びるさ」
「そうだよな、スケベは髪の伸び早いって言うし」
「なんだとぉっ?!」
 シリンに食って掛かろうとしたラウルの首に、ようやく機嫌を直したらしいルフィーリが再び縋りついてくる。
「ぐぉっ……おまえ、人を殺す気かっ!」
 容赦なく締めてくる白い腕に、慌てて少女の体を引き剥がし、地面へと降ろす。しかしルフィーリはなおもラウルの足にしがみついて、何が楽しいのかきゃっきゃと笑っている。
 屈託のない、無邪気な笑い声。その声を聞いているうちに、自然とラウル達にも笑みが浮かぶ。
「……ま、全部終わって、これで大団円だな」
 巫女は倒し、影の神殿は壊滅し、竜も孵った。これでようやく平穏な日々が戻ってくる。
 そんなラウルの考えを、カイトが一言で打ちのめす。
「何言ってるんです。始まったんですよ」
「え?」
「だってその子、ラウルさんから離れないじゃないですか」
「うっ……」
 足元を見る。無邪気な瞳で見上げてくるルフィーリに、大きく肩を落とすラウル。
「嘘だろ?」
『らう?』
 何が?と言わんばかりのルフィーリ。竜としての使命はどこへやら、今の少女には、ラウルと遊ぶ事しか頭にないようだ。必死に足をよじ登ろうとするその姿には、偉大なる竜の威厳などかけらほども感じられない。
「お前、行かなくていいのか?」
 呆れながらも、よじ登ってくる少女をひょいと抱き上げて尋ねる。少女はちょっと考える素振りをして、そして小さな唇を動かした。
『るふぃーり。らう。いっしょ』
 たどたどしい言葉遣い。それでも、言いたい事はきちんと伝わる。
「おお、ちゃんと喋った!」
 驚きの声を上げるカイト達。一方ラウルは、驚きよりも怒りが先にたったのか、眉を吊り上げて少女に掴みかかっている。
「お前、喋れるなら最初からきちんと喋りやがれっ!」
『らう〜っ』
「だああ……」
 頭を抱えるラウルを、労わるように撫で回すルフィーリ。その光景があまりにも微笑ましく、そしてあまりにもお似合いで、エスタス達はラウルに気づかれないようにそっと顔を見合わせ、笑みを浮かべた。
「今度は子育てか」
「そ、そうなるのか?え?おい、嘘だろ?!」
「まあ、いいじゃないですか。きっと退屈しませんよ」
『らう♪』
「まじかよ?!」
 思わず空を仰ぐ。雲間から覗く太陽が目に焼きついた、その一瞬。

『……ま、頑張ることだ』

 明らかに笑いを含んだ声が脳裏に響き渡った。
 はっと目を凝らす。すっかり明けた空に、黒い外套を翻して去って行く少年神の姿が見えたような気がした。
「勘弁してくれよ………」
 その場にへたり込むラウルに、ルフィーリが抱きついてくる。満面の笑顔で、彼の名を呼ぶ少女。
『らう!』
「……俺の安らぎは……どこにあるんだ〜?!」


 闇の御使い、ラウル=エバスト。
 真の安らぎを手に入れるのは、いつの日になることか。
 それでも、今はただ、仲間と小さき竜のために。
 そして自分自身のために、祈りを捧げよう。

 光あるところ、また闇もあり
 闇の中でこそ、光はなおも輝く
 光と闇 生と死
 それは表裏一体にして、永遠に交わらぬもの
 それでも 光は闇に惹かれ 闇は光に焦がれる
 光と闇の螺旋 そして生み出される物語
 今、一つの物語が幕を閉じ、そして新たな物語が始まる。

「さあ、帰りましょうラウルさん。みんな待ってますよ」
「……ああ、そうだな。帰ろう」
『らうっ!』
 歩き出す彼らを祝福するように、季節外れの柔らかな風が吹きぬけていった。

-未来の卵・完-
<<  >>