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アナログな夜
 詰んだ。終わった。
 ああ、もうおしまいだ。たった数分の暗闇が、オレの人生を速やかに終了させた。
 電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わなくなったパソコン。漆黒のディスプレイに映し出されているのは、この世の終わりを見たような男の、何とも情けない顔。
 ああ、せめて年始にインフルエンザになどかからなければ。いや、もっと早くからレポートに取り掛かっていれば。どんなに「たられば」を重ねたところで、今目の前にあるパソコンが生き返るわけでもない。
 レポート提出期限は明日。出さなければ四単位が吹っ飛ぶ。たかが四単位と侮るなかれ、この群は教科自体が少なく受講希望者が殺到するため、毎年抽選が行われている。二年生の時は落選して、三年生でようやくもぎ取った授業だ。真面目に出席もしたし、課題もきちんとこなした。最後のレポートさえ出せば、Aまでは行かずともBくらいはもらえるはずだった。
 まさか、レポートをまとめている段階で停電が起こるなど、予想できるわけもない。
 停電自体はすぐに復旧したが、照明がついた室内で、パソコンだけが光を取り戻さなかった。
 こういう時、機械に強い人間なら、どうにかして直すことが出来るんだろうけど、あいにくオレは使うのがやっとで中身のことはまるで分からない。このパソコンだって、自分で選んだわけではなく、知り合いのお下がりを格安で譲ってもらっただけなのだ。
「そうか、あいつなら……」
 のろのろと立ち上がり、ベッドの上に放り出したままだったスマホを手に取る。電話すればいいのに、真っ先にSNSを立ち上げてしまったあたり、まだ動転しているのだろう。
 リストから『K2』と書かれたアイコンをタップして、メッセージ画面を呼び出す。なんと書いていいか分からなくて、『助けて』とだけ送った。
 行動することで、少し頭が冷えた気がする。とりあえずスマホを置いて、机の上に散乱していた紙類を適当にまとめる。そういえば夕飯も食べていなかったし、喉もカラカラだ。
 冷蔵庫を漁っていると、スマホから気の抜けた通知音が鳴った。
『どうした』
 相変わらずシンプルな文章だ。まんま、あの声とトーンで脳内再生された。
『さっき停電があって、パソコンが壊れた。明日提出のレポートが吹っ飛んだ。助けて!』
 感情のままに打ち込み、涙の絵文字とともに送る。
『PCはまったく動かないのか? バックアップはいつ取った』
『電源が入らない。バックアップなんて取った記憶がない』
『少し待て』
 何か起死回生の策があるのかもしれない。さすがは岸だ。
 ひとまず、台所の棚からカップ麺とインスタントコーヒーを発掘し、ささやかに腹を満たしていると、唐突にインターホンが鳴った。
『待たせたな』
 聞き慣れた声が扉の向こうから響いてくる。ぎょっとしてドアを開けると、そこには岸がいた。
「来たのかよ!?」
「直接見た方が早いだろう」
 岸のアパートとは二駅くらいしか離れていないが、それにしても驚異的な速度だ。すでに終電もなくなっているから、自転車をかっ飛ばしてきたのだろうか。
「時間がないんだろう? PCを見せてくれ」
「ああ、頼む!」
 慌てて岸を室内に招き入れ、問題のパソコンを見てもらう。やはり電源は反応せず、岸が中を開けてあれこれ挿し直したりしてくれたが、やはりパソコンはうんともすんとも言わなかった。
「……壊れた?」
「恐らく、マザーボードがいかれたな。HDDは無事かもしれないが、このままじゃ起動しないし、データを吸い出そうにも、あいにく変換ケーブルの持ち合わせがない」
「ごめん、簡単に言うと?」
「現状では打つ手なし、だ」
「ああああああああ!」
 思わず頭を抱えて床を転がりそうになるオレを、まあ待て、と岸が止めた。
「ここにあるのは何だ」
 岸が指差したのは、さっきまとめた紙類だ。
「何って……途中まで書いたレポートをプリントアウトして、赤ペン入れたヤツだけど?」
「ということは、ある程度の内容はここにあるはずだな?」
「! そうか!」
 印刷したのは二日前だから、勿論全部ではない。でも、六割、いや七割くらいなら……!
 赤入れなんてデータ上でやればいい、なんて思ってたけど、今回こうやって試し印刷していなかったら、と思うと冷や汗が出る。
「アナログな作業も、あながち捨てたもんじゃないってことか」
「ま、文明の利器があるに越したことはないがな。ほら、念のためと思って、ノートPCを持ってきた。使うといい」
「ありがとう、岸! お前はオレの騎士(ナイト)、いや救世主(メシア)だ!」
「大仰だな」
 にこりともせずに答えた次の瞬間、不意を突かれたように吹き出す。
「お前……まだ根に持ってるのか、『黙字のk』」
「べっつにー」

 たった一つのアルファベットで、ただの(night)騎士(knight)になる。そんなこともあるのだ。

「ほら、夜は短いぞ。さっさと取り掛かることだな」
「おっと、そうだった! よーし、朝までにはなんとしても終わらせるぞー!」
アナログな夜・終わり


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