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二、初参戦!
「いやー、それにしてもホント広いねー!」
 物珍しそうに会場を見回すコンノさんは、確かに正式な漫研部員ではない。しかし、今野さんや部長よりも漫研に詳しいことは間違いないだろう。
 なぜなら――。
「吉川さんがボクを連れ出す方法を編み出してくれて、ホント良かったよ! ずっと来てみたかったんだ、コミケ! やっぱり実際に参加してみないと、この独特の雰囲気は味わえないよね」
 部室に飾られた狐面の化身。それがコンノさんの正体だ。
 今年の四月、入部を決意して部室のドアを叩いた私を、笑顔で招き入れてくれたところから始まったつき合いは、その正体に気づいて問い質した秋の日を経て、今も何も変わることなく続いている。
「ヨシくんも残れたらよかったのにねえ」
 私ともう一人、コンノさんの正体を知っていて、あんな提言をした張本人である今野吉隆さん――コンノさんと名前が被るので、本人のいないところでは『ヨシくん』と呼んでいる――は、あの日部会で宣言した通り、会場に着いて設営を終えるところまではいてくれたのだけど、予定よりも早くバイト先から呼び出しを食らって、早々に退散して行った。
「昨今の居酒屋はランチタイムも忙しいみたいですから、仕方ないですよ」
 それでも、その忙しい合間を縫って、部室から頒布分の部誌とコンノさんの本体である狐面を回収するだけでなく、イベントどころかそもそもビッグサイトへ行ったことのない私のために、わざわざ私の自宅の最寄り駅で待ち合わせしてくれたのだから、どれだけ感謝の言葉を紡いでも足りないほどだ。
「今日、初めて電車に乗ったけど、いや~すごかったね。吉川さんなんて埋もれてたでしょ」
 楽しげに語るコンノさんは、つい先日まで部室から出ることが出来なかった。
 どういう理屈か分からないけれど、コンノさんが実体化できる範囲は本体であるお面から半径3mほどが限界らしく、壁から外して持ち歩くことで、初めて部室以外の場所に出ることが出来た。それが、半月ほど前の話だ。
 以来、味をしめたコンノさんは、隙を見ては私や今野さんの付き添いのもと、学校内や周辺を探検していたのだが、まさかこんなにも早く遠出のチャンスが巡ってくるとは、本人も思っていなかったのだろう。
「そう言えば、なんで会場に入ってから実体化しなかったんですか?」
 周囲をはばかって小声で尋ねてみると、コンノさんはいやあ、と頭を掻く。
「ボクも最初はそのつもりだったんだけどさ、ヨシくんが『会場内でいきなり実体化するような怪しい真似はするな』って」
 確かに、言われてみればその通りだ。人目につかないところでこっそり、なんてことが出来ないほどに、この会場は人でごった返している。
「男子トイレの個室なら大丈夫じゃない? って言ったんだけど、『一人で入ったのに、二人で出てきたら怪しいだろうが』って言われちゃってね。確かにそうだよねー」
「あはは……」
 大学構内ならまだしも、トイレこそが最大手と言われるイベント会場では、確かにちょっと無理な話だ。
「あ、ちなみにボクの本体、そこの箱の中だから、物を入れる時は気をつけてね。戻った時に潰れてたら困るから」
 そう言ってコンノさんが指さしたのは、今も部誌の在庫が十冊ほど入っている小さい段ボール箱。持ち込んだのは、五十冊刷ったうちの三十冊だ。学漫はそこまで人気ジャンルではないから完売することはまずないそうだが、その代わりに他の漫研と部誌を交換することがあるので多めに持っていくのだという。
「あのー、すみません! 東出大漫研のものですが、もしよろしければ部誌交換していただけませんか!」
「は、はいっ! ありがとうございます、是非お願いします」
 早速やってきた他大学の漫研さんと部誌を交換し合い、その分厚さに慄いたかと思えば、それを見てやってきたのだろう高校の文芸部が作った、コピー本だけれど充実した内容の一冊に目を奪われる。
 どうやらみんな、どこかが動くのを待っていたようで、触発されるようにあちこちのサークルから部誌交換を持ちかけられ、気がつけば持ち込んだ部誌の半分以上がなくなっていた。
「行こうと思ってた大学の漫研、ほとんど来てくれちゃったねえ」
 厚みも装丁も様々な部誌を眺めつつ、苦笑を浮かべるコンノさん。どうやら、早目に部誌交換を終わらせて、あとは交替で売り子をしながら自分の買い物に走るサークルさんが多いようだ。
「あの人は来ないのかな? 毎回来るっていう『学漫評論家』さん」
 毎年やってきては一しきり文句を言った上で一冊購入して去っていくという伝説の自称『学漫評論家』さんは、聞いた話では年の頃四十代後半から五十代半ば、分厚いメガネをかけていて、チェックのシャツに洗い晒しのジーンズ、パンパンに膨れたリュックを背負った小太りの男性ということだが、そんな感じの参加者はたくさんいる。
「何しろ、顔が分からないですからね。夏コミの時も『OBかと思ったんだけど、話が噛みあわないんでおかしいなと思ってよく話を聞いたら違った』って言ってました」
 諸先輩方から売り子の心得として叩きこまれたのは「スタッフに迷惑をかけない」「売る側も買う側も同じ「参加者」であることを忘れない」「お隣さんにきちんと挨拶をする」などいくつかあるが、特に注意されたのは「誰に対しても礼儀正しく!」だ。
 なんでも、過去にOBの顔を知らない売り子が、顔を出してくれたOBを「やけに馴れ馴れしいおっさん」だと思い、横柄な態度を取って大目玉を食らったことがあるかららしい。
「そうだ、よくコミケに来るOBの方って誰だか分かります?」
 そう尋ねてみると、コンノさんは分厚いカタログを弄びながら、そうだなあと呟いた。
「確か、川辺くんと後藤くん辺りは常連なんじゃなかったかな。OB会にも来てたんでしょ。ほら、吉川さんの年を聞いて、『一回りも違うのかよ~』って嘆いてた人達」
 学園祭の中日に行われたOB会で、初めて顔を合わせたOBの方々を思い出し、ああと手を叩く。物凄いリアクションだったので、印象に残っているお二人だ。
「でも、考えてみれば、上の方のOBは親くらい年が離れてるんですもんね」
「それ、本人達には言わないであげてね。すごいショックらしいから」
 苦笑いしつつ、あとは、と名前を挙げていくコンノさん。
「立田くんと小向さんは個人で同人活動をしてるけど、ジャンルが違うから今日は来てないかな。あとは……スタッフをやってる梶くんとか三島くんとか、コスプレをしてる本嶋くんなんかは毎回顔を出してくれてるって聞いたけどな」
「OBでコスプレしてる人がいるんですか?」
 現役部員には、今のところコスプレイヤーは一人もいない。それどころか、個人的に創作活動をしている人間すら数えるほどしかおらず、純粋に「漫画を描きたいから漫研に入った」人間は本当に少ないのだと、前にヨシ君が言っていた。
「一時期、流行ってたんだよね。部内サークルみたいになっててさ。おっと。噂をすれば……。彼だよ、本嶋くん」
 その言葉に顔をあげれば、がら空きの通路を悠々とこちらに向かって歩いてくる、カウボーイのような恰好をした体格のいい男性の姿。
「あー、第三部かあ。渋いねえ」
 謎の単語を呟きながら頷いているコンノさんを横目に、わたわたと椅子から立ち上がると、ちょうど目の前に辿り着いた四十代くらいの男の人は、ひょいと帽子を取ってニカッと笑ってみせた。
「よお、お疲れさん! おおっと、キミは新入部員の子かな? オレ、OBの本嶋です。はい、これ差し入れ!」
 渋い外見に似合わず軽快なノリで話す本嶋さんが紙袋ごと渡してくれたのは、暖かいコーヒーの缶が三つに、手を汚さないで食べられるお菓子の箱、そして使い捨てカイロがたくさん。なんて気の利いた差し入れだろう。
「ありがとうございます! わわ、私、新入生の吉川です!」
「あー、ニューカレでコケた子ね! 後藤から聞いてるよー。一回り違うんだって? いやー、オレらも年取るわけよ、うんうん」
 ……恐るべし、OBの情報網。慄く私をよそに、机の上の部誌を「ちょっと見せてねー」と手に取り、ぱらぱらめくる本嶋さん。
「おー、今回も今野の漫画は力入ってるねー! この連載が楽しみでね、うちの甥っ子も読んでたりするのよ」
 じゃあ一冊ちょうだい、と千円を手渡され、わたわたとお釣りを用意しようとして止められる。
「あー、いいのいいの。お釣りは取っといて。って言っても大した金額じゃないけど、ジュース代くらいにはなるでしょ」
 どこか照れたように笑う本嶋さんに、コンノさんがありがとうございます、と部誌を手渡す。
「いやいや、ホントは打ち上げ代くらいカンパしたいんだけど、オレも厳しくてねー。ごめんね」
 拝むようにして部誌を受け取り、そして――。
「あれ――榊さん?」
 驚いた顔でそう呟き、そしてすぐにぶんぶんと首を振る本嶋さん。
「……なわけないよな。もう二十年は経ってるんだし。いやー、それにしてもそっくり。びっくりしたー。キミも新入生?」
 その言葉に、コンノさんはいえいえ、と苦笑を返す。
「ボクは今野の知り合いです。今回、他の部員さんがみんな売り子に入れなかったそうで、急遽頼まれて助っ人に」
 その返答に、だよねだよねー、と腕を組んでうんうん頷く本嶋さん。
「冬コミはただでさえ、みんな田舎に帰っちゃうからね。それにしてもそうかー、他人の空似ってあるもんだね」
「あの……お知り合いに、似てる人がいたんですか?」
 恐る恐る尋ねてみると、本嶋さんは懐かしそうに目を細めた。
「オレの二つ上の先輩でね、榊さんって人がいたのよ。ほんとそっくり。隣に並べたいくらい」
 こんな偶然もあるんだなあ、と笑う本嶋さんに、ほんとですねー、とにこやかに相槌を打つコンノさん。
「その先輩はね、放浪癖のある人で、しょっちゅういなくなっては、二ヶ月くらい経ってひょっこり顔を出して、ちょっと北海道にラベンダーを見に行ってきたとか、ちょっと四国までヒッチハイクしてみたとか言って、妙なお土産を持ってくるような人だったんだよ」
 そんな人だったから、当然のことながら単位を落としまくり、三年の半ばで「ちょっと世界一周旅行でもしようかと思って」などと言い残して退学したのだという。  そんな榊さんの面白エピソードをひとしきり語ってくれた本嶋さんは、ふと腕時計を見て「おっといけない」と呟くと、部誌をリュックサックにしまい込んだ。
「それじゃ頑張ってね」
「あっ! すみません、一つだけお聞きしたいことが!」
 踵を返し掛けた本嶋さんを慌てて引き留め、胸ポケットに忍ばせておいた写真をばっと取り出す。
「あのっ! このお面に心当たりありませんか?」


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