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Chocolate 〜マリーアンの店〜

 そのお店は、おしゃれな店が立ち並ぶ商店街の一角にありました。
 帽子屋と花屋に挟まれた、こじんまりとしたお店。硝子の陳列棚には、まるで宝石のように艶やかなお菓子が並べられています。
 そう、ここはチョコレート専門店『マリーアン』。少し前までは王侯貴族しか口にすることの出来なかった高級菓子を取り扱う、ちょっぴり変わったお店なのです。
 店を切り盛りするのは年齢不詳の美女マリーアン。店の名前は彼女の名から取られていますが、その名で呼ぶ者はほとんどいません。
 常連客は口を揃えてこう言います。『海賊のチョコレート店』と――。


「なんで髑髏……?」
 店の壁に掛けられた髑髏の旗を見上げながら、しきりと首を傾げている少年に、マリーアンは妖艶な笑みを浮かべて答えます。
「なんで海賊旗を飾っているのかって? ……実はね、とびきり情熱的な逸話があるからなのよ」
「逸話?」
「チョコレートと海賊旗にどんな繋がりがあるっていうの?」
 それまで陳列棚にへばりついていた女魔術士までもが話に乗ってきたので、マリーアンはくすりと笑って陳列棚からぐいと身を乗り出しました。
「あら、知りたい? 魔術士さん」
「ちょっと気にはなるわね」
「俺も俺も!」
 遠方からやってきたという二人組の声に答え、マリーアンははいはいと頷きます。
「それじゃあ話してあげましょうか。とある女海賊の冒険譚をね」


 昔々あるところに、八つの海を荒らし回った女海賊がおりました。
 『海賊女王』『血塗れの女神』と恐れられた赤毛の女海賊。彼女に奪えないものはないと、もっぱらの評判でした。
 ある時、彼女は南大陸の小さな島に、金よりも価値のあるお宝が山ほど眠っているという噂を聞きつけて、大勢の部下を引き連れて海を渡り、名もない島へと辿り着きました。
 ところが、その島には先客がいたのです。
 島の入り江に停泊していた巨大な船は、名のある貿易商の船でした。そんな船が、こんな辺境の島に何の用があるのでしょう?
 不思議に思った女海賊は、精鋭を募って小舟で島に渡り、様子を窺うことにしたのです。
 夜陰に紛れて上陸した彼女達は、そこで一人の傷ついた青年と出会いました。褐色の肌をした青年は、彼女達を見るなり、片言の大陸語でこう叫んだのです。
「助けて! 仲間、苦しんでる! 《島の宝》、なくなる」
「どういうことだい?」
 眉をひそめる女海賊に、青年は険しい表情で語り出しました。一年ほど前、沖で難破した船の乗組員を助けたこと。彼らを介抱し、仲間として迎え、その証として《島の宝》を見せたこと。やがて傷が癒えた彼らは小舟で漕ぎ出して行き、そんな彼らに《島の宝》を少しだけ分け与えたこと――。
「それからずっと、島、平和。しかし、あの船、やってきた」
 それは三月ほど前のことだと、青年は指折り数えて言いました。船から下りてきたのは大勢の異国人。彼らは《島の宝》を寄越せと迫り、そればかりか島の住民達に強制労働を強いているというではありませんか。
「その《島の宝》ってのは何なんだい?」
「生きる、宝石。なんでも治す、薬。とても、大切」
 拙い言葉で一生懸命に事情を語る青年にすっかり心打たれた女海賊は、どんと胸を叩いてこう言いました。
「よし分かった。その宝、あたい達が取り返してやろうじゃないか!」
 そうして青年の案内のもと、女海賊は勇猛なる部下達と共に、住民達を苦しめる悪徳商会を一網打尽にし、島の救世主となったのです。
 強制労働に喘いでいた住民達は彼女らを口々に讃え、そしてせめてものお礼にと《島の宝》を分けてくれました。
「――これが、宝?」
 それは、鮮やかな黄緑色をした大きな木の実。
 拍子抜けして地面にへたり込む女海賊に、青年は実を半分に割って中身を見せてくれました。
「これ、薬、なる。それと、おいしいお菓子、できる」
 だからこそ、この木の実は秘薬や高級菓子の材料として、高値で取引されていたのです。それらはもっぱら王侯貴族へ献上され、庶民の口には入りませんでしたから、女海賊が知らないのも無理はありませんでした。
「お菓子? これが?」
 半信半疑の女海賊に、青年は《島の宝》を使った飲み物や菓子の作り方を教えてくれました。
 何日もかかって、ようやっと完成したそれは、甘くて美味しいチョコレート。
 二人で分け合って食べたそれは、まさに幸せの味。
「こんなに美味しいものがこの世にあったなんて……!!」
 感動に打ち震える女海賊に、青年は白い歯を見せて笑いかけました。
「この島では、女が男にこれを贈る、求愛の証」
「な、な……なんだって!!」
「私、受け取る。愛しい人、ずっと一緒」
「馬鹿言うんじゃないよっ!!」
 真っ赤になった女海賊は、そのまま部下達を急きたてて船へ戻ると、急いで島を離れようとしました。
 ところが、帆を張って大海に滑り出した海賊船を、手漕ぎの船が追いかけてくるではありませんか。
 猛然と櫂を漕ぐ青年の姿を望遠鏡で捉えた女海賊は、部下達が止めるのも振り切って、迷わず海へと飛び込みました。

 こうして二人は永遠の愛を誓い合ったのです――。


「……なるほど。随分と情熱的なお話ね」
「でしょう? だからうちでは、その逸話にちなんで海賊旗を掲げてるってわけ」
 見れば、陳列棚に並んだチョコレートには『愛は奪うもの』とか『恋は戦争』などという物騒な名前がついています。
「お客さんも、意中の相手にいかが?」
「生憎だけど、そんなのはいないわ」
「っていうか、男の人の方が逃げてくよね」
「なんか言った!?」
「あだだだだだっ」
 ほっぺたをぎゅうと引っ張られて少年が呻き声を上げていると、奥の扉からお盆を持った男性が現れました。手にしたお盆の上には、食べるのが勿体ないほど美しいチョコレートが並んでいます。
「マリーアン。新作、出来た」
 まるで女王に宝を献上するかのごとく、恭しくお盆を差し出した彼の肌は、それは見事なチョコレート色。
 思わず顔を見合わせる二人の前で、お盆を受け取ったマリーアンは目を輝かせます。
「まあ、あなた。今度の新作も最高の出来栄えね。とても素敵」
「君より素敵なもの、ない」
 人目も憚らず甘い会話を交わす二人に、ご馳走様と呟く女魔術士。そして、茶目っ気たっぷりに尋ねます。
「ところで、その女海賊と島の青年は、その後も幸せに暮らしたのかしら?」
「勿論よ。ねえ、あなた?」
「うん。愛しい人」

 口にしたら消えてしまうかもしれない
 儚い思いを 菓子に託して

「なんか……すごい人達だったね」
「八海の覇者がこんなところでお菓子売ってるだなんて、さすがの私もびっくりしたわ。……ほら、あんたにも一個だけ分けてあげるわよ。ありがたく思いなさいよね」
「……リダがお菓子を分けてくれるなんて、明日は雨かな」
「いらないなら返しなさいよ」
「やだよっ」

 ほろ苦い思い出も いつかは甘く溶けるでしょう
 チョコレート それは心を癒す魅惑のお菓子――


おしまい

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