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『東の塔』

「……風が出てきたな」
 炎のような赤い髪を風に靡かせていた青年は、そう言いながらも窓を閉めず、体を半分以上窓から乗り出したままで遠くを見つめていた。無造作に短く切られた髪からのぞく耳は、上が少し尖っている。彼が人間と森人との混血児である証拠だ。しかし彼は、両親を知らない。
 窓の外には、森が広がっている。森の向こうには緑なす平原。そしてその向こうには海がある。
 この『塔』からの眺めを、青年は気に入っていた。
「……なら窓を閉めて下さいよ。書類が飛んでしまいます」
 彼の背後から声がかかる。声の主は、この部屋の主人でもある金の髪の魔法使いだ。
「いいじゃねぇかよ。せっかくいい風が吹いてんだ」
「いい風が吹いているのはいつものことでしょう。自分の部屋でやってください、自分の部屋で。ここは私の部屋なんですよ。しかも私は今、仕事中なんです」
 書類ばかりか、その長く美しい金髪までもを風に煽られて閉口しながら、魔法使いは言った。青年はへーへー、と言って、窓を閉める。
「あなたがこの部屋からの眺めを気に入っているのは分かっていますよ。ここはあなたの養い親、ユーマの執務室だったのですからね」
 金髪の魔法使いの言葉に、赤い髪の青年の瞳がほんの一瞬翳る。しかしすぐにふてぶてしいいつもの表情になって、口を開いた。
「だから、この部屋オレに譲ってくれっていつも言ってるじゃねぇか。そうすりゃリファ、おまえの邪魔にもなんねーし」
「駄目ですね」
 リファと呼ばれた魔法使いは一言で切って捨てる。
「あなたにこの部屋を渡したら、一日中窓から部屋の外を眺めてるに決まってるじゃないですか。余計仕事の進み具合が遅くなるのは目に見えてます。そうなったら、私の所に仕事が回ってくるんですからね」
 それに、とリファは心のなかで続ける。
(この部屋には、亡くなったユーマとの思い出がありすぎます。あなたはまだ、それを受けとめて笑っていられるほどに立直ってはいない……)
「さあディオ。とっとと自分の執務室に戻って仕事を終わらせてください。仕事が終わればいっくらでも窓の外を眺めてていいですから」
 そういってリファは、赤い髪の青年を部屋から追い出した。
「へーへー。しっかしリファ、お前かわんねーよなー。今だにオレのこと子供扱いしやがるのはお前だけだぜ」
 半ば部屋から締め出されながら、ディオと呼ばれた赤い髪の青年は愚痴る。リファはにっこり笑った。
「何言ってるんですか。私の中では、あなたはいつまでたっても子供ですよ」
 フンッ、と鼻を鳴らして部屋から出ていったこの青年が、三年前、かの「銀王」ユーリス=ファルシャークと共にヴェストア帝国の魔女帝ルシエラを打ち倒した五英雄の一人であり、現『東の塔』三賢人の一人であるディオ=ジールだと、一体誰が思うであろうか。
「まったく、いつまでたっても変わらないのは、あなたの方ですよ。ディオ」
 そう呟いて、リファは仕事に戻った。三賢人の一人であるリファには、やらなければならない仕事がたんまりとある。半分以上はディオがサボッた仕事が回ってきているのだが。
 と、扉を叩く音がリファの耳に届いた。この控えめな叩き方は、少なくともディオではない。彼はいつだって扉を叩くことなどせずに、ずかずかと入ってくるのだから。
「はい、どうぞ」
 リファの言葉に扉が開き、一人の魔法使いが入ってきた。この魔術士の集う「塔」に仕える一人だ。
「失礼します。ただ今マースヴァルト共和国の魔術士協会からの伝言鳥が到着したのですが……」
 そう告げる魔法使いの後ろに控えるもう一人の魔法使いの肩に、白い鳥が止まっている。どこにでもいる野鳥だが、魔法の気配をリファは見逃さない。確かに、伝言魔法のかけられた鳥である。
「マースヴァルトからの?定期報告はついこの間あったばかりだし、どうしたのでしょうね?」
 そう首を傾げながらも、リファは終わった書類をまとめて席を立った。
「ディオとラァラに、会議室に集まるよう伝えてください。その鳥は預かります」
 細い手をのばすと、白い鳥は一声鳴いてリファの腕に止まった。

 『東の塔』は東大陸ケルナの最南端にある。ここで言う『塔』とは、魔術士、または魔法使いと呼ばれる、不可思議な力『魔力』を魂のうちに秘めて生まれてきた者達の集う場所。俗に言ってしまえば魔術士の養成・研究機関である。ともすればその力故に人々から畏怖され、恐怖の対象ともなりかねない魔術士達のギルドであり、各国や町、村などの小さな魔術士協会との連携により魔術士の社会的地位の安定と向上を図って造られたものだ。
 いまから約50年前。西大陸ルースの平原に最初の塔、『西の塔』が建設され、それから中央大陸ガイリア、そしてこの東大陸ケルナと建設が続いた。現在北大陸アイシャスと南大陸パリーで建設中の『北の塔』『南の塔』が完成すれば、五大陸すべてに塔が出来ることとなる。
 ここ『東の塔』が出来たのは、今から40年ほど前の事だ。その当時から塔にいる者も少なくない。
 『塔』は三人の魔術士による『三賢人』が取り仕切っている。その三人しか入ることを許されない塔の最上階の会議室に、東の三賢人は集合していた。
 一人はリファ。性別・年齢不詳の金髪の魔法使い。二十代前半と思われるこの魔法使いだが、物心つく前からこの塔で育ったディオは、この魔法使いが塔に入ってきた時を知らない。つまりは、少なくとも26年以上前からこの塔に所属していた事になる。謎の多いリファだが、それを誰も気にしないところがさすが、魔法使いの塔というべきか。
 一人はラァラ=レヴィ。かつては『雷の貴婦人』と呼ばれた老婦人だが、六十を越えた今ではその二つ名を偲ぶ面影はない、たおやかな婦人である。女手の少ないこの『東の塔』でディオがすくすくと育ったのも、彼女の功績である。何しろ放っておけば寝食忘れて研究に没頭する者ばかりの塔である。彼女がいなければ、ディオはこんな健康体にはならなかったであろう。ディオにとっては頭の上がらない祖母といったところだ。
 そしてディオ=シジール。魔女帝を討ち帝国の支配の鎖を断ち切った五英雄の一人。彼は26年前、塔の入り口に捨てられていたところを、その時の三賢人の一人であるユーマ老に拾われ、塔で育てられた人間であった。彼を生んだ親は、彼に魔術の資質があることに気付いていたのだろう。塔の前に捨てられていた彼は、物心つく前から魔術を自然と使う子供であり、ユーマ老に鍛えられて力をつけていった。
 ―――そして、十五年がたったある日。
 かねてから『塔』と対立していたヴェストア帝国の魔女帝ルシエラが、『塔』に対して服従を命じてきたのだった。従わない場合は、『塔』を凍結させる、という魔女帝の言葉に、三賢人が取った手段は、力の弱い者を避難させ、志願したもので徹底抗戦をはかるというものだった。
 ディオはユーマの命により逃がされ、ユーマを含めた三賢人や志願したリファ、ラァラなど力ある魔術士は徹底抗戦の構えを取った。
 しかし、魔女帝の力は強大なものだった。『塔』は魔女帝により、文字通り『凍結』されたのである。
 塔は氷の魔法により氷の柱と化し、何人も寄せ付けぬ結界が張られた。
 そして、五年。
 銀王ユーリスと共に戦う五英雄と呼ばれし者の中に、ディオはいた。その魔力を持って戦いに参加し、塔を解放しようとしたのである。
 銀王によって魔女帝は倒され、氷の魔法は消滅した。しかし、氷の塔に閉じこめられていた者のうち、半数はすでに五年前に息絶えていた。その中に、養い親ユーマはいたのである。
 残りの半数は、仮死状態を脱し、生き返った。その中にリファとラァラがいたことが、せめてもの救いだった。
 そして『塔』を再建させた彼は、その功績を以て三賢人の一人となったのである。
『……我々マースヴァルト共和国の魔術士協会に、極秘の依頼があったのです。力の強い魔術士を数名雇いたいと。まだ建国されて日の浅いこの国です。内部の混乱は未だ続いており、この依頼にも何か裏がありそうだと判断し、塔の見解を伺いたいと伝令を飛ばした次第です。どうか、見解をお伝えください』
 白い鳥の嘴から流れていた低い男の声は、それで終わった。
「……怪しいですわ」
 銀髪というより品の良い白髪をまとめたラァラが眉根を寄せる。
「ヴェストア帝国の残党はまだまだ残ってるって事か。
ユーリスの野郎も国を整えるのに手いっぱいで、とてもそっちまで気を回せないらしいしな」
「どうしましょうね。まさか依頼を受けろとはいえませんが、相手の正体も見極めたいですね」
「塔から力の強い者を派遣するというのはどうです?その者に内情を探ってもらい、事を起こす時を知らせてもらって……」
「それしかないですね。さて、誰を派遣しますか……」
 そう言ったリファの瞳が、ディオの顔を捉えた。
「駄目ですよ」
 ディオを見据えてきっぱり言い放つ。
「な、なんだよ。まだ何も言ってねぇだろ」
「言わなくてもその顔を見れば分かります!駄目ですからね!三賢人が塔を放棄するなんて」
 ちっ、とディオは心の中で舌を鳴らした。うまく言い包めようと思ったのに、しっかり読まれていた。
「でもよぉ」
「駄目ですったら駄目です!あなたが行くくらいなら、私が行きます!」
「あらまぁ、そうしたら私は、ディオちゃんと二人で仕事しなければならないんですの?きっとはかどりませんわねー」
「ラァラ!ちゃん付けは止めろって言ってんだろっ!」
 ディオの抗議にラァラはにっこりと満面の笑みを浮かべてきっぱりと言い放った。
「お行きなさい、ディオ。あなたはこんな所で書類に印を押すだけの器ではありません」
 ラァラの穏やかな、しかし強い言葉に、ディオは圧倒された。こんなラァラは初めて見る。
「ラァラ……」
 リファが、かつて『雷の貴婦人』と呼ばれた老婦人を見つめる。ラァラはその視線に気付いてにっこり笑った。
「大丈夫ですわ。仕事なんて私とリファがいればさっさと終わりますし、ディオちゃんの魔術の腕は、このファーンの大地に存在する魔術士の中でも一、二を争うほど。外見もとてもじゃないけど腕の良い魔術士には見えませんし、適任ですわ」
「ラァラ。誉めてんのか?けなしてんのか?」
「両方、ですわ」
「まったく、ラァラも甘いんですから……」
 リファがため息をつく。そして、ディオを正面から見据えた。
「ディオ」
「な、何だよ」
 初めて見るだろうリファの真剣な表情に、ディオも気を引き締める。
「気をつけて。決して、無理をしないように」
 リファの言葉には、力が込められていた。それは魔術を使う者であっても、よほど修練した者でなければ分からないような力。
「リファ……」
 自分にかけられた「守り」の魔術に、ディオは気付いていた。ディオが愛用している耳飾りに、魔術の力が付与されたのだった。一瞬にして、しかも魔術用語を使わずにこれだけの魔術を使ってみせるリファの実力は、ディオ以上だ。
「生きて、帰ってくるんですよ」
 真剣なリファの瞳を、ディオはわざと不敵な笑いで受けとめた。
「あったり前だろ!オレは東の塔三賢人のディオ様だぜ!ヴェストアの残党なんて軽ーくのしてやらぁ!」
 リファがにっこり笑う。ラァラも優しく微笑む。

 そして、東の塔三賢人ディオ〓ジールは旅立った。
「とりあえず、ユーリスの奴にでも会いにいってやっか」
 塔からマースヴァルトの首都につづく道をてくてくと歩きながら、ディオが呟く。
 と、風を使った伝令呪文がディオの耳に言葉を届けた。
『ディオ!くれぐれも目立たないで下さいよっ!いきなり王城に乗り込んだりしたら駄目ですからね』
『ディオちゃん、薬はちゃんと持ちまして?ディオちゃんはすぐにお腹をこわすのだから、きちんと布団をかけて寝なければ駄目よ』
 ……次の瞬間、ディオが頭を抱えたのは言うまでもない。



 『東の塔』は、マースヴァルト共和国の南、山岳地帯に建てられた魔術士の塔です。
 ここで言う『塔』とは、簡単に言えば魔術士の養成・研究機関です。ともすればその力故に人々から畏怖され、恐怖の対象ともなりかねない魔術士達のギルドであり、各国や町、村などの小さな魔術士協会との連携により魔術士の社会的地位の安定と向上を図って造られたものです。遥かなる昔、北大陸の魔法都市ルーンが一人の魔術士の力の暴走で一夜にして廃墟と化してから、魔術士のイメージは悪いままなのです。最近ではかなり緩和されてきましたが、昔は魔術士だというだけで村を追われたり、殺されたりした時代もあったといいます。
 いまから約50年前。西大陸ルースの平原に最初の塔、『西の塔』が建設され、それから中央大陸ガイリア、そしてこの東大陸ケルナと建設が続きました。現在北大陸アイシャスと南大陸パリーで建設中の『北の塔』『南の塔』が完成すれば、五大陸すべてに塔が出来ることとなります。
 ここ『東の塔』が出来たのは、今から40年ほど前の事です。当時ここはヴェストア帝国の領地内でしたが、当時のヴェストア帝王は『塔』の着工に大変協力的で、 『塔』の自治権を認め、資金援助も惜しみませんでした。しかし、魔女帝ルシエラの代になると、ルシエラは『塔』に集まる偉大な魔術士達の存在を恐れ、『塔』に帝国への絶対服従を命じてきました。勿論『塔』が応じる訳がなく、帝国と『塔』との軋轢は続き、そして十五年前の悲劇に至るわけです。
 現在マースヴァルト共和国の領地は『塔』の手前までで、『塔』は独立状態です。
 『塔』は三人の魔術士による『三賢人』が取り仕切っています。『三賢人』は『塔』でも力のある者が選ばます。力が衰えれば次の三賢人をまた『塔』の魔術士の中から選出します。
 現在の三賢人は、マースヴァルト建国五英雄の一人、ディオ=ジール、『塔』建設完成と同時に塔に魔術の修業に来て、そのまま居着いてしまった『雷の貴婦人』、ラァラ=レヴィ、ある日突然『塔』に現われ、その強大な魔力からすぐさま三賢人に選ばれてウン十年、年齢不詳、性別不明の美形魔術士リファの三人です。
 『東の塔』には現在、五十余人の魔術士が暮らしています。そのうちの三十人弱は、魔術の研鑽にやってきた若手の魔術士であり、残りは『塔』で魔術の研究をしている魔術士です。
 『東の塔』のあるこの場所へは、マースヴァルト共和国から伸びる一本の山道を、一週間ほど歩かなければなりません。


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