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 薄暗い廊下に、四人分の足音だけが響く。
 攻略を始めてから、どのくらい経っただろうか。『塔』上層階の窓はすべて厳重に塞がれており、外の光が差し込むことはない。おかげで時間経過が把握しづらく、頼りになるのは己の腹時計のみという、何ともしまらない状況だった。
 なにせ、この『塔』では方位磁針や時計の類はまともに機能しない。それどころか、廊下や部屋の位置すら不規則に配置が変わり、地図さえ意味を成さない。
 そう、『塔』はまさに、究極のダンジョンであった。
 これまで何人もの冒険者が挑み、そして儚く散っていった絶望の塔。しかし、それを乗り越えてこそ、得られるものがある。
「ねえ、アルファ。アタシお腹すいたー! そろそろお昼ご飯にしようよー!」
 背後から駄々をこねるような声が聞こえてくる。四人の中でも高精度の腹時計を備えた彼女がこう訴えているのだから、今は間違いなく昼飯時なのだろう。ということは、『塔』攻略から丸四日が経過したわけだ。途中、攻略に手こずった階層もあったが、なかなかに順調な道のりと言えるだろう。
「無茶言うなよ、デルタ。こんなところで休憩するなんて、自殺行為もいいところだ」
 先頭を歩いていた赤髪の剣士が、呆れ顔で首を横に振る。現在攻略中の第九階層は《可動迷路》の階。通路は一人通るのがやっとの狭さで、しかも壁や床が頻繁に動き出して形を変える。うっかり変形に巻き込まれたら一巻の終わりだ。
「もう少しで迷路を抜けるはずですから、あとちょっとだけ頑張りましょう」
 白い僧衣に身を包んだ少女の励ましに、「はあい」とふてくされたような返事をするデルタ。
 彼女とて、いつ怪物が飛び出てくるかも分からない通路のど真ん中で飯を食う行為がどれだけ危険かくらいは理解している。それでもあえて駄々をこねてみせるのは、気合いと勢いだけで突き進んで休憩を忘れがちな仲間達への、彼女なりの配慮なのだろう。道化師もかくやという奇抜な格好をしているが、パーティーで一番の常識人、かつ気配り上手なのは間違いなく彼女だ。
「見ろ、階段だ!」
 しばらく進むと、ようやく上層階へ上るための階段室に辿り着いた。部屋と言うほど広くはないが、ここだけは壁や床が動いたりしないので、安心感が違う。
 念のため、罠の類いがないかをざっと確認したところで、四人組のリーダーでもある剣士アルファは高らかに宣言した。
「ここで休憩しよう」
「ああ、そうだな」
 殿(しんがり)を歩いていた青髪の少年が短い呪文を唱えれば、握りしめた杖の先、青い宝玉に灯っていた光がふわりと浮び上がった。熱を持たない魔法の光が階段室を煌々と照らし、四人の影が石壁に伸びる。
「わーい、ご飯だ! ケイ、早く出して~」
「はいはい、ちょっと待ってくださいね」
 はしゃぐデルタに苦笑しつつ、荷物から携帯食料を取り出すケイ。彼女は治癒術や防御術に特化した神官ゆえ、武器を所持していない。その分、装備が軽いため、パーティーの食料品・医薬品の管理を一手に引き受けている。ここまで飢えずに済んだのはひとえに彼女のおかげだ。これが、深く物事を考えないアルファや、すぐに空腹を訴えるデルタだったら、とっくの昔に食糧が尽きていただろう。
 とはいえ、塔攻略から四日、持ち込んだ食糧もあと一食分を残すのみだった。食べ切ってしまえば、後は現地調達するしかない。塔内部に生息する動植物の中にも食用のものはあるし、ケイはそれらを見分けることが出来る。しかし、「食べられる」と「美味しい」はまた別の話だ。ろくな調理器具もない状況で、進んで試してみる気にはなれなかった。
 そうなると、早いところ最上階まで到達し、最後の試練に挑むしかないわけだ。
「いっただっきまーす!」
 干し肉と乾パン、そしてチーズ。簡素な昼食を四人で分け合い、乾いた喉を温んだ水で潤す。二階層下の《清流階層》――建物の中だというのに、なぜか豊富な水を湛えた階があるのだ――で汲んできた水も、そろそろ心許ない。
 あっという間に昼食を平らげてしまったデルタは、ちびちびと干し肉を囓っているアルファに目をやり、やれやれと溜息をついた。
「アルファの防具、随分ボロボロになっちゃったね」
「ああ。せっかく張り切って新調したのになあ」
 先日買い換えたばかりの革鎧は、胸や背中といった急所を金属で強化した高性能モデルだ。双剣使いという特性上、重く動きにくい板金鎧では持ち味が生かせず、これが最大の妥協点だった。しかし、ここまでの道中であちこちに傷が増え、防御力も幾分落ちてしまっている。
「ふん、何も考えず、怪物やら罠やらに突っ込んでいくからだろ。自業自得だ」
 乾パンを囓りながら冷ややかな視線を送る少年は、一行の中で最も軽装備だった。攻略の途中、魔術士の制服とも言える長衣を焦がしてしまった彼は、仕方なく長衣の下に着ていた普段着のまま冒険を続ける羽目になっている。首から提げた護符のおかげで辛うじてダメージの軽減が出来ているが、防御魔法が編み込まれた長衣に比べたら紙のようなものだ。
「うっせー! 松明ぶん回したせいで火だるまになりかけた奴に言われたかねーや! これだから世間知らずで困るんだよ、ベアトリスお嬢様!」
「その名前で呼ぶなと言ったろ、このポンコツ剣士! 大体、誰がお嬢様だ! 俺はれっきとした男だ!」
「もー、いちいち取り合うのやめなよ、ベータ。アルファもそのネタいつまで引っ張る気? いい加減聞き飽きたんですけどー!」
 デルタの投げやりな仲裁も、これで何度目だろうか。四日分の疲労が蓄積され、パーティー内の空気も徐々にギスギスしたものになってきている。
 もっとも、アルファとベータの小競り合いは知り合った頃から続いており、半ば定型のやりとりと化していた。最初は二人の剣幕にオロオロしていたケイも、最近では静観を決め込むようになっている。
「それにしても……毎回思いますけど、この『塔』攻略は難易度が高いですね」
 どうにか話を逸らそうと、かなり強引に話題を変えたケイに、その意図を汲んだのか、或いは何も考えていないのか、アルファは不毛な睨み合いを止めて、ひょいと肩をすくめてみせた。
「ああ、ホントにな」


 『塔』攻略――。それは彼らにとって喫緊かつ念願の課題だった。
 このために何年もかけて地道な訓練を積み重ねてきたし、最終的にはくじ引きで決まったパーティーメンバーも驚くほどに偏りがなかった。
 圧倒的な攻撃力を誇る双剣士アルファード。
 炎と風の魔術を駆使する魔術士ベアトリス。
 動植物に詳しく、治療術に長けた神官ケイト。
 鍵開けや罠解除を得意とする盗賊ディエルタ。
 この四人ならば、最上階へ到達するのは簡単だとさえ思っていた。
 それがあまりにも浅はかな考えだったと気づかされたのは、『塔』攻略開始直後。入り口の扉をくぐったまさにその瞬間に、アルファが落とし穴を踏み抜いて、四人揃って地下二階層まで落ちた時だった。
 実のところ、『塔』攻略はこれで三度目だ。初回は落とし穴の罠にかかって即退場。二回目は第五階層でアルファとデルタが負傷・昏倒し、あえなくリタイアとなった。
 三回目となる今回は、これまでの失敗を踏まえて周到な攻略計画を練り、装備や所持品も入念に確認した。その甲斐あってか、こうして第九階層まで到達することができたのだ。


「いやー、攻略開始以来、トラブル続きだったもんね」
「トラブル続きなんてもんじゃないだろ、あれは……」
 これまでの日々を思い返し、げんなりと首を振る四人。
「私は未だに、鉄球に追いかけられる夢を見ます……」
「あー、あれは酷かったよな」
 廊下の向こうから転がってきた巨大な鉄球に追い掛け回されたのは初回、第一階層での出来事だ。デルタが脇道を見つけなかったら、四人揃ってぺちゃんこになるところだった。
「オレなんて昨日も宝箱に食われる夢を見たよ」
 第三階層の隠し部屋で見つけた宝箱に興奮し、周囲が制止する間もなく宝箱を開けたアルファが、その宝箱に噛みつかれたのは二度目の攻略時だ。咄嗟にベータが魔法で宝箱を粉砕したので、利き手を食い千切られずに済んだが、さしものアルファも懲りたらしく、以降は宝箱を見かけても突進しないようになった。
「第六階層からは急に難易度が上がったよね。挟み撃ちに遭った時は、さすがに全滅するかと思ったよねー」
 前方には腹を空かした人面虎、背後からは吸血蝙蝠の大群。狭い通路での混戦となり、下手に攻撃魔法を使うと味方まで巻き込みかねないため、仕方なく松明を振り回していたベータが、あわや火だるまになりかけたのはこの時だ。
「蝙蝠はまだいい……。あの蔦め、今度見かけたらきれいさっぱり燃やし尽くしてやる……!」
 緑に覆われた第八階層で、樹上から垂れていた蔦に何気なく触れてしまったのが運の尽き。四人まとめて絡め取られ、危うくそのまま養分を搾り取られるところだった。
 中でも念入りに絡まれていたのがベータで、怒り狂った彼の爆裂魔法によって何とか事なきを得たが、それ以来、ただの蔦を見ただけでも物凄い形相をしているところをみると、よほど精神的に堪えたようだ。
「……あの蔦、面食いだったんだろうねえ」
「苗床にされなくてよかったですね……」
「言うな! 想像したくもない!」
 青ざめた顔で、ぶんぶんと首を横に振るベータ。
「それにしても、ろくに休む場所もないなんて、思いもよらなかったよな」
 ほとんどの階層には安全地帯などなく、火を焚いて怪物達を牽制し、食事や仮眠を取るのが精一杯だった。まともに休憩が取れたのは、古びた屋敷を思わせるような小部屋が多く配置されていた第四階層くらいか。この階層には家具が残っている部屋もあって、寝心地の良さそうな(床よりは、という注釈付きだが)天蓋つきの寝台を巡って一悶着あったのも、今となってはいい思い出だ。
「でも、あとちょっとで最上階だよ!」
 残るは第十階層のみ。ラスボスが待ち構えている最上階はこれまでの階層とは比べものにならない難易度だろうが、それでも終わりが見えてきた、ということだけでも、いくらか気が楽になる。
「そうだな。これで晴れて、俺達は――」

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