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剣と鞘
 倒壊した棚と、そこから崩れ落ちたガラクタに挟まれて、それはひっそりと主を待ち侘びていた。
「――あったあ!」
 全身埃まみれの少年は泣き笑いの相でそれを取り上げ、高々と掲げてみせる。濃紺の古びた鞘。昨日から刀身と離れ離れになっていたそれは、窓から差し込む光を浴びて、まるで喜びに満ち溢れているようだった。
「はいはい、良かった良かった」
 投げやりな相槌を打ったのは、部屋の片隅で座り込んでいた金髪の魔術士だ。埃を吸い込まないよう、わざわざ風の結界まで張って傍観を決め込んでいた魔術士は、喜色満面の少年を横目に立ち上がり、無造作に杖を一振りして結界を解く。
「やれやれ、時間がかかったもんだ。だから私が魔法で片付けてあげるって言ったのに」
「いいい、いいよ。――リダがやったら部屋ごと吹っ飛びかねないもん」
 後半は独り言だったが、地獄耳の彼女に聞き取れないわけもない。たちまちガラクタを踏み分けて迫ってきた魔術士にこめかみをぐりぐりやられて、悲鳴を上げる。
「いたたたた、痛いってリダ!」
「どうしても鞘を探すんだって言うから、出発を延ばしてまでつきあってあげてるんだ。ここは感謝するところじゃないの?」
「だっ、だから、俺一人で取りに行って来るから先に行っててって言ったじゃないかあ!」
「また一人で行動して、妙な連中に攫われたら困るだろ」
 それを言われると、ぐうの音も出ない。何せ、盗賊ギルドに攫われたギルが、自力で脱出したのはつい昨日のことだ。
 逃げ出した際にマヌアの手に残してきてしまった鞘を回収せんと、昨日までいたこの部屋に戻ってきたのはつい一刻ほど前のこと。リダの脅しが効いたのか、部屋はもぬけの殻になっており、当然のことながら部屋の中もギルが逃げ出した時そのままに、足の踏み場もない状態のまま放置されていた。
「ついでだから、使えそうな物を失敬していこうか」
 ちゃっかりとあちこちを物色するリダを横目に、ギルは埃に塗れた顔を腕で拭い、いそいそと荷物から布でぐるぐる巻きにした物体を取り出す。
「見つけたよ。父さん」
 布を取り、きらりと光る刀身をゆっくりと鞘に差し入れれば、するすると一分の隙もなく納まって、いつもの見慣れた姿に戻る。まさに『元の鞘に納まった』父の形見を握り締め、剣帯に戻せば、しっくりと来る重みが心地いい。
「見つかって良かった。こればっかりは既製品の鞘で代用ってわけにはいかないし」
 量産品ならば同じ形の鞘に取り替えれば済むだろうが、何せ形見の短剣は隣国の盗賊ギルド謹製だ。
「さ、こんなところに長居は無用だ。さっさと行くよ!」
 目ぼしい戦利品を見つけられなかった腹いせか、木箱を蹴っ飛ばしたリダはくるりと踵を返す。慌てて追いかける少年に手を振るように、明り取りの窓から差し込む日差しの中で、埃がキラキラと舞っていた。

「……行くよって、食事に行くってことなの?」
 ギルドを後にしたリダが、まるで吸い寄せられるように入って行ったのは街角の食堂で、呆れ顔のギルにリダはふんと鼻を鳴らす。
「食事時に食事をしないなんて、食事に対する冒涜よ」
 訳の分からない理屈だが、三日間の絶食の後ではその言葉も身に染みる。とはいえ、いきなり馬鹿食いすると危険なので、普段の半分以下という、ささやかな量の注文をするにとどめた。
「早く普通に食べられるようになりたいなあ」
 思わずぼやくギルに、リダはしかつめらしく「あと三日は我慢ね」と言い放ち、すっと席を立つ。手洗いに立つ時はいつもそうなので、気にせず料理が来るのを待っていると、背後から突然、声をかけられた。
「ねえ君。あの魔術士さんの仲間、だよね?」
 怪訝そうに振り返れば、そこには絵に描いたような『ナンパ男』が衝立越しにこちらを覗いているではないか。
「はあ、まあ……そうですけど?」
 その返事に、男はまるで珍しい生き物でも見るような目でギルをじろじろと眺め、感心したような声を出す。
「ふうん、なるほどねえ」
「あの……何が『なるほど』なんですか」
 思わず尋ねると、男は訳知り顔で話し始めた。
「彼女、三日くらい前からこの辺で見かけたんだけどさ……」
 ただでさえ魔術士の姿は目立つのに、更にあの美貌だ。それはもう注目の的だったそうだが、その纏っている雰囲気に呑まれて、誰一人として声をかけられなかったというのだ。
「なんかもう、抜き身の刃みたいな、ちょっとでも近寄ろうものならすっぱり切れてしまいそうな様子で、みんな気後れして目すら合わせられなくてさ」
 だから、さっき店に入ってきた時はびっくりしたよ、と男はどこかほっとしたような顔で続けた。
「憑き物が落ちたっていうか、自然に話して、笑ってるからさ。なんでかなと思ったんだけど、きっと君がいるからだね」
 今度はギルが目を見張る番だった。自分が監禁されている間、リダが怒りに任せてあちこちのギルド支部を潰して回っていたのは本人から聞いたが、まさかそんな殺気立った様子で町を徘徊していたとは。
「――で、二人はどういう関係なんだい?」
 にんまりと笑いながら尋ねてくる男。答えに窮し、頭を掻いているところにリダが戻ってきたので、男は逃げるように衝立の向こうに姿を消し、ほっと胸を撫で下ろすギルの向かいに腰かけたリダは、今のやり取りには気づかなかった様子で、食卓に頬杖をついて料理を待ち侘びている。
 その気の抜けた様子からは、『抜き身の刃』と評された数日前の姿を想像することは難しい。
 先ほどの男は、『君がいるから』と言った。となれば、自分はリダ――そのままでは色々な意味で危険な人物――にぴたりと添い、包み込む、そんな存在になれたのだろうか。
「ねえ、リダ」
「何よ!?」
 機嫌が悪そうな声色は、きっと空腹のせいだ。今、妙なことを聞いたら張り倒されそうなので、少年は思いついた考えをそっと胸の奥にしまいこみ、慌てて違う話題を探す。
「あのさ、俺がいなかった間、リダも食事を抜いてたの?」
「別に! あんたに付き合ったわけじゃないよ。忙しくて食事する暇がなかっただけなんだから!」
 当たり障りのない話を振ったつもりが、逆に怒らせてしまったようだ。しかし、食事と睡眠にだけはこだわるリダが、わざとではないにせよ食事を忘れてまで捜索に打ち込んでいたとは、まさに驚愕の事実だ。
「はい、お待たせしました!」
 やっと運ばれてきた料理に、険悪な雰囲気はあっさりと吹き飛んで、ほかほかと湯気の立つ皿に、我先にと手が伸びる。
「ちょっと、それ私の!」
「早い者勝ちだろ!」
 やっと戻ってきた、騒がしい日常。普通とは少しばかりかけ離れた、それでもギルにとってはかけがえのない『日常』に、自然と顔が綻ぶ。
「? どうかしたの?」
「いや、ご飯っておいしいなって思って」
「当たり前でしょ。二人で食べてるんだから」
 さらりと言われて、ちょうど口に入れたばかりの芋を喉に詰まらせそうになるギル。
「一人で食べる食事って味気ないからね」
 それがリダの絶食の理由だとしても、何だか嬉しい。
「そうだよね!」
 やけに力の入った相槌に首を傾げたリダは、嬉々として大麦粥を口に運ぶ少年に微笑し、そして自身も再び卵スープに匙を突っ込んだ。
「胃が戻ったら、この辺りの名物料理を片っ端から食べ尽くしてやるんだから!」
「ほ、ほどほどにね……」

剣と鞘・終わり

2011.10.30 同人誌『洗濯日和』のおまけ掌編として掲載/2016.03.27 サイト掲載


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