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シュトゥルム公国

「…………様」
「……ギュンター様」
 幾度目かの呼び声に、青年はやっと声の主を振り返った。
「何だ」
「水晶球の用意が出来ましてございます」
 直立不動で報告する親衛隊の隊員に、青年はそうか、とつぶやいてバルコニーの手摺りから、未練がましく残っていた片手を離す。
「すぐに行く。下がってよい」
 は、と敬礼して、親衛隊員が足早に去ると、青年は再びバルコニーの向こうに広がる風景に目をやった。
 朝日が、水平線から昇る。
 新たな時代の幕開けを暗示するかの如く―――

 王の間には、大勢の人間が集まっていた。
 そのうちのほとんどが、王に仕える騎士である。騎士達は突然の早朝召集にも関わらず、一人残らず覇気に満ちた表情で王を待ちわびている。
 王座の傍に固まっているのは、騎士団長達である。彼らは騎士団の長であると同時に、政への発言権、すなわち会議への参加が許されている。
 また、彼らの中で一際目立っている初老の山人の男は、この国に住まう山人達の長である。建国王と同盟を結んで早数十年。山人の長には特別に騎士の位が与えられ、政への発言権もあるのだ。
 こんな大人数が早朝から緊急召集されたのには訳がある。先日行われた会議による決定が、その原因だ。
「……戦い、か……」
 若い騎士の一人が呟いた。その顔には、騎士としての努めを果たせる喜びと、いまだかつて経験したことのない実戦への微かな恐怖が入り交じっている。
「なんだ、恐いのか?」
 同僚である女騎士がその呟きを耳に捕らえてからかう。しかし彼女の表情も、堅い。
 と、周囲のざわめきが次第におさまってきた。
 彼らはその時を、直感で感じ取ったのである。

 青年が王座に進み出ると、周囲はシン、と静まり返る。
彼が王座に腰をかけると、その白金の髪が揺れ、神秘的な紫の瞳を一瞬隠した。
 鮮やかな服に身を包む二十一歳の青年。
 彼こそが、このシュトゥルム公国第三代公王、ギュンター=クレイバー=シュトゥルムその人である。
 ギュンターは、建国王である初代公王の孫にあたる。建国王である彼の祖父は、もともとヴェストア帝国の公爵であった。しかし、苛酷な帝政、貴族化した王侯、騎士に嫌気がさし、帝国に反旗を翻したのである。
 幸か不幸か、当時のシュトゥルム公爵領、つまり現在のシュトゥルム公国は帝国本国から離れた飛び地だったため、帝国との激しい攻防もさしてないままシュトゥルム公国の建国が達成された。
 そして現在に至るまで、シュトゥルム公国は鉱業、工業の発展を遂げ、すべて順調に進んでいるかのように見えた。しかし、最近になってある深刻な問題が浮上し始めたのである。
 それは、耕地。山々の狭間にぽっかりできた平地であるこの地は、もともと土地が少ない。そこに来て政治の安定から人口が増加し、比例して耕地が求められる。しかし、荒地の多いこの国は耕地が少ないのである。開墾不可能な場所もあり、シュトゥルム公国は食料危機寸前である。
 そこで先日、会議である決議がなされたのだ。

 ギュンターは集まった者達を一通り眺めると、口を開いた。
「では、はじめよう」

「わが国は三方を山に囲まれ、これ以上の耕地の拡大は事実上不可能。人口が増え続け、わが国の国土で国民を養っていくことが難しくなってきている。そこで私は建国以来初めての戦を行いたいと思う」
 ギュンターの声が、王の間に響き渡る。そしてその声と映像は、王座の前に置かれた魔法の水晶球によって、ライール山脈を越えた西側の三国、すなわちウェイシャンローティ国、シールズ神聖国、マースヴァルト共和国に届けられる手筈となっている。
「我々は他国から卑怯者呼ばわりさりるようなことはしたくない。よってここに我々はシールズ神聖国に宣戦布告する。なお他の三国がこの機に乗じてわが国を攻めようとするならば、我々はそれ相応の対応をさせていただく。その覚悟があるのなら好きにされればよい」
 騎士団が表情を引き締める。騎士団のほとんどは、生まれてこのかた戦争を体験したことのない者達だ。いや、この国の者で戦争を体験した者は、もう少ない。
「また、シールズ神聖国の国民にお伝えする。我々は、皆さんの生命の保証をする。又、土地の保証をする。我々の兵士に危害を加えない限り、皆さんに手を出すつもりはない。私、ギュンター=クレイバー=シュトゥルムの名にかけてこれを誓う。又、我が軍でこれを守らない者は極刑に処するのでそのつもりで」
 ギュンターの紫の瞳が、騎士団を射抜く。騎士団の者達はその瞳に宿る冷たい光に、心を引き締める。
「我々は開墾可能な土地を求めている。 そのための戦争であり、耕地を荒らすようなことを絶対に行わない。……以上、わが国としての指針を皆さんにお伝えした」
 ギュンターが手で合図をすると、水晶球の光がすっと消えた。そばに控えていた魔術師が、水晶球を慎重に持ち上げる。
「公王のお言葉、確かに水晶球の魔術を以てウェイシャンローティ、シールズ、マースヴァルトに伝えましてございます」
「ご苦労だった」
 宮廷魔術師に労いの言葉をかけると、ギュンターは再び王の間に集まる者達に視線を送った。
「本日をもって、我がシュトゥルム公国はシールズ神聖国との戦争に突入する。各自、気を引き締めて己れの為すべきことをせよ!」
 ギュンターの言葉が王の間に響き渡り、一瞬遅れて盛大な歓声が王の間から響き渡った。

 ファーン復活暦704年、春。
 ―――シュトゥルム公国、シールズ神聖国に宣戦布告



 東大陸の東地方、ライール山脈の山々の一つ、バイセルの山裾に広がる小さな平原。そこがシュトゥルム公国です。
 ここは先々代の時代まで、ヴェストア帝国の公爵領でし。領主はシュトゥルム公爵。現在のシュトゥルム公王の祖父にあたります。彼はヴェストア帝国の苛酷な帝政、貴族化した王侯、騎士に嫌気がさし、帝国に反旗を翻したのです。
 幸か不幸か、当時のシュトゥルム公爵領、つまり現在のシュトゥルム公国は帝国本国から離れた飛び地だったため、帝国との激しい攻防もさしてないままシュトゥルム公国の建国は達成されました。それに際して、バイセルの豊かな鉱脈に惹かれてやってきた山人達が力を貸した事はよく知られています。
 シュトゥルム公国の主な産業は鉱業と工業です。山人達が鉱業、人間が工業を主に担当しています。
 工業国であるシュトゥルムは、東大陸において最も勝れた技術力を有する国であり、現在ファーンにおいて唯一、火薬を使った銃が実用段階にまで至っている国です。
 そんなシュトゥルムの悩みは耕地。山々の狭間にぽっかりできた平地であるこの地はもともと土地が少なく、そこに来て政治の安定から人口が増加し、比例して耕地が求められます。しかし、荒地の多いこの国は耕地が少なく、開墾不可能な場所もあり、食料危機寸前なのです。

 首都はシュトゥルムブルク。川の中州に建てられた、海に面した城下町です。
 そこから真っすぐ西に向かったところにあるのが第二都市であるツヴァイブルク。魔術師ギルドはこの街にあります。また噂では、盗賊ギルドもこの街のどこかにあるかとか……。
 シュトゥルムブルクを中心にしてほぼ等間隔にあるリッチオーグ、リンクオーグの二つの港町は、他大陸からの輸入品やこちらからの輸出品が行き交います。
 湖のそばにある街はドライオーグ。バイセル山に一番近いこの街は、職人や鉱夫の街です。
 シュトゥルム公国に入るには、ウェイシャンローティ国かシールズ神聖国とつながる山道を行くしかありません。ミューラー国から伸びる山道もありますが、利用者が少ないためほとんど獣道と化しています。


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