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胃世界紀行

――《竜の口》に入っちゃいけねえよ。あの口に入って出てきたもんは一人もおらんでな――

 そんな風に教えてくれたのは、どこの誰だったか。
 少なくとも、嵐の夜に薪拾いを言いつけた、赤ら顔の村長(むらおさ)でないことだけは確かだ。
 他の子は古臭い迷信だと笑い飛ばしたし、僕もその時はそう思った。
 ――だが、どうだ。
 乾いた枝を探し求めて迷い込んだ洞窟――《竜の口》は、どこまで歩いても果てがない。そうしてあてもなく進むうち、真っ暗でごつごつとした岩肌の洞窟は、気づけば赤黒くて柔らかい『何か』に変わっていた。何というか、まるで――。
「『怪物の腹の中のような』か?」
「!」
 声に出したつもりはないのに、思っていたことをそのままなぞられて、思わず体を震わせる。
「『誰だ』って? それはこちらの台詞だが――まあいい。俺のことは『先生』とでも呼べばいい。ここの連中はそう呼んでいる。甚だ不本意だがな」
 足音もなく――地面が柔らかいのだから当たり前だ――現れたのは、奇天烈な格好をした男の人だった。長い黒髪を結びもせず、変わった形の服を着て、年寄りでもないのに杖を手にした彼は、まるで値踏みでもするようにこちらを睨みつけていたと思うと、また唐突に喋り出した。
「『ここはどこだ』って? ああ、哀れな小僧よ。お前は『飲まれた』んだ。この『胃世界』にな」
 ひょいと指差したその向こう、どこまでも続くと思われた『通路』の彼方に、淡い光がいくつも見える。あれは――集落、だろうか。
「ああ、そうだ。あらゆる時代、あらゆる世界を渡る《竜》。そいつに飲み込まれた哀れな連中が作り上げた、寄せ集めの町さ。ああ、俺の言っている意味が分からんだろうが、じきに飲み込めるだろう。ここで暮らしていれば、否応でもな」
 ここで暮らす? いやでも、早く戻って薪を集めないと、また村長(むらおさ)に怒鳴られる。
「来た道を戻れば元の世界に戻れるとでも思ったか。そんなことが出来るなら、俺だってそうしている。いや――はは、まだ諦めたつもりもなかったのにな。とんだ失言をした。すまん」
 先生と名乗ったその人は、やれやれと髪を掻きあげ、不敵に笑った。
「この俺を飲み込んだのが運の尽きだ。いずれ《竜》の謎を解明して、外に出てやるさ。小僧、お前も早く故郷に帰りたいと願うなら――なに? 故郷じゃない? ああ、そうか。お前は戦災孤児なのだな」
 先生の言葉は難しくてよく分からなかったけど、頭の中が読めるのならば、きっと余すことなく伝わったのだろう。
 戻るべき場所も、大切な家族さえも、そんなものはとうに失って、僕に残されたのはこの身ひとつ。それさえもこの《竜》に飲み込まれてしまったというならば、もう僕には何にもない。
「……なるほど、事情は分かった。その上で問おう。ここでなら、お前はこれまでよりよほど人間らしい暮らしが出来るだろう。ここにはお前を孤児とあざ笑う者も、不当に搾取する者もいない。食事の内容にさえ目を瞑れば、そこそこ快適な暮らしが約束されている。しかし――お前がそれでも『外』を目指すというならば、この俺について来い!」
 伸ばされた手は、自信に満ち溢れていて。
 思わずその手を取ってしまったら、力強く握りしめられた。
「よし、決まりだ。まずはそのずぶ濡れの服をどうにかしてやろう。外は嵐か? そんな時分に薪拾いを言いつけるとは、つくづく性根の腐った村長だな」
 大股で歩く先生に引っ張られて、ずんずんと通路を進めば、やがて目の前に現れたのは巨大な空洞と、そこに築かれた『寄せ集めの町』。あちこちから人の声がして、家々からは炊事の煙が立っている。
「……生活環境の改善に忙殺されてすっかり忘れていたが、こんなところで燻っている暇はない。それを思い出させてくれた礼だ。必ずお前を外に連れ出してやる」
 握られた手に力がこもる。大きくて、あったかくて。もう顔も覚えていないおとうの手を、何故だか思い出した。
 この『先生』は、きっと常人ではない。奇妙な格好で、訳の分からない物言いで、摩訶不思議な力まで持っていて――でも。
「改めて、『胃世界』へようこそ。長の逗留にならんことを祈ろう。お互いにな――って、何で泣く!? どこか痛いのか!? ほら、さっさと見せてみろ!」

 うん。きっと、いい人だ。
 少なくとも、あの村長よりは、ずっと。

「よろしくお願いします、先生!」
「なんだ、泣いたかと思えばもう笑うのか。本当にお前は忙しないやつだな」


 ――こうして、僕と先生の『胃世界紀行』は幕を開けた。
終わり


 タイトル並びに本文中のあれは誤字じゃありません(=_=)
 
 実はその……新年早々、Twetterの変換ミスでやらかしまして……orz
 
 「異世界」と打ったつもりが、変換でミスって「胃世界」になってて、あちゃあと思ったところに次々と「次回作は胃世界ファンタジーですか」というお声が……飛んできたので……折角なので書きました。
 ぱっと思いついたのがこんな話だったのですが、構造を想像すると、ここでいう《竜》は東洋の『龍』の形状(蛇系)な気がする。
 ちなみに来た道を戻っても行き止まりみたいですよ。(先生は何度も挑戦済み)

 ……続くような終わり方ですが、続きは考えてません! というか「僕」と「先生」の名前すら決まってない!
2018.01.08

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