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figment
 人間が想像できることは、人間が必ず実現できる――。そんな言葉を残した作家は、果たしてこんな未来を見据えていたのだろうか。
 二十一世紀。異常気象と度重なる紛争で疲弊しきった人類は、とても緩やかとは言いがたい曲線を描いて数を減らしていき、文化的生活を営むにはあまりにも足りなすぎる人手を補うために生み出されたのは『機械人形(アンドロイド)』だった。
 人々の生活を補い、助け、共に歩むための存在。それがアンドロイドだ。彼らは極めて平穏に人間社会へと適応した。洗濯機や冷蔵庫、電子レンジやコンピュータがそうだったように、一度慣れてしまえば最早、その恩恵からは抜け出せない。
 そう、彼らは『家電』として設計された。生活を補うための電化製品。決まった時間に起こしてくれて、一日の予定を把握。冷蔵庫の中身と相談して最適な食事を供し、生活用品の在庫管理もしてくれる。
 彼らの活躍は家庭の中だけにとどまらない。人手不足を補うために生まれた彼らが真っ先に活躍し始めたのは医療や介護・福祉の現場、続いてサービス業界だ。無給かつ無休で働かせても法に触れず、効率的に仕事をこなし、どんな暴言を吐かれようが作業効率を落とすこともない。雇い主にとってはまさに理想の従業員だ。
 アンドロイドに雇用を奪われた人間が暴動を起こす、などという展開も、幸いなことに起こらなかった。なぜなら、奪われる雇用など存在しなかったのだから。
 人類は今この瞬間も、砂時計の砂が落ちるように減り続け、そして砂時計がひっくり返されることは二度とない。
 人類の保全状況は『絶滅危惧』から『絶滅寸前』へ推移し、この先に待つのは『絶滅』のみ。
 残された『ヒト』の数は、もう三桁を切っている。


「……などと悲観的なことを書いてみたわけだが」
 おどけてみせる主人と、ディスプレイに並んだ文字列とを見比べて、秘書型アンドロイドは呆れたとばかりに肩をすくめてみせた。
「何を大げさなことを。まだ五桁も切っていませんよ」
「すでに確定された未来だ。同じことだよ、ラムダ。なにせ最盛期には七十億を超えていたんだから」
 雪崩のような人口減少を止めようとして、各国が必死に対策を行ったにも拘わらず、歯止めをかけることは叶わなかった。世界規模の不況が少子化を加速させたこと、そして新型の流行り病が若年層を中心に蔓延したこともあるが、何より人工子宮の開発が思わぬ暗礁に乗り上げ、頓挫したことが決定打だった。人は、人に似たものを生み出すことはできたが、人そのものを人工的に増やすことが出来なかったわけだ。
 だから、というわけでもなかろうが、人類の絶滅が囁かれ出した辺りから、人工知能と、それを搭載したアンドロイドの進化は目覚ましいものがあった。
 人間と同じように思考し、行動する機械人形。多種多様な外見と思考パターンが用意され、失われた人員の代わりに配置されて、それまでの生活を維持していく。
 おかげで、今でも安全な水が飲むことができ、明るく快適な室内で電子機器を操作することも可能で、更に食事時には豊富な食材を利用した献立が用意される。人手不足をインフラの完全オートメーション化で凌ぐ道を選んでいたら、今とは違った『無味乾燥な未来』が紡ぎ出されていたに違いない。
「ところで、自伝を書かれているのではありませんでしたか? 博士」
 薫り高いコーヒーを注ぎながら、不思議そうに問いかけてくるラムダ。命じたわけではない。主人の生活パターンを分析して、そろそろ休憩を挟むだろうと予想してコーヒーを淹れ、茶菓子まで整えてやってきたラムダは、実に理想的なアシスタントだ。
「これは創作さ。史実を混ぜ込みながら、現実とは違う結末を紡ぎ出そうという試みだ」
 人はそれをフィクションと呼ぶが、ここはあえてファンタジーと呼ぼう。これはそう、空想科学でもない。幻想文学だ。絶望の淵に自ら足をかけた我ら人類が、どのように未来を紡ぎ出すか。それをファンタジーと呼ばずしてなんという。
「なあラムダ。人とアンドロイドの違いは何だと思う?」
「貴方がそれを仰いますか、カレル博士。アンドロイド開発の第一人者、アンドロイドの父。我々は貴方が組み上げたプログラムの上に存在している」
「だからこそ聞いているのだよ。確かに私はR2‐A型アンドロイドの基本設計者だ。私はお前達を『自律する家電』として設計した。自己判断能力を有し、人と共存する家電。人に寄り添うための汎用性と個性。相反するこの二つを両立させることが、どれほど難しかったことか」
 今や様々な企業がアンドロイドを開発・製造しているが、R2‐Aタイプは特に学習能力が高く、柔軟な思考を有していると評判だ。主人に合わせて千差万別の個性を獲得し、優れた学習能力によって日々それを進化させる。それ故、逐一命じずとも絶妙のタイミングでコーヒーを淹れ、好みの茶菓子をストックし、行き詰ったところを見計らって声をかける、などということが出来てしまう。
「お前の見解で構わん。お前はどう考える?」
「そう、ですね」
 言いよどんだのは、それだけ演算に時間がかかった証拠だ。
「アンドロイドは人に仕えます。人はアンドロイドに仕えません」
 この答えは予想外だった。構成要素や機能、繁殖能力。それらに言及するのではなく、関係性について回答したのが、何とも興味深い。
「家電に振り回されている人類だっているぞ?」
「それは家電側の問題です。汎用性が足りていない証拠ですよ」
 意地悪く答えてやると、澄まし顔で反撃された。
「私達は家電です。主人の生活を補助し、不便を解消するための道具。そのようにプログラムされています。故に私はこう思考します。主人に不便を感じさせるような家電は家電失格だ、と」
 なるほど、彼らにも『家電としての矜持』というものが存在するわけだ。
「しかしラムダよ。その関係性は絶対的なものではない。アンドロイドに奉仕されることを厭う人間が現実に存在する以上、アンドロイドに奉仕する人間が出てくる可能性だって否定できないだろう?」
「それは随分と無理やりな逆説ではありませんか?」
 呆れ顔のアンドロイドに、なあにと手を振る。
「どこぞの作家が言っただろう。人間が想像できることは、必ず実現できる、と」
「その言葉はジュール・ヴェルヌ本人の発言ではなく、他者による捏造の可能性が高いそうですよ」
「誰が言おうと名言は名言だ。私はこの言葉を知った時、こう解釈した。『人が考えつくことは、それが実際に起こりえる可能性を否定できない、ということだ』とね。人は想像する生き物だ。ありとあらゆる可能性を視野に入れる」
 もっとも、それら『可能性の枝葉』を地道に剪定して、より実現可能な道を選ぶことが必要であると同時に、その実証作業こそがひどく大変なわけだが。
「そう、それです。博士」
 得たり、とばかりにピッと人差し指を立てるラムダ。誰だこんなモーションを入れたのは。
「私達には想像力がない。それどころか、思考能力を有しているのかも怪しい。我々はプログラムに従って演算しているだけです。これは決定的な違いと言えるでしょう」
 その得意げな顔すらプログラムの産物だと、彼は言っているわけだ。
「何を以て思考と呼ぶのか、か。なんとまあ哲学的なことを言い出したものだ。生き物とて学習なしに行動など出来ん。遺伝子に組み込まれた基礎プログラムだけでは、到底生きられないのだよ。地道に学習して会得した知識や経験を元に判断し、その結果を『意思』と呼ぶ。それが、学習進化するAIの下す『判断』とどこが違うのか、という議論もある」
 生き物はきわめて精密な生体機械である、という見解もある。だからこそ人間は自らの機能を模して、『理想の新人類』を生み出すべくアンドロイドを作り出したのだ、という主張さえあるほどだ。
「ですが博士、想像力はどうです? 私に、貴方よりも素晴らしい、奇想天外な空想小説が書けるとお思いですか?」
「文章力と構成力だけならお前の方が確実に上だ」
「それは否定しませんが」
「容赦ないなお前は」
「博士の論文を清書しているのは私ですよ。これまで何度、文法や綴りの間違いを指摘してきたと思っているんです」
 両腕を組んでふんぞり返るラムダ。これではどちらが主人か分からないというものだ。
「想像力というのは、何も無から有を生み出すことじゃない。確かに、画期的なアイディアが生まれることだってあるだろう。しかしそんなものはごく一部だ。お前が言う『奇想天外な空想小説』だって、大抵は何かの焼き直しだよ。例えばほら、お前だ」
 彼の真似をして人差し指を立ててみせると、ハリウッドスターばりに整った顔のアンドロイドは、驚いたようにパチパチと目を瞬かせた。
「私、ですか?」
「ああ。お前を設計したのは確かに私だが、自律思考する人形という発想は私独自のものではない。三千年以上前にはすでに存在したアイディアだ」
 自律思考する人形というモチーフは、時代や地域を超えて語り継がれている。女神アルルが作ったエンキドゥ、土をこねて生み出されるゴーレム、錬金術の粋を極めたホムンクルス、狂気の研究によって生み出された人造人間――。勿論、これらは神話であり寓話である。だが、人は遥か昔から、そのアイディアに執着しているといても過言ではない。
「なぜ人は自律思考する人形に固執するのか。『自律』が課題なら、わざわざ人の形を取る必要などない。現に、工業用のロボットは製造工程に最適化した形をしているからな。だが、「思考」と「形」を模倣するにはそれなりの理由がある」
 わざとここで言葉を切り、彼の反応を待ってみる。
「その方が作りやすいから、ということではなくて?」
「勿論、それもあるだろうな。だが私はもっと根本的なところに理由があると考えている」
 こんなことを言ったら、それこそお前は笑うだろうか。

「人間はな、友達が欲しかったのさ」

 宇宙人も地底人も海底人も、結局のところ見つからなかった。
 同じ種族同士ですら、時には意思の疎通が困難で。
 だからこそ、きっと。

「友達、ですか」
「そうだ。探しても見つからないから物理的に作ろう、というのだから、何とも業の深いことだがな」
 しかも、作り出したものはどこまでも人に忠実で、どこまでも都合のいい『機械人形』だ。
「人は想像力を持つ生き物だ。だからこそ、自然現象にすら人格を見出し、ぬいぐるみや人形を生涯の友と呼び、物言わぬ掃除ロボットを愛でたりもする。私はね、ラムダ。だからこそ、お前達を生み出したのだ。無機物にさえ命を見出す人間ならば、アンドロイドに魂を吹き込めるだろう。そう願って」
 魂がどこに宿っているのかは未だに解明されておらず、それどころか、科学が進めば進むほど、そんなものは錯覚や妄想に過ぎないことが証明されていく。
 それなのに、人という生き物は、傲慢なほどの想像力で、森羅万象に『魂』を見出していくのだ。科学的根拠なんてものを軽々と飛び越えて、それこそ心の赴くままに。
「私は博士にとって『友』と呼ぶに足る存在なのでしょうか?」
 不安げに尋ねてくるラムダに、勿論だと頷いて。
「お前は私にとって特別な友であり、家族だ」
 共に暮らし、支え合い、時にぶつかっては和解して、また笑い合う。同じ時間を過ごして、思い出を積み上げる。替えの利く家電ではない、唯一無二のパートナーとして。
「というわけでラムダ。老い先短い友の頼みだ、夕飯からピーマンを抜いてくれ」
「いいえ、博士。私は友の長寿と健康を願って、最適な献立を組み上げているのですから」
「融通の利かないやつめ」
 ぐぬぬ、と眉間に皺を寄せる『老い先短い友』に、有能なるアンドロイドは満面の笑みを浮かべて、こう答えたのだった。
「類は友を呼ぶというでしょう?」
終わり


 テキレボアンソロ「imagine」に出した書き下ろしSF掌編です。
 なお、こちらはアンソロ寄稿版と同一内容ではなく、投稿時に余剰かなと思って削ぎ落とした部分を足した補完版となります。
 ちょうど、去年~今年にかけて、アンドロイドが話の鍵となる作品に触れる機会が多かったので、なんか思いっきり引きずられましたが、様々な作品に触れて、私なりに「人と機械人形との付き合い方」を模索していった結果がこの作品です。
 ちなみにこの話、初稿では最期の落ちがピーマンではなく、こんな感じでした。



「ただし、これだけは言っておこう。私はお前がいないと生きられないが、お前は私がいなくとも進んで行ける。だから――その時が来たら、お前が思う道を行きなさい」
「何を仰います。我々は――私は、あなたのために存在する。あなたがいなくなってしまったら――私はどうすればいいのです」
「なに、その時が来れば、きっと分かるだろう。人間が神の手から離れたように」
 創造主()から離れた被造物()は、己の手足で運命を切り開かねばならない。
 その時は、もう近い。
「私から願うことがあるとしたら、我々が生きた証を、後の世に伝えてくれると嬉しい、くらいだな」
 そういうのは得意だろう? と茶化してやれば、生真面目なアンドロイドはもちろんです、と胸を叩いた。
「私の記憶領域には人類史から博士の今朝の朝食まで、すべてが記録されています。私はあなたのことを、決して忘れない。それに、いつかこの体が機能停止したとしても、私の記録は次世代に引き継がれる。人が滅びても、その足跡は消えません」
 だからと言って、とラムダはしかつめらしい顔で釘を刺す。
「満足して、さっさと逝かれては困りますからね。せめてその小説が書きあがるまでは、シャキッとしていてくださいよ」
「こりゃ大変だ。あと百年は生きないとな」
 冗談めかして笑い、コーヒーをすする。そろそろ嗜好品の供給も覚束なくなる頃合いだろう。せいぜい味わっておくとしよう。



 これではあまりに悲観的な終わり方かなーと思って、もっとコミカルに終わらせようと、締めをピーマンに変えました。
 ちなみにまたタイトルで悩んで提出が遅れたクチなんですが、今回のタイトル「figment」は「空想の産物・作り事・虚構」といった意味です。
 なお、カレル博士が説明している「人造人間のアイディア」、なんか某サーヴァントだらけなのはきっと気のせいですよ?(しれっと)
2019.09.16


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