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第三章 失われた記憶 【4】

 街道に、戦いの音が響き渡る。
 荒々しい獣の息遣い。空を切る鋭い爪。獰猛な唸り声を上げる黒い獣の口からは、鋭い牙がのぞいている。
「みんな、固まるんだ!」
 剣を振るいつつ声をあげるアーヴェル。猛る獣たちの攻撃をかいくぐりながら、的確に一匹、また一匹と仕留めていく。その動きは鍛錬を重ねた剣士のそれで、横で呪文を唱えようとしていたリファは思わず目を見張る。
「アーヴェル、あなたは……」
「え?何?っと……!」
 迫り来る獣の爪をすんでの所で体を捻ってかわし、返す刃で獣の前足を切り裂く。飛び散る血飛沫が地面を濡らし、獣が一瞬ひるんだところに、短く唱えたリファの呪文が決まった。
 獣の姿が一瞬陽炎のように揺らめいたかと思うと、まるで塵が風に飛ばされるかのように姿が崩れていく。
「うわぁ、すごいなリファさん」
 思わず賞賛を送るアーヴェル。と、
「後ろ!」
 アヴィーの声に、振り向きざま剣を振るうアーヴェル。
 ザンッ
 肉を切り裂く鋭い音。そして次の瞬間、どさり、と地面に落ちた黒い獣はそのまま動かなくなり、そして風に消えた。
「ふぅ……」
 苦々しい顔でアーヴェルはため息をつくと、辺りを見回した。
 街道で唐突に三人を襲った黒い獣は全部で五匹。そのうち三匹はアーヴェルが倒し、二匹はリファが魔術で倒した。戦いの技術を持たないアヴィーは邪魔にならないよう、且つ標的にならないようにリファとアーヴェルの間でじっとしていたが、その彼女は戦いに怯えた様子も気分を悪くした様子もなく、ゆっくりと立ち上がって服の汚れを払っている。
「なんとかなったか」
 ほっとした様子でアーヴェルは剣を振るって血を落とし、布で残った血を拭い落として鞘に戻す。その流れるような一連の動きは、どう見ても剣の扱いに長けた者の動作だった。しかし、その表情は暗い。
「大丈夫ですか、アーヴェル。顔色が悪いようですが……」
 心配そうに問いかけるリファに、アーヴェルは小さく笑顔を浮かべて答える。
「あぁ、大丈夫。ちょっと疲れただけだよ。こいつ重いからさ」
 途端に、今しがた鞘に収めたばかりの剣からぽんっとジーンが姿を現し、アーヴェルの首を締め上げにかかった。
「重いとはなによ、重いとはっ!アタシは風のように軽いっていつも……」
「……重いんだよ」
 そのジーンを強引に振りほどいて、アーヴェルは視線を落とす。その様子に、尚もまだ食って掛かろうとしていたジーンも言葉を飲み込んでアーヴェルをじっと見つめた。
(アーヴェル……?)
「さ、早いとこここから離れようぜ。血の匂いをかぎつけて、他の奴が襲ってきたりしたらたまらないからな」
「……そうですね。さあジーン、戻ってください。アヴィー、行きましょう」
 言いながらアヴィーを振り返るリファ。戦いの痕跡だけが残る地面にしゃがみこんで何か呟いていたようなアヴィーは、リファの言葉にすぐ立ち上がって、すたすたとアーヴェルの横に立って歩き始める。
「何をしていたんです?」
「お弔い」
 短く答えるアヴィー。
「弔い、ですか?でもあれは、低級の魔獣です。月にいる魔族が何者かに召還されて、かりそめの姿をしていたに過ぎません。かりそめの肉体が滅びれば、彼らは月に還るだけです」
 空の彼方にうっすらと見える白い月。月には魔力が満ち溢れ、魔神リィームが創造した魔族が住んでいるという。彼らは召還に答えて地上へと舞い降り、かりそめの姿を得て召還者の意に従う。
 召還者の力量により呼び出される魔族の種類は異なり、位が高いほど強い自我と知性を有し、人の姿をとる事さえできる。しかし低級となればせいぜい獣の姿を借りる程度が限界で、敵を襲う程度の命令しか受け付けず、中には召還者の命令を無視して野に下り、闘争本能のままに他の動物や旅人などを襲うものもある。
 今回襲ってきたのもどうやらそういった、野良魔獣の類だったようだ。
 そんなリファの説明に、しかしアヴィーは首を横に振る。
「これは、命を奪うことに対する、ごめんなさいの気持ち。この気持ちを忘れたら、いけないと思うから」
「アヴィー……」
 一瞬戸惑いを見せたリファだったが、すぐに頷いてみせる。
「そうですね。無益な殺生は控えるべきですし、例えやむをえない状況だとしても、命を奪う行為自体に変わりはないですからね」
 言いながら、リファは心の中でアヴィーを思う。
(戦い慣れをしているわけでもない、今まで神殿でごく普通に生きてきた少女が、どうしてこんな、崇高な戦士の心を持っているのか……不思議ですね)
「そうだよな。俺も、ほんとは殺したくなんて無かったんだ。でも……」
「やらなきゃ、私達が殺されてた。アーヴェルは悩むことない。でも、命を奪うことに慣れすぎて、命を軽々しく考えるようになっちゃ駄目」
 アヴィーの言葉は、慰めであり教えだった。下手をすれば十歳も離れている少女の言葉に、アーヴェルは重々しく頷く。
「そうだな。忘れないよ、アヴィー」
「さあ、行こう。ほら、ジーン」
 まだ実体化したまま宙に浮いていたジーンを見上げるアヴィー。
「はいはい。戻るわよ」
 先ほどの暴言に対する不満が消えない様子のジーンだったが、おとなしく剣の中に戻っていく。
 アヴィーの言葉には素直に従うジーン。今はアーヴェルが携えている聖剣ケルナンアーク、その剣に宿る精霊であるというジーンは、自らが主人と定めたアヴィーではなく、このアーヴェルが自分を使っている事がまず気に入らないらしい。
 本人曰く、
「なよっちい男は嫌いなの」
 だそうだが、アヴィーが自分には剣を振るう技術がないのでアーヴェルに力を貸してと頼んだために、本当に渋々といった具合でアーヴェルの腰に佩かれることを承諾したのだった。
(ったく、なんでアタシが……)
 剣の中に戻っても、ジーンには外の世界を見る事が出来る。そんなジーンの目に、歩き出した二人の後を追って歩き出すリファの姿が映った。
(あの魔術士ったら……なんなの?)
 先ほどの一戦でアーヴェルもリファの魔術の腕に感心していたが、ジーンはもっと驚きを覚えていたのだ。
 低級とはいえ魔獣には生半可な呪文は通用しない。それを、リファは短い呪文詠唱でこともなげに葬った。あんな事は、そこいらの魔術士には出来ない芸当なのだ。
(ほんと怪しさ全開よね。こんな凄腕の魔術士が、なんでこの二人にくっついてきてるのかしら?)
 ジーンの疑問を知る由もなく、三人は夕暮れまでに野営地を見つけるべく、足取りを急いでいた。

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