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第二章 伝説の剣 【3】

 あてもなく旅をしていた魔術士リファ。しかしちょっとした用が出来てラルス帝国が首都、ラルスディーンへと向かっていたリファは、首都へと続く街道を歩いていた。
 季節は初夏。旅をするには最適の気候だ。青空の下、時折すれ違う旅人と言葉を交わしたりしながら、首都への旅は順調に進んでいた。
 ところが。
「……突然、街道脇の雑木林から出てきた怪しげな人間達に出くわしたんです。何とか撃退はしたんですが、こちらも力尽きてしまって……」
「怪しげな人間達?」
「ええ、黒い服をまとって、妙な形の紋章を首から下げていました。十人位でしたね。その人間達に突然囲まれて……」
 それはただ事ではない。ミントとゼックが表情を強ばらせる。
「……あんた、そんな奴らに狙われるようなマネしたのかい?」
 ミントの問いに、リファはあっさりと首を横に振った。
「いいえ、奴らの狙いはおそらく、私の持っていた剣でしょう」
 リファは視線を彷徨わせて、枕元に自分の荷物を見つけると、その中から剣を取り上げた。ミント曰く、しっかりと握って放さなかったという剣だ。
「見せてもらっていいかな?」
 武器には目がないゼックが申し出ると、リファは快く剣を差し出した。
 慎重に受け取り、しげしげと剣を検分するゼック。しばらくして深く息を吐くと、剣をリファに返して告げる。
「この剣、相当の値打ちモンだね。随分年代物だけど手入れがいい。でも実際に使われてたものじゃないみたいだ。だから、多分これはどこかの宝物庫に飾られていた宝剣か、神殿に祀られていた神剣だね」
 ゼックの言葉にリファは少々驚いたような顔で、その通りです、と頷く。
「だから大きな町の武器屋か、それでも駄目ならケルナ神殿で調べてもらおうと思い、ラルスディーンに向かう途中だったんですよ」
 ケルナは戦いの女神。あちこちのケルナ神殿には、数々の名剣や名鎧などが収められているという。
「何であなたはその剣を?」
 さり気ないアヴィーの問いかけに、リファはちょっと面白そうな表情を浮かべると、
「一月ほど前でしょうか、旅先で傷ついたケルナ神官に出会いましてね。その方が息を引き取る寸前に、こうおっしゃったんです。『決して奴らには渡してはいけない。これは勇者の剣。戦乙女ケルナの剣なのだから……』とね」
 と答えた。
「奴らって?」
「邪なる闇、と言ってお亡くなりになってしまって……。多分私を襲った奴らの事でしょう」
 黒い服に奇妙な紋様の首飾り。人通りの少ない街道で旅人を襲うとくれば、どう考えても真っ当な人間ではない。
「邪なる闇……。なんか、聞き覚えがあるような気がするよ」
 ミントが呟く。そして、はっと顔を上げてゼックを見た。
「ゼック。どっかで聞かなかったかい、そういう話。なんでも、自然ならざる炎を操り、人心を惑わせるっていう……邪教集団の話!」
 ゼックがぽん、と手を叩く。
「『黒き炎』だよ、姉さん。東大陸で昔起こった動乱に一枚噛んでたっていう……」
 その言葉に、アヴィーは昔読んだ伝記を思い出した。今から300年ほど前に東大陸で起こった動乱。四つの国が巻き込まれ、東大陸を震撼させたという。それに関わっていたと記されていた、とある邪教集団。邪竜を崇め、世界に混沌をもたらそうとする『黒き炎』。
「ええ。私もそう考えています。『黒き炎』は過去に何度も壊滅していますが、いつの間にか別のところで炎を燻らせているしつこい集団ですからね。また復活したとみて間違いないでしょう。ただ、その『黒き炎』がこの剣を狙うのかが分からないのですよ」
 それを確かめに、手近なケルナ分神殿に行こうとしていた、というリファの言葉に、アヴィーが頷いてみせる。この辺りは農耕地帯で、ケルナを信仰するものが少ないため、きちんとした神殿は首都にしかない。
「この辺はガイリア分神殿しかないから、ケルナ分神殿に行こうとしたら……」
 そうアーヴェルに説明しかけたアヴィーは、アーヴェルの様子が何かおかしい事に気付いた。
「アーヴェル?」

 アーヴェルの目の前が、真っ白になった。
 いや、白ではない。激しいまでの光。 その光の奔流の向こうから、声が聞こえる。

―――がいりあ

 そう、その言葉にアーヴェルの心は揺さぶられたのだ。

―――シンカン

 何かが、アーヴェルの心の奥から溢れ出そうとしている。
 それは激しい痛みを伴うものだと、なぜかアーヴェルは知っていた。そして恐れていた。
(いやだ……)
  (何を思い出すというんだ?)
    (セッカクワスレタノニ……)
 アーヴェル自身の声が幾重にも響き渡る。
 その言葉にすら、アーヴェルは打ちのめされていく。

 ―――と。

 マダダ

 別の意思が、光の彼方から響いてきた。

 マダだめダ

(何が、何が駄目なんだ!)
 そう問いかけるアーヴェルの意識が、急速に押し戻されていく。

「……ヴェル」
 遥か上の方から、聞き慣れた少女の声が響いてきた。その声に向かって、アーヴェルの意識は急上昇していく。

 そして。

 はっと目が覚めたかのように、アーヴェルは瞬きをした。
「アーヴェル?」
 目の前に、心配げなアヴィーの顔があった。
「どうしたの?」
「いや……」
 なんでもない、と笑ってみせるが、アーヴェルの頭の中にはまだ、さっきの声が残っているような気がした。
(何だ、あの声)
 聞き覚えがあるような、ないような。しかし、不思議と安心する声だった、気がする。
 考え込むアーヴェルを尻目に、双子とリファの会話は弾んでいたようだ。
 この辺りの話から名産物、果ては名物料理の話まで飛んだところで、ふとリファがある事に気付いた。
「ところであなた方は?」
 考えてみれば、リファ以外自己紹介をした覚えがない。その事実に、ミントがあっけらかんと笑う。
「あはは、自己紹介してなかったね。あたいはミント。料理人さ」
「ボクは双子の弟で、ゼックっていうんだ。武器の行商人だよ」
 その言葉にリファが、ポンと手を打つ。
「だから剣に詳しかったんですね。なるほどなるほど」
 そして三人の視線が、残された二人に自然に集まる。
「え?」
 アヴィーに脇を小突かれて、慌てるアーヴェル。
「えっと、俺はアーヴェル。旅人、になるのかな。実は記憶が吹っ飛んでるんで、とりあえずこっちのアヴィーと一緒に旅し始めたばかりなんだ」
 アーヴェルの言葉にミントが苦笑する。さっきも同じような自己紹介をされたのだ。思わず吹き出してしまい、ゼックに「笑い事じゃないだろ!」と怒られたのだ。しかし、あまりにもあっけらかんとした物言いは何度聞いてもおかしい。
「私はアヴィー。旅をしてる」
 対するアヴィーの簡潔な自己紹介に、リファは興味を持ったようだった。
「お二人はどちらに向かっているんですか?」
「決まってない。私達は勇者を見つけ出す旅をしてる」
 リファの瞳が一瞬見開かれる。そして、楽しそうな表情へと変わっていった。
「……それはまた……」
 勇者を探す旅。まるで、物語のような話だ。あまりにも曖昧な目的だが、少女の瞳は真剣そのものだ。ならば何か事情があるのだろうと察し、そしてリファは極めて控えめに、しかし真摯な瞳でこう言った。
「もし、よろしければ……私も仲間に加えていただけませんか?」
 唐突なリファの申し出に、二人は揃って目を丸くした。
 しばし黙して考えるアヴィー。その様子を、アーヴェルがはらはらしながら見守っている。そんな微笑ましい光景を眺めつつ、リファは内心呟く。
(うーん、やっぱり断られますかね?)
 断られたらこっそりつけていこうかな、などと思っていたリファだったが、アヴィーはあっさりと承諾した。
「構わない。でも長い旅になると思う」
「私はもともと流浪の旅人ですから。そろそろ一人旅も寂しく思っていたところです」
「でも私達はラルスディーンには行かないけど?」
 ケルナ神殿に剣を届ける、というリファの目的が果たせなくなる事を懸念しての言葉だったが、リファはあっさりと答えた。
「首都でなければいけない訳ではありませんから。この先ケルナ神殿に寄る事があれば、そこで見せる事にします」
 むしろ、リファにとっては、自分と旅する事で二人を危険に合わせる可能性がある事の方が心配だった。そう言うと、アヴィーは大丈夫、と言い切った。
「あなたは強い力を持ってる魔術士だから、二人くらい連れが増えても大丈夫だと思う」
 そっと苦笑するリファ。なるほど、この少女はなかなか侮れない。
 リファが自分達の護衛になると考えて言ったのならば、意外と損得をきっちり計算しているように聞こえる。しかし、ただ純粋にリファの力量を感じ取って、素直に評価してくれているようにも感じられる。
 なんにせよ、面白い少女だ。それは間違いない。
「それでは交渉成立ですね。よろしくお願いします」
 色々と考えを巡らせながらも、それをまったく顔に出さずにリファは新しい旅の仲間に笑顔を向ける。
「こ、こちらこそ。色々と迷惑をかけるかもしれないけど……よろしくお願いします」
「お願いします」
 深々と頭を下げるアーヴェルとアヴィーに、リファは静かな微笑みを浮かべ、こちらこそ、と頷いてみせた。


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