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三、部誌
 長雨を掻い潜るようにして六月祭が終わり、夏の声が本格的に聞こえ始めてくる辺りで、夏コミに合わせて発行する部誌の締め切りが叫ばれるようになると、部室はまさに修羅場と化した。
 何しろ、定期試験の前に〆切という鬼のようなスケジュールなものだから、必須教科が多い下の学年ほどヒーヒー言う羽目になる。
「誰か、バツ印のところベタ塗ってくれない? 頼むっ!」
「おい、誰だよトーン置きっぱなしなの! もらっちまうぞ!」
「わーっ、窓開けんな窓! ノンブルが飛ぶっ!」
 漫画的修羅場と化した部室内は、季節柄もあって熱気が充満しており、とても長く滞在できる環境ではない。
「あーもう、エアコンつかねえのかなあ~」
 団扇で涼を取りながらの部長のぼやきに、殺気立った目付きの編集長が、
「テレビとゲームと電気ストーブつけただけでブレーカーが落ちるような部室にエアコンつけられるわけないだろ!」
 とキレ気味に答えつつ、小さく切った数字シールを完成原稿にぺたぺたと貼りつけている。
「あれは隣の映研も機材全部つけてたからだろー? うちのせいだけじゃねえよー」
「どのみち無理だっつってんの! あ、ヨッシー。そこの原稿取って」
「あ、はい」
 机の上に置かれた原稿をひょいと手に取れば、表紙ページには「コンノ」の文字。
「あ、これがコンノさんの原稿ですか?」
「そうそう。こんだけきっちり仕上げてくれるのはありがたいよね」
 ざっと数えて十六ページ。トーンを使わない主義なのか、影も効果もすべて手書きだ。童話チックなファンタジー漫画の表紙には、タイトルの下に「第5話」と書かれていた。部誌は年二回発行だから、三年生のコンノさんは皆勤賞ということだ。
「ほとんど幽霊部員状態だけど、ちゃんと原稿出してくれるから文句言えないんだよなあ」
「まったくだ。どっかの誰かさんも見習ってほしいね」
 おおっと藪蛇、と舌を出した部長は、渋々といった様子で団扇を手放すと、机の上に放置されていた穴埋めページに着手し始めた。
「いいかお前ら、今日中に出さない奴はシメる!」
 相当にキレている編集長の言葉に慄きつつ、ペンを動かす部員達。そんな私達を励ますように、窓の上から微笑みかけてくるのは、白い狐のお面だ。
 前から気になっていたのだけど、あのお面はどういう経緯で、この漫研の部室に飾られているのだろう?
「部長、あのお面っていつからあるんですか?」
 いい機会かもしれない。そう思って尋ねてみると、部長はうーんと首を傾げ、分からないなあと首を振った。
「俺が入った頃にはもうあったよ。伊藤さん、知ってます?」
「え、あたし? いや、知らないなあ」
 就活帰りに顔を出してくれた四年の先輩は、目を瞬かせながら、ファンシーな壁掛け時計の横に飾られたお面を見上げる。
「そういや、気にしたこともなかったわ。あの時計だったら、誰かが打ち上げコンパのビンゴかなんかで当てたって聞いたけど」
「え、それ初耳」
 この部室にはどうにも似つかわしくない、幼児に人気のキャラクター時計の謎が解けたのは良かったけど、肝心のお面については、どうやら誰も知らないようだ。
「そういや、この部室も色んな物が飾ってあって、カオスですよねー」
「部員が家で持て余してるもんを持ってきちゃ飾っていくからな。ポスターなんてエライことになってるし」
「あのジグソーパズルとか、誰のですか」
「OBの誰かだと思うよ。もう褪色してきちゃったよね、それ」
 段々と雑談に熱が入り始めてしまって、苛立った編集長がパシパシと四十五センチ定規を叩き出した。
「お・ま・え・らー!! 原稿しろ!!」
「イエッサー!」
 再び原稿作業に取り掛かる私達を労わるかのように、窓から涼風が入ってくる。
心地良さに思わず顔を上げれば、窓の外に広がる空は端の方から赤く染まり出していた。


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