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第三章 失われた記憶 【7】

 何もない、真っ白な空間に、彼は浮かんでいた。
 辺りを見回すと、目の前にふっと、ある光景が映し出される。
(これは……)
  中央大陸ガイリア、ラルス王国が首都ラルスディーンにあるガイリア本神殿の一室。 窓の外にはラルスディーンの象徴である白亜の王城、ハインスタークの尖塔が見える。
 神官長の前に立つ、二人の若い神官の後ろ姿。
 一人は長い銀髪の青年。もう一人は明るい茶色の髪の青年。
 どちらもガイリア神官の服に身を包み、覇気のある表情で神官長の言葉を待っていた。
「二人には、死霊使い討伐に行ってもらう」
「死霊使い!」
 銀髪の青年が驚きの声をあげる。神官長は頷いて、先を続けた。
「そうだ。ライドの町で最近起こっている連続子供誘拐の犯人だ」
(これは……オレの記憶なんだ……)
  彼がそう認識した途端、ゆっくりと流れていた映像が、ぐんぐんと進んでいく。
 同僚の見送りを背にラルスディーンを出発し、街道を進んでいく二人。着慣れた旅装束、腰の長剣も使い込まれている。すれ違う旅人と笑顔で挨拶を交わす二人は、やがて一つの町にたどり着く。 邪悪なる死霊使いの被害を蒙っているライドの村だ。 ライドの村にあるガイリア分神殿にて、神殿長の歓迎を受ける二人。
「この分神殿の者では、奴に太刀打ちできません。もう何人もが奴の呪いによって…」
「オレ達の手におえるのか?」
 心配気に呟く銀髪の神官に、茶色の髪の青年は不敵な笑みを浮かべる。
「やってみなきゃ分からないだろ!すぐに応援も来る手はずだ。行こうぜ!」
 再び映像が進んでいく。村の外れにある暗い森。そしてその奥深くにある洞窟に踏み込んでいく二人。
(……これより先は……)
 自分の表情が青ざめているのが分かる。この先に起こる惨劇。それを見る事に耐えられるのか。
(いや。受け止めるんだ。自分のために!アイツのために!)
 映像が進む。
  暗い洞窟の中、突如二人を襲った死霊達。そして、村からさらわれ邪悪な命を吹き込まれた子供達の、見るも無残に変わり果てた姿。
 そして、その後ろに佇む、邪な光を眼に宿した死霊使いの老人。
 音のない戦いが繰り広げられる。
 死霊達に力を吸い取られ、子供の姿をした魔物に切りつけられる。
 死霊使いは邪悪なる術で、二人の視界を妨げ、動きを縛る。
 光の呪文で闇を打ち払い、立ち向かうガイリア神官の二人。しかし、どう見ても彼らが劣勢だった。次第に疲弊し、後退する二人に、彼らは容赦なく襲い掛かる。
 そして。
 銀髪の青年に向けて振るわれた大鎌の前に身を投げ出す、茶色の髪の青年。かばわれた形になった銀髪の青年ははっと振り返り、そしてその光景を目に焼き付ける事になる。

『リューン!』

 言葉にならない絶叫。そして。

『逃げるんだ、ユーリー!……』

 その呟きを残して、茶色の髪の青年は、息を引き取った。


  映像が途切れる。そして、白い静寂が彼を包んだ。
(俺は………ユーリーだ)
 ユーリー=ネヴィル。ガイリア本神殿に所属する神官戦士。 相棒であるリューン=ゼストと共に数々の戦いを潜り抜け、多くの人々に笑顔を取り戻した、光の使徒。
「あの時オレは、そのまま逃げ出したんだ……」
 相棒を喪った悲しみに、記憶まで投げ捨てて。
 彼は逃げ出した。遠く、遠く。
 そしてそのまま彷徨い続け、アヴィーの住むリネルの村まで辿り着いたのだ。
  失っていた記憶。それを封じていた、悲しい出来事。
(リューン……)
 ぐっとこぶしを握り締めるユーリー。と、彼の目の前に、すっと光が集まる。
 光は人の形となり、やがて輝きを薄れさせていった。
 その顔は、つい先程映像の中で見た、懐かしい顔。
「リューン!」
 ユーリーの言葉に、リューンはよう、と片手を挙げてみせる。
 その仕草は昔の彼そのもので、ユーリーの心に懐かしさと、悲しさを溢れさせた。
「これは……俺は一体……」
『……オレが死んだ事が、お前には重すぎたらしいな。逃げ出したお前は、ずっと叫んでいた。ずっと泣いていた。お前の心の叫びは、死んだオレの魂にまで届いた。このままじゃ、お前はおかしくなっちまう。壊れてしまう。そう思って、オレはガイリア様に願ったんだ。お前が立ち直れるようになるまで、こいつの記憶を封じてくれってね』
「リューン……」
『なあ、ユーリー。オレが死んだのは、オレのせいだ。あの時素直に応援を待てばよかったんだ。ま、オレは短気で無鉄砲だからな』
 リューンは、ユーリーの幼馴染だった。血気盛んなリューンを止めるのは、いつでもユーリーの役目だった。そして、この腐れ縁は永遠に続くものだと、じて疑わなかった。
 それなのに。自分をかばって彼は死に、死んだ後まで自分を想い、心を砕いてくれたというのだ。
「……リューン……」
『もう、大丈夫だな。ならオレは行くよ』
 あっさりした物言いに、ユーリーはそうか、と頷きそうになった。慌てて聞きなおす。
「行くって、どこへ?」
『どこへって、輪廻の輪に決まってるだろ』
 ファーンでは、命は死した後、輪廻の輪に加わる。そして再び、ファーンの大地に生まれてくるまでを過ごすのだ。神の慈愛に包まりながら。
『ガイリア様とユーク様に頼んで、待ってもらってたんだ。もう行かないとな』
 そのリューンの背後に、再び光が集まる。そして、光は一人の女性の姿をとった。
 シルトでユーリー達を歓迎してくれた、あの神官の女性。金色に波打つ髪は、まるで女神ガイリアのよう。
「……まさか、あなたは……」
 ユーリーの呟きに、神官は微笑んでみせる。そして、リューンに手を差し伸べた。
 リューンは振り返ってその手を取ると、ユーリーを見る。その瞳には、子供の頃と変わらない輝きがある。
『それじゃあな』
「待ってくれ、オレは…ようやく思い出したんだ。やっと、お前に……」
 あの時彼が庇ってくれなかったら。死んでいたのは間違いなくユーリーの方だった。
 感謝を。そして、謝罪を。
 さっきからそう思っているのに、言葉にならない。こみ上げる想いが彼の喉に詰まってしまったかのように。
 そんな彼の心情を察したのか、リューンはちょっと怒ったような顔で言う。。
『ありがとうとか、すまなかったなんて言葉は聞きたかないぞ。そんな言葉一つで終わられてたまるか』
 感謝されたくて命を投げ出したわけでも、謝って欲しくて死してなお、ユーリーの前に出てきたわけでもない。
『オレは、できる事をしただけだ。もし何かしなきゃ気が済まないってなら、二度と自分を見失うな。そして、オレの事を忘れないでくれ』
 リューンの全身が光に包まれ始める。
「約束する。もう忘れない。絶対に忘れない!」
『よし、約束だぞ!二度と忘れてくれるなよ。じゃあな。またどっかで会えるさ。ガイリア様の愛がお前に降り注ぐよう、祈ってるから』

 そして。

 光の奔流。
 神々しい光が、ユーリーの心まで真っ白に染めていく。
 最後にリューンの笑顔を脳裏に焼き付けて、ユーリーの意識は遠くなっていった。

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