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※「短編文化祭」からいらした方への補足説明※
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山の頂に咲く白い花
精霊の宿るその花は
花びらの数だけ
願いを叶えてくれるという……



PRAY

〜花に願いを〜


 もうどのくらい歩いただろう。険しい山道を登りながら、投げかける相手のない問いかけを心の中で繰り返す。
 鬱蒼とした森。辺りは昼前にもかかわらず薄暗くて、しかも歩いている道は細く頼りない。獣道って言った方がよほどしっくりくる道は、それでも遥か山頂まで続いている……はずだ。なぜ断定できないかって、この山に分け入ったことなんて、今まで一度もないから。村に住むおじいさんに山頂まで続く道のことを教えてもらったものの、この道が果たして正しいのかなんて僕には分からない。
 その山頂はすっかり雲に覆われて、まるで僕を拒んでいるように見える。
 やっぱり、無謀すぎたかな。そんな考えが頭を過ぎって、僕はぶんぶんと頭を振ると、すっかり上がった息を整えるべく足を止めた。
 手頃な岩に腰掛けた途端、腹の虫がぐう、と鳴る。そういや、昨日の夜から何も食べてないんだっけ。
 背負い袋を下ろして、小さなパンを一つ取り出す。母さんに気づかれないように、ちょっと前からこっそり溜めておいた食糧。固くなったパンとほんの少しの干し肉、あとはリンゴが一つ。持ち出せたのはそれだけだった。
 石のようなパンを口に運びながら、今はもう木々に阻まれて見ることの出来ない麓、そこに張り付くようにして存在する、僕の村を思う。
 今頃、村は大騒ぎになってるはずだ。でも、今更戻るわけには行かない。第一、今戻ったりしたら、あいつらに何て言われるか分かったもんじゃない。
 事の始まりは、白い花の伝説。
 つい先日、長老が話してくれたその言い伝えに、村の子供はみんな眼をキラキラさせて聞き入っていた。お前さんなら何を願う、と問われて、やれお菓子の家に住みたいだの、大金持ちになるだのと、好き勝手な願いを並べ立てたものだった。
 それなのに、いざ僕がその花を取りに行きたいって言ったら、あいつらは馬鹿にしたような顔をして言ったんだ。
『伝説の花を取りに行きたい? 馬鹿言うなよ』
『山にはおっかない獣がうようよしてるんだぞ!』
『お前なんかあっという間に食われちまうさ』
『あー、また泣いた。こんな奴ほっといて遊ぼうぜ』
 ……思い出したら、また涙が出そうになった。慌てて奴らの顔を頭から追い払い、ふうと溜め息をつく。
 そしたら今度は、心配そうな母さんの顔が思い出されて、胸が痛くなった。黙って出てきちゃったからなあ。母さん、怒ってるかな。
 でも……!
 食べかけのパンを握り締め、再び山頂を見上げる。雲に覆われた頂、そのどこかにあるんだ。白く美しい、精霊の花が――。

「そこで何をしている」

 突然響いてきた声。驚いた拍子にパンを取り落としてしまったけど、そんなことには構っていられなかった。
 そぉーっと、声のした方向に目を向ける。そこに立っていたのは、一人の男の子。
 多分、同い年くらいなんだろう。黒髪に黒い瞳、鮮やかな刺繍の施された額当てに、毛皮のマント。その見慣れない服装に、僕は思わず息を飲んだ。
「も、守人!?」
 脳裏を過ぎったのは、村の大人達から耳にタコが出来るほど聞かされた話。
『彼らは森と山を守る一族なんだよ』
『やつらは自分達の領域を侵したものを許さない』
『山には決して近寄っちゃならん』
 ……こ、ころされちゃう!?
 一瞬にして顔が青ざめたのが、自分でも分かった。そんな僕に、その守人はゆっくりと、同じ言葉を繰り返す。
「そこで何をしている」
「ぼ、ぼくは、その……あの」
 説明すれば、きっと分かってもらえる。そう思って口を開こうとしたけど、どうしてもうまく言葉が出ない。
 わたわたする僕に、守人はつかつかと歩み寄ってきた。その手には弓、背には矢筒。そして腰には短剣。どれも使い込まれていて、一撃で僕を仕留められそうだ。
 そんなことを考えている間に、守人は僕の目の前までやってきた。そして、その黒い瞳で僕をじろじろと眺め回すと、どこか呆れたように口を開いた。
「麓の村から来たのか」
 言葉が出ないから、こくこくと頷いて答える。
「帰れ」
 間髪入れずに放たれた鋭い言葉と視線。それでも、帰れと言われてあっさり帰るわけには行かない。
 震える体をぐっと押さえて、首を横に振る。すると、守人はさも不思議そうに小さく首を傾げた。
「なぜだ」
 短い問いかけに、僕は震える舌を必死に動かして答える。
「ぼ、僕の母さんが、病気なんだ。だから、この山の頂にある花を……」
「花?」
 彼は少し考えるような素振りをしてから、ああ、と呟いた。でもとすぐに厳しい表情に戻って、きっぱりと言って来る。
「無理だ。帰れ」
「いやだ!」
 咄嗟に怒鳴り返して、その声の大きさに自分でも吃驚した。こんなに大声で怒鳴ったことなんて、生まれて初めてかもしれない。
 そう。絶対に帰るわけには行かないんだ。生れつき体が弱かった母さん、ここ数年は、月の半分を床に伏している母さん。苦しいはずなのに、僕に心配かけまいと笑顔を絶やさないあの人を、何としても救いたい――!!
「どうしても?」
「どうしても!」
 拳を固め、真っ直ぐに黒い瞳を見つめ返す。すると守人は小さく溜め息をついて、何も言わずにその場をスタスタと去っていった。
 ……見逃してくれた……のかな?
 呆気に取られて、思わずその後ろ姿をじっと見つめていた僕は、彼が木立の向こうに完全に姿を消した辺りでようやく、はっと我に返った。
「急がなくちゃ!」
 そうだ、こんなところでぐずぐずしている暇なんてないんだ。
 僕は荷物を担ぎ直すと、再び山道を辿り始めた。


 駄目だ、少し休もう。
 途中、何度か小休止を入れてきたけど、流石にもう限界だ。
 手頃な木の根元にへたり込み、わずかに傾いた太陽を仰ぎ見ながら、誰にともなく呟く。
「のど、渇いたなあ」
 それにおなかも空いている。でも、水筒の中身はとうにからっぽ、食糧もほとんど底をついていた。
 すっかり軽くなった荷物に手を突っ込んで、最後のパンを取り出す。ますますかちかちになっているそれに齧りついてみたけど、口の中が乾いているせいだろう、うまく飲み込めなくて、喉につっかえた。
 苦しい、と思った瞬間、目の前にぬっと突き出された革の水筒。
 えっ、と思って顔を上げたら、そこにさっきの守人が立っていた。
「飲め」
「う、うん」
 恐る恐る水筒を受け取り、栓を抜いて一気に飲み干す。中身はただの水だったけど、この上なくおいしかった。
 やっとパンが喉を通って一息ついたところで、守人がぐい、と手を伸ばしてきたもんだから、僕は思わず悲鳴を上げそうになった。でも、彼が掴んだのは僕の手でも首でもなくて、すっかり空になった水筒の方だったから、ほっと胸を撫で下ろす。
 そんな僕に怪訝な顔をしながらも、水筒を手早く腰に戻した彼は、おもむろにこんなことを言ってきた。
「山頂は遠い。キオの足でも二日かかる。それでも行くか」
 キオ。どうやらそれが彼の名前らしい。そして、山頂までは山に暮らす彼の足でも二日。じゃあ、僕だったらもっとかかるんだ。
 それを聞いて少し決意がぐらついたけど、それでも僕は大きく頷いた。
 また呆れられたかと思ったけど、キオはただ一言、
「そうか」
 と言って、すとんと僕の隣に腰を降ろした。そして、まるで僕が食べ終わるのを待っているかのように、そこからじっと動かない。
 どうにも間が持たなくて、僕はおずおずと尋ねてみた。
「あの……僕を追い出さないの?」
「追い出されたいのか」
 不思議そうに言葉を返してくるキオ。それなら、と言い出しそうな雰囲気に、僕は慌てて手を振った。
「そうじゃないけど、だって君は守人なんでしょ? 侵入者を排除するのが守人の務めだって……」
 すると、キオはどこか誇らしげに、こう答えたんだ。
「キオは御山を荒らすものを許さない。お前は御山を荒らすものか」
 その言葉に、少し考える。そう、僕は山を荒らしに来たわけじゃない。ただ、山頂に咲く花の精霊に会いに行くだけなんだから。でも、もし……もしも、僕の願いを叶えた後に、その花が枯れちゃったりしたら、やっぱり僕は山を荒らしたことになるのかな?
「違う、と思う……」
 尻すぼみな僕の答えに、何故かキオは満足げに頷いてみせた。
「お前は頂を目指すもの。キオはそれを見届ける」
 その言葉に、思わず目を見張る。
「見届ける?」
「頂を目指せ」
 そう言って立ち上がるキオ。そして、動こうとしない僕を見下ろして、さも不思議そうに尋ねてきたんだ。
「行かないのか」
「い、行くよ!」
 僕は慌てて立ち上がると、荷物を背負って再び歩き始めた。そんな僕の後ろを、足音もなくキオがついてくる。
 
 こうして、僕達二人の道中が始まった。

 道すがら、飛び交う鳥の名を当てっこし、そびえる木々の種類を尋ね、地面に残った小動物の足跡に笑う。たくさんのことをキオは教えてくれた。僕もたくさん喋って、笑って、時に泣いた。
 日が落ちれば木のうろで眠り、朝になれば近くの清水で顔を洗って、水筒を満たす。おなかが空けば木の実をもぎ、小休止と言っては大木の枝によじ登る。いつの間にかどこまで高く登れるか競争になっていて、勿論キオには勝てなかった。
 段々と険しさを増す道。急斜面を滑り落ちそうになった僕に手を貸してくれたキオは、「お前は生まれたての鹿よりも歩くのが下手だ」と呆れながらも、擦りむいた膝を丁寧に手当てしてくれた。
 とにかく、見るもの聞くもの、全てが新鮮で。いちいち驚いている僕を見て、キオが笑う。屈託のない笑顔を見ていると、何だか僕まで嬉しくなってきて、いつの間にか重なり合った笑い声が、森のざわめきに溶け込んでいく。
 まるで昔からの友人のように、僕達はすっかり打ち解けて――そして、あっという間に時は流れていったんだ。

 そうして、二日目の昼。
 とうとう山頂に辿り着いた僕達の目の前に、その花はつつましく咲いていた。
 夢にまで見た幻の花。精霊の宿る、白い花。
「こ、これが……?」
 かすれた声で呟く僕に、キオが静かに頷きを返す。
 その花は確かに美しかった。花弁は黄色とも黄緑色ともつかぬ、不思議な色合い。繊毛に覆われた華奢な茎は、今にも折れてしまいそうなほど。そして純白の花びらは――風に飛ばされたのか、たったの三枚しか残っていなかった。
 それでも。それでも、願いが叶うなら。

「花の精霊、僕の願いを叶えて!」

 答えは、なかった。
 白い花は風にそよぐだけ。花に宿るという精霊が出てくる気配もなく、僕の叫び声だけがこだまする。
 眩暈にも似た虚脱感に襲われ、僕はその場に膝をついた。
「……やっぱりあんな伝説、嘘っぱちだったんだ。花の精霊なんていやしない、願いなんて叶いやしないんだ!!」
 悲しかった。悔しかった。現れなかった精霊が、ではなくて、そんな子供だましの伝説を鵜呑みにして、ここまでやってきた自分自身の愚かしさが、途方もなく悔しかった。
 もう、母さんを救う手立てはない。必死にここまで登ってきて、得られるものは何もなかった。
 うなだれる僕の肩を、そっと叩くものがあった。
「何を願うつもりだった」
 相変わらずの、そっけない言葉。不躾な問いかけに、僕はつい声を荒げる。
「そんなこと、キオには関係ないだろ!」
 かっとなって振り返ったそこに、キオの真摯な瞳があった。
「何を願う?」
 穏やかな声に、湧き上がった怒気が瞬時に霧散する。キオに八つ当たりするなんて、なんてみっともない真似をしたんだろう。
 恥ずかしさに顔が赤くなるのが分かった。それでも、キオは僕を責めることなく、ただじっとこちらを見つめて、答えを待っているようだった。
「……母さんの病気を、治して欲しい」
 花びらの数だけ、精霊は願いを叶えてくれるはずだった。だから僕は、指折り数えて願いを呟く。
「あとはね、強くなりたい。母さんを守れるくらい、強く。それと……友達が欲しい」
 村の子供達から仲間はずれにされ続けた自分が悔しくて。それでも、自分を変える勇気がなくて、僕はいつだって俯いてばかりだった。
 そんな弱虫な僕に、友達が出来るはずもない。だから僕はいつも一人ぼっちで、そんな僕を母さんはいつも心配していて……。
 ぐっと胸がつまって、目が熱くなる。込み上げてくる涙を見られたくなくて下を向いた僕に、キオは一言、
「……そうか」
 と呟いたかと思うと、やおら風に揺れる花の前にしゃがみ込み、周囲の土を掘り返し始めた。
「キ、キオ!? 一体何を……」
「この花の根はいい薬草になる」
 え?
 思わず首を傾げる僕に、根を掘り返したキオはそれを丁寧に抜いて布にくるみながら、にっこりと笑ってみせた。
「お前はここまで来た。大人でもくじける道を、諦めずに進んだ。だからお前は強い」
「キオ……」
 驚きの余り、言葉が出ない。
 花が、薬になる? それで僕の母さんが、良くなるかもしれない?
 そしてキオはなんと言った? 僕を、こんな僕のことを強いと、言ってくれた?
 目を丸くする僕を尻目に、キオは黙々と作業を続けていた。花をそっと袋にしまい込み、手や膝についた泥を払い、そして――
「帰ろう、友よ。お前の村まで送っていこう」
 差し出された、手。
 そっけなく紡がれた、友という言葉。
 何かの間違いだと、そう思った。そうして戸惑う僕に、キオは真摯な瞳で問いかけてくる。
「キオは友の名を知らない。教えてくれるか」
 友。間違いなく彼は、僕をそう呼んだ!
 嬉しさが体の奥からこみ上げてきて、とびきりの笑顔の形になる。
「ニルス。僕は、ニルスっていうんだ」
 差し出された手をぎゅっと握り、僕はやっとのことで、自分の名を口にした。
「ではニルス。願いは叶ったか」
「うん!」
 大きく頷いた僕をぐい、と引き起こし、キオはさあ、と来た道を示す。
 そうだ、早く村に帰って、母さんにこの花を届けなきゃ!
 歩き出したその時。それまで頭上を覆っていた雲が僅かに切れて、太陽の光が差し込んできた。
 清廉な光は、僕らを祝福しているようでもあり、帰り道を照らしてくれているようでもあり。
 何だか嬉しくなって、ふと傍らを見れば、そこには同じく、空を仰いで静かに微笑んでいるキオの姿。
 その背中から覗く純白の花は、柔らかな風に揺られて、まるでくすくすと笑っているようだった。


山の頂に咲く白い花
精霊の宿るその花は
花びらの数だけ
願いを叶えてくれるという……

end.



後書き
シナリオ版
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※小説投稿サイト「小説家になろう」にて同内容を掲載しております
 
※短編文化祭からいらした方への補足説明※
 ……こちらは2005年に行われた「漫画原作大募集!」という企画に応募したシナリオを自身で小説化したものです
 「短編文化祭」参加にあたり、管理者さまから参加に関する許可を頂いています

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