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第四章 邪なる炎の乱舞【1】

そは 邪なるもの
昏き炎 禍々しき渦
心の陰に潜む
黒き竜神
そは 心持たぬもの
魂無きもの
なれど 暗き炎の熾るがまま
世界に破壊と混沌を振りまかん


                      吟遊詩人の歌 《勇者への賛歌》叡智の章より



「ようこそルース大神殿へ。ご用件をお伺いします」
 柔和な笑みを浮かべる神官の青年は、呆気に取られてただ口をあんぐりとあけている青年を見て首を傾げる。
「?どうかされました?」
「い、いや……その……」
 慌てて口を閉じ取り繕ったものの、アーヴェルの顔にははっきりと「なんだこりゃ」と書かれていた。
 それもそのはず、彼らがはるばる中央大陸から目指してきた目的地の一つ、ファーン全土のルース神殿を束ねる本神殿は、まるで廃墟のような様相を呈していたのだ。
 石造りの建物は蔦がびっしりと絡まり、階段や石畳は苔生している。元々は円筒形の、重厚な造りの建物なのだろうが、蔦やら苔やら生い茂る植物やらのおかげで、ここが建物である事すら遠くからではにわかに判別しにくいほどだ。知らない人が見たら遺跡と勘違いするのは間違いない。
「我々は旅の者ですが、少々調べたいことがあってこちらへ伺った次第です。こちらの書庫を見せていただくことはできますか?」
 驚いている二人を尻目に、リファがいつも通り丁寧な口調で交渉を始める。
「勿論ですとも。どうぞ中へお入り下さい。ただし、旅の方には失礼かと思いますが、入り口で武器を預けていただく決まりになっております。ご了承いただけますか」
「武器を?」
 なぜ?と言いたげなアヴィーの顔を見て、その神官は恐縮しながら続ける。
「ルース神は知識を司る女神。武力を厭われる方ですので……。勿論、皆様方が神殿内で乱暴な行為をされるような方々とは思えませんが、決まりになっておりますので、何卒ご了承下さい」
「別に構わないけどさ。それじゃ、これ」
 アーヴェルが腰から剣を鞘ごと外し、無造作に神官に渡す。きっと今頃ジーンが心中穏やかでない事だろう。後で延々と文句を言われそうだが、アーヴェルはそんな事は思いもよらないようで、同じく神官に小刀を渡すアヴィーに何事か喋りかけている。
「それでは、案内していただけますか」
 こちらも杖を神官に預け、リファが言った。神官は武器を両手でこわごわと抱えながら、リファの言葉に頷いて、どうぞ、と歩き出した。


「なんだ、中はすごい綺麗なんだな」
 大広間を横切りながら、辺りを見回してアーヴェルが呟く。そんな彼に、案内役の女性が、ちょっといたずらっぽい瞳で問いかけてきた。
「中も廃墟みたいだと思われましたか?」
 彼女は、なんとこの神殿を束ねる大司祭だという。そんな大物が、入り口で目的を話したアヴィー達を見て、快く書庫への案内役を引き受けてくれたのだ。
 最初は自分達で探すからと断ったのだが、ここは世界中の知識が集結する場所、集められた書物の量は半端なものではなく、整理を担当している本神殿の神官達ですら、自分の担当書架の内容を覚えるだけで精一杯なのだという。そんな訳で、彼女が案内役を買って出てくれたのだった。
「あ、いや、それは……」
 口ごもるアーヴェルに、彼女は笑いかける。
「いいんですよ、ここを初めて訪れた方は口を揃えて、まるで遺跡のようだと仰います。でも、私達が外のお掃除を怠っているわけではないのですよ」
「え、そうなんですか?」
 きょとんとするアーヴェルが面白いのか、司祭はくすくす笑いながら教えてくれた。
「本神殿というのは、その神が司る力が満ち溢れている場所に建てられます。ここは大地と智の女神ルースの本神殿ですから、ファーン全土で一番大地の力が強いこの場所に建てられています。ここでは植物の成長が早く、また植物自体も生命力豊かで、蔦なども取ってもとっても伸びてくるので、自然のままにしているんです」
「な、なるほど……」
 それでは、建物全体が蔦で覆われるような状態になっても不思議ではない、かもしれない。
「でも、窓まで塞がれてて不便じゃないんですか?」
 かろうじて正面の扉は開くになっているものの、窓の類はすべて蔦に覆われて開かなくなってしまっている。おかげで中は、まるで洞窟の中のように暗い。そのせいで、真昼間でも魔法の光で明かりを取らなければならないほどだ。
 しかし彼女は笑って首を横に振る。
「まあ、確かに多少の閉塞感はありますが、書物を守るためにはちょうどいいんです」
 書物は日の光に弱い。文字は薄れ、紙は焼けてしまう。そうなれば、折角の貴重な書物が痛み、やがては失われてしまう。それを防ぐためにはかえって好都合だというのだ。
 彼らが横切っている大広間にも、壁際に天井まで届く書架が連なり、あちこちには閲覧用の机と椅子が配置されている。そこで静かに書物にかじりついている人間が何人か見られるが、ほとんどは旅のルース信者らしい。この本神殿に仕える者たちは、日々書物の整理に追われているのだ。
「さあ、こちらです。階段になっていますから、踏み外さないように気をつけてください」
 大広間を抜け、地下へと続く階段を神官は指し示した。階段の横には「地下書庫・許可なく立ち入りを禁ず」と書かれた札が下がっている。そして階段は、まるで地の底まで続いているかのように、終点が見えない。
「地下に?」
 アヴィーの言葉に大司祭は頷く。
「ええ。重要な書物は地下の書庫に保管されていますから。あなた方が求めている邪竜に関する資料は地下三階の特別書庫にあります。そこまで降りていきますから、足元に注意してついてきて下さい」
 そう言って、慣れた様子でスタスタと階段を降り始める大司祭。見た目五十代ほどの彼女だが、その足取りは軽い。その後ろを、やはりスタスタとアヴィーとリファが続く。
「なんか、落ちたら痛いじゃ済まなさそうだなあ……」
 暗い足元に逡巡するアーヴェル。その声が聞こえたらしく、すでに姿が闇にのまれている大司祭が
「よく足を滑らせる人がいるんですよ。でも、まだここで死んだ人はいませんから」
 と物騒な言葉を返してくれた。
「ふぅ……俺、暗いの苦手なんだけどなあ……」
 ブツブツ言いながら、ゆっくりと階段を降り始めるアーヴェル。
「ちなみに、落ちたら全員、終点までまっ逆さまですから気をつけてくださいね」
 振り返らずに怖い事を言ってくる大司祭。
「ちなみに、終点は地下何階なんですか?」
 尋ねるリファに、神官はにっこりと笑って答えた。
「ほんの地下五階ですわ」

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