「ジョーカーさん、これなんですか？」
雑然とした店の片隅から、どこか怯えたような少年の声が上がる。
「んー？ 何かナ？」
今にも崩れそうな陳列物の間をひょいひょいとすり抜けてやってきた店主は、少年が指差したものを見て、ああと懐かしそうな声を上げた。
「やァ、こんナところニあったんだネ」
それは、一見すると古びた壷だった。首が長く、胴体はぽってりとしていて、まるで蕪のようだ。その胴体部分には二つの持ち手がついていて、えっへんと胸を張っているように見える。
問題は、その胴体部分に描かれた模様だった。くりくりとした真ん丸い目玉に、にんまりと笑ったような口。今にもしゃべり出しそうな様子に、少年はますます怯えた声を出す。
「また、いきなり噛みついたり、変な呪いをかけてきたりしないでしょうねえ？」
この店で働き出してから今日までに、その類の魔具を発掘しては酷い目にあっている少年は、さすがに慎重になることを覚えたようだ。
「大丈夫だヨ、中身は空だかラネ」
少年の心配をよそに、ひょいと壷をつまみ上げた店主は、すっかり埃を被った壷の、そのおどけた顔をよしよしと撫で回す。
「これはネ、むかーしムカシ、恐ろしイ大魔王が封印さレていたのサ」
「……大魔王、ですか？」
あからさまに怪しげな単語に、思わず眉根を寄せる少年。この店主の話は誇張が多いので、うっかり頭から信じ込むとエライことになる、というのも、この十日間で学習した事柄だ。
しかし店主は澄ました顔で、取っ手に指をかけてひょいひょいと壷を振り回しながら、得々として語り出した。
昔々、砂漠の真ん中にある枯れかけた泉のそばで、一人の旅人が古ぼけた壷を見つけました。壷は砂に埋もれていたので、それを払おうと壷の表面を撫でると、ぼわんと煙が立ち昇り、壷の中から大魔王が現われました。
驚く旅人に、大魔王はこう言いました。
『私はとても強い力を持った大魔王である。しかし、とある魔法使いにこの壷に封印されてしまった。人々の願いを百回叶えた暁には、封印から解かれることになっている。お前がちょうど百人目だ。お前の願いを言え』
旅人は尋ねました。
『なぜ、お前は壷に封印されたりなんかしたんだい？』
『その質問に答えることが、お前の望みか？ では――』
『いいや、違うよ。だって、もしもお前が悪い魔物で、それを懲らしめるために封印されたのだとしたら、おいそれと封印を解くわけにはいかないじゃないか』
まさにその通りだったので、大魔王はぐっと押し黙りました。しかしすぐに、飛び切り怖い顔をすると、
『願い事を言わなかったら、今この場でお前を殺してしまうぞ』
と凄んでみせました。しかし旅人はちっとも怯みません。
『そんな力が使えるなら、とっくの昔に封印を破っているはずだろう？』
また黙ってしまった大魔王に、旅人はこう言いました。
『でもまあ、ずっと封印されっぱなしなのも可哀相だ。よし、私の願い事を言おう』
『ああ、何でも言ってくれ！』
封印から解き放たれたい一心で、大魔王は言いました。
『私の願いはこうだ。この泉が枯れてしまわぬよう、ずっと守ってもらいたい』
願いを口にした途端、壷から光が溢れました。あまりの眩しさに旅人が目を瞑ると、大魔王の慌てた声が聞こえてきました。
『ちょっと待ってくれ、そんな願いはご免だ！ それでは結局、私はこの地に縛りつけられてしまうではないか』
声は次第に小さくなっていき、やがて聞こえなくなりました。
旅人が目を開けると、もう大魔王の姿は見当たらず、古ぼけた壷が転がっているだけでした。
きっと夢だったに違いないと旅人は思いました。そして、顔を洗おうと泉を覗き込むと、そこにはむくれ顔の大魔王が映っていました。
『なんて願い事をするんだ。これで私は未来永劫、この泉に縛られたままだ』
『因果応報というヤツさ。壷の中よりは居心地がいいだろう？ この泉が湧き続ければ、やがてこの周りには緑が生い茂り、動物が集まり、そして人が集まって栄えていく。賑やかになれば、お前も寂しくないだろう』
旅人の言葉通り、そこはやがて砂漠の交易拠点となり、小さな都市へと発展し、そして大きな大きな国として、いつまでも栄えましたとさ。めでたしめでたし。
「泉の国って……もしかして……」
南大陸にある国の名前を恐る恐る呟くと、店主はおどけた顔で、ただの御伽噺だよ、と笑った。
「さア、仕事しごト。昼食までニ、そこの棚の整理を終わらラセといてネ」
非情なる一言に、少年は慌てて掃除を再開したのだった。