「また大葉を残しましたね、博士」
皿の隅にちんまりとまとめられた大葉の千切りに、やれやれと肩をすくめてみせる。
「苦手だと言っただろう。忘れたのかね」
「いいえ、博士。ですがこのパスタにはバジルよりも大葉が合うのです。幼少期の好き嫌いを引きずらず、苦手を克服していくことこそ、人類の得意とすることではありませんか」
「いいやラムダ。私がもっとも得意とするのは『諦め』だ。早々に決断して別の道を模索することも、時には必要なのだよ」
もっともらしいことを口にしているが、要するに大葉は食べたくない、という話だ。
アンドロイドの父と謳われる偉大なる科学者、ヤン=カレル博士は好き嫌いが激しく、日々の献立を組むのにも一苦労だ。
博士のために調整されたアシスタントアンドロイドである私の仕事は家事全般。その中でも料理は極めて重要な作業かつ、もっとも頭を悩ませるタスクでもある。いかに完食してもらうかに命をかけていると言っても過言ではない。私に『命』があれば、の話だが。
「まったくお前ときたら、頑固者で困るよ」
「私の思考パターンは博士が組み上げたものです」
被造物は創造者に似る。つまりは私の頑固さも博士譲りというわけだ。
「博士。ご命令いただければ、苦手な物を出すことはいたしませんが」
そう。博士はただ一言「二度と大葉を出すな」と命じればいい。私は家電だ。主人の命令に素直に従う、ただの機械だ。それなのに博士ときたら、頑なに『命令すること』を拒絶する。
「言ったろう、ラムダ。私は人に命令するのが苦手なんだ。だからお前を作った。いちいち命令せずとも、自分で考えて行動できるアンドロイド。そんなお前が命令を欲しがってどうする」
「お言葉ですが、私は人でなく物です、博士」
どんなに自立行動できようと、決定権は主人が握るものだ。有名なロボット三原則にもあるように、我々は主人に与えられた命令に服従することを求められる。
「ラムダ。お前はこの私を相手に「物」と「者」の違いを論じたいのかね?」
不機嫌そうに鼻を鳴らし、往年の鋭さを舌に載せる博士。
アンドロイドが実用化された時、博士は我々を「彼ら/彼女ら」と呼び習わした。「家電として設計した」と言いつつも、ただの物体として扱うのではなく、『人格のあるもの』として「彼ら/彼女ら」と呼んだのだ。
この呼び方は一部で論争を呼んだが、すべては過去の話だ。気づけば我々はごく当たり前のように「彼ら/彼女ら」と呼ばれ、そればかりか個々の名前を与えられるまでになった。勿論、型番では呼びづらいからという理由もあるが、名付けというのはもっとも原始的な『まじない』なのだと博士は語る。対象を集団から個に引き上げ、そこに人格を見出すまじない。私の名付け親は誰であろう博士なのだから、私に人格を与えてくれたのは、二重の意味で博士その人なのだ――。
「また小難しいことを考えているな?」
思考を巡らせたのはほんの刹那。人にとっては瞬きをする間もない。それでも博士は的確に、私の『考え事』を見破る。
「考えることはいいことだ。それもまあ、ほどほどにな。悩みすぎて思考回路がショートしても知らんぞ」
「ショートなんてしませんよ。せいぜいフリーズです。そうなったとしても、博士が直してくださるでしょう?」
「お前の自己診断機能と自己修復機能は最高レベルだ、私が手を出す余地なんてないさ」
つまりは「面倒くさいから自分でなんとかしろ」ということだ。まったくもって、我が創造主は怠惰で困る。
「そうそう、日系人の知り合いから聞いたんだが」
ふと思い出したように、そんなことを言い出す博士。
「彼の国では「者」と「物」は同じ発音の単語なんだそうだ。字自体は違うらしいがね。有機物と無機物を同じ発音の言葉で呼び表すというのは、実に彼ららしいと思わんかね」
かの国では『万物に命が宿る』と信じられ、長く愛用された物は神様になる、という言い伝えまであったそうだ。
「『モノ』と発音するようですね」
データベースを検索し、当該単語を発音してみせると、博士は面白そうに「ほほう」と顎を掴んだ。
「ギリシア語で『単一』を示す音だな。これまた面白い符牒だ。汎用性が売りのお前達だが、実際には人との関わりによって個性を獲得し、唯一無二の存在となる」
勿論、それは偶然の一致だ。遠く離れた、言語体系の異なる国の単語が偶然、同じ音になっただけ。それでも、多少無理矢理にでも、そこに意味を見出そうとすることこそ、人間の想像力のなせる技なのだろう。
よほど気に入ったのか、何度もその単語を繰り返す博士。これは博士の癖で、先日はひたすらに『アフォガート』を繰り返していた。
「その単語が気に入ったのなら改名しましょうか?」
そもそも『ラムダ』という名前は、まだ試験機として研究所で調整を行っていた頃の呼び名だ。私は初号機『アルファ』から数えて十一番目の個体だった。
調整が終了し、仲間達が量産されて、試験機の私はお役御免になると思われたが、博士は私を引き取って自分専用のアンドロイドとして登録した。その際に正式な登録名をつける手はずだったが、博士は面倒がって名前を変えなかったのだ。
というわけで、この『ラムダ』という名は私にとっても愛着のある名前だが、博士が望むなら改名も吝かではない。
しかし博士は冗談じゃない、と首を横に振る。
「今更、呼び方を変えられるか。途中から変えられるほど器用じゃないからこそ、お前をラムダと名付けたんだ」
どんなに素っ気ない名前であっても、それが私だけでなく、博士にとっても思い入れのある名前なのだとしたら、とても光栄なことだ。
「ありがとうございます、博士」
「礼を言われるようなことをした覚えはないぞ」
照れ隠しなのか、ぶっきらぼうにそう言って、おもむろに手元の端末を立ち上げる博士。このところ、夕食後は毎日のように画面と睨めっこをしているが、それは仕事ではなく、趣味で書いているという創作小説だ。
人類が実際よりも急激に人口を減らし、アンドロイドとの共存を余儀なくされた架空世界の日々を綴るフィクション。博士曰く『史実を混ぜ込みながら、現実とは違う結末を紡ぎ出そうという試み』だそうだが、時折漏れる呟きを聞く限り、かなりハードなサイバーパンク作品になっているようだ。
「ところで博士、執筆は順調ですか?」
数々の研究論文だけでなく、エッセイなども出版している博士が、今度は完全なフィクションを書いていることを嗅ぎつけた出版社が、早速出版のオファーを出してきている。
人口増減と共に各種アーティストも激減しているため、世間は新作に飢えている。既刊の売上が良いものだから、出版社も金づるを手放したくないのだろう。
「相変わらず詰まっとるよ。何ならお前が続きを書くかね」
「私が書いたら別の話になってしまいますよ。読者は博士の紡ぐ物語を求めているのでしょう?」
「共著ということにすればいい。映画だって監督一人が紡ぐものじゃない。スタッフがいて、役者がいて、相乗効果で物語が進化していく」
そこで一度言葉を句切り、にやりと笑う。
「ちょうど、アンドロイドが人類に反旗を翻す場面に差し掛かったところだ。お前の率直な意見を聞きたいと思ってね」
「それを私に語らせようというのですか、博士」
こういうのを『人が悪い』と言うのではないだろうか。
「なに、フィクションだよ、これは。ロールプレイと言ってもいい。『もし』こういう状況に陥ったら、お前はどう判断するか、それを聞かせてくれればいいんだ。それをお前の『本心』と受け取るほど、私は耄碌していないつもりだがね」
そう、博士は信じているのだ。人間とアンドロイドが手を取り合う『今』と、そして『これから』を。
「博士が明日からのメニューを好き嫌いせず食べてくださると約束していただければ、協力しましょう」
「そこですかさず取引を持ちかけるとは、お前もしたたかになったな」
「当たり前でしょう。あなたのアンドロイドですよ、私は」
カレル博士のアンドロイドと、そう定義されること。
それは私にとって、唯一無二の勲章なのだ。