第6話「どうなった」

 劫火が舞い、竜巻が踊る。激しい雷光が駆け抜けたかと思えば、荒れ狂う水流がそれを追いかける。
 次から次へと繰り出される技の数々は、まるで魔法の見本市だ。しかも普段は滅多にお目にかからない大技ばかりが放たれては打ち消され、そこからまた次の魔法へと繋がっていく。
「凄い……!!」
 結界で守られている安心感もあって、サラは食い入るように目の前で繰り広げられる魔法合戦を見つめていた。
 もうすでに一時間以上続けているはずなのに、二人とも全く技に衰えが見えない。余計な口は一切挟まず、ひたすらに呪文を唱える二人の横顔は、なぜかとても楽しそうだった。一歩間違えれば命を落としかねない場面なのに、二人とも満面の笑みを浮かべ、矢継ぎ早に呪文を紡いでいく。
 強大過ぎる力を持つ故に、普段は全力を出すことを禁じられている二人。普段から不満を口にしてはばからないリダだけでなく、リファもまた力を抑えて使うことに多少なりとも閉塞感を覚えていたのかもしれない。でなければ、あんなに楽しそうに攻撃魔法を叩き込んだりはしないだろう。
『氷結の礫よ――!』
『火球招来――!』
 またぞろ大技が炸裂し、舞台の真ん中で炎と氷がぶつかり合って、弾けるような音が辺りに響き渡る。そう、まるで子どもが泣いているような――。
「あれ?」
『やめ!!』
 凛とした声が響き渡り、途端にパンッと何かが砕け散るような音がして、すべての魔法が消え去った。
 途端に静まり返る中庭にこだまする、すすり泣くような幼い声。
 振り返れば、白亜の宮殿からこちらへ向かって歩いてくる一人の女性の姿が見えた。その細腕で赤子を抱え、白い衣をはためかせてゆっくりと歩を進める優美な姿は、まるで神話の女神が絵画から抜け出してきたかのようだ。
「やばっ……」
 途端に顔をしかめて、そろりそろりと後退しようとしたリダの足元から蔦が伸びて、その逃げ足を掬う。
「連帯責任ですからね」
 素早く囁いて、リファは現れた人物にさわやかな笑顔を向けた。
「これはこれはご機嫌麗しゅう、ルシエラ・エル=ルシリス」
 その名前に、ぎょっと目を剥くサラ。そして、泣きじゃくる赤子をよしよしとあやしながらやってきたその人物を恐る恐る窺えば、彼女は紅い唇を三日月の形に引き上げて、玲瓏たる声で告げた。
「生憎と、我が息子の機嫌は最悪じゃ。なにせ、折角すやすやと眠っていたところを叩き起こされたのだからのう」
「……やばい、魔女帝モードに入っちゃってるわ……」
「……ああなると手がつけられませんよ、どうします?」
 こそこそと囁き合う魔術士達をぎろりと睨みつけ、かつて『魔女帝』の二つ名を轟かせていた稀代の魔女は、背筋が寒くなるほどの笑みを浮かべてみせた。
「我が愛し子の眠りを妨げた罪は重いぞ。さて、どう贖ってもらおうかのう……!!」
 背後で轟く雷鳴が見えたような、そんな錯覚すら覚える魔女帝の怒りに、ひいい、と手を取り合って慄く魔術士達。
「ごめんなさいごめんなさいっ! もうしませんから許してくださいっ」
「本当にすみません。ディオのお世話を代わりますから、どうか勘弁してください。ねっ」
 平身低頭謝り倒す金髪の魔術士達、それを冷やかに見つめる魔女の赤き瞳。
 緊迫した空気を打ち破ったのは、あどけない笑い声だった。
 きゃっきゃと笑うその声に、ふと目元を緩ませるルシエラ。
「あら、ディオ。ご機嫌が直った?」
 口調も柔らかくなり、威厳ある女帝から一人の母親の表情へと一瞬で切り替わっている。いや、こちらこそが彼女の本来の姿なのだろう。
 ニコニコ顔で甘えてくる息子を慈母の笑みで見つめ、それからルシエラはおもむろに、離れたところで立ち尽くす少女へと視線を向けた。
「とんでもないことに巻き込んでしまったようですね。この二人も悪気があった訳ではないとは思うのですが、一般人を危険な目に合わせるなんて魔術士の風上にも置けません。私がきっちり言い聞かせておきますので、どうぞ許してください」
「ととと、とんでもない! ちゃんと結界で守ってもらってましたし、私もすごい魔法が間近で見られて、楽しかったです!」
 『魔女帝』ルシエラ――かつて魔術科の主任教授として教鞭を取っていた天才魔女にこんなにも低姿勢で謝られては、かえって申し訳ない。
 慌てふためくサラに、現在育児休暇中の魔女は目を細めて、ありがとうございます、と穏やかな笑顔を浮かべた。
「お詫びと言っては何ですが、よろしければ昼食をご一緒しませんか?」
「ええっ!? いいんですか?」
 ええ勿論、と微笑みながら、くるりと振り返る。
「この二人が腕を振るってくださるそうですから」
 にっこりと、それはもうにっこりと笑いながら、ねえ? と目で訴えてくるルシエラに、弾かれたようにこくこくと頷く魔術士達。
「そりゃあもう、任せてちょうだい!」
「腕によりをかけて作りますよ」
 そんな返事に頷いて、さらに笑顔で追い打ちをかける。
「ここの修復もお願いしますね。きちんと元通りに直してください。それと、今度から使う時は私の許可をきちんと取ってくださいね。勝手に使うからこういうことになるんですよ」
 ごめんなさいっ、と揃って頭を下げる二人に頷いて、ルシエラはさあ、と少女を手招きする。
「支度が整うまで時間がかかるでしょうから、それまで庭園を案内しましょうか。ここは私のお気に入りの庭なんです」
 艶やかな微笑みに思わずほう、と見惚れてしまってから、慌ててありがとうございます、と大きく頷くサラ。
 連れだって歩き出そうとして、何やら背後でこそこそと囁き合っている魔術士達に気づいたルシエラは、くすくすと笑って言った。
「心配なら、助っ人を呼んでも構いませんよ?」
 その言葉にリダがぱあ、と顔を輝かせる。
「本当? やったあ! ちょっと待ってて、ギルを呼んでくるわ!」
 慌てて駆け出していくリダの背中に、リファが楽しそうに声をかける。
「ついでにユラとアルを呼んできてください。どうせなら賑やかな食事会にしましょう。いいでしょう?」
「ええ、喜んで」
 鷹揚に頷くルシエラと、そんな母の笑顔に朗らかな笑い声をあげる赤子。仲睦まじい親子を、真昼の太陽が照らし出す。
 そんな微笑ましい様子に目を細めていると、ルシエラはあらいけない、と呟いて、サラに向き直った。
「ちゃんと自己紹介をしていませんでしたね。私はルシエラ。この子は息子のディオです」
「サラです。三丁目の駄菓子屋の娘です」
 その言葉に、まるで少女のように顔を輝かせるルシエラ。
「まあ! 駄菓子屋さん! 素敵ですね。今度ぜひ、おやつを買いに行きますね」
「ありがとうございます。お待ちしてます!」
「おや、こんなところにいたのかい?」
 ふと聞き慣れない声がして振り返れば、ちょうどリダと入れ替わりで庭にやってきた赤毛の青年と目が合った。
「あら、あなた」
 嬉しそうに声を上げるルシエラに手を挙げて答え、足取りも軽くやってきた青年は、ルシエラの手からディオをひょいと受け取って、嬉しそうに笑う。
「やあディオ、我が息子。さっき盛大に泣いていた気がしたけど、もうご機嫌かい?」
 高い高いをされてきゃっきゃと笑う赤子は、先程のぐずりようが嘘のようだ。そんな息子を手際よくあやしながら、赤毛の青年はサラへと爽やかな笑顔を向ける。
「やあ、新しいお友達かな? はじめまして。吟遊詩人のフレイといいます」
 その名は聞いたことがあった。普段は風の向くまま旅をしているが、時折学園へ戻ってきては音楽科の教師を勤めているという美貌の吟遊詩人。
「サラです」
 そう自己紹介すると、フレイはああ、と顔を綻ばせた。
「三丁目の駄菓子屋の看板娘さんだね。なるほど、噂通りの別嬪さんだ。君目当てのお客が引きも切らないというのも頷ける話だなあ」
 さすがは吟遊詩人、噂も早いし口も滑らかだ。思わず照れるサラの背後から、ごほんごほんとわざとらしい咳払いが響く。
「妻を娶った身で軽々しく女性を褒め上げるものではないぞ」
 冷ややかな声の主は、白銀の髪を束ねた細面の魔術士。リダが「あの陰険教師」と公言して憚らない魔術科の主任教授、『鉄面皮』ノーイだ。なぜこんなところに、と首を傾げるサラの横を通り抜け、ルシエラに小さく目礼をしてからディオを抱えたフレイへと向き直り、刺すような視線を投げかける。
「大体、結婚した身でありながら貴殿がふらふらとしたままだから、ルシエラに負担がかかるのだぞ」
「いやあ、私のようなちゃらんぽらんな男がそばにいるより、凄腕の子守りが一人ついていた方が安心でしょう?」
「リダにそそのかされて、こんなところで魔法対決するようなお方がついていただけでは不安は拭えん」
「ノーイ、それは私に対する嫌味ですか?」
「私はただ事実を述べているだけだが?」
 睨み合いに突入した子守りと側近に、まあまあと笑顔を向けるルシエラ。
「二人も反省しているようですし、ほら、二人が怖い顔で言い合っているから、ディオがまた泣きそうになっています」
 即座に振り返り、不機嫌そうな赤子に慌てふためく金と銀の魔術士。
「ディオ、すみませんね、また騒がしくしてしまって。大丈夫ですよ、喧嘩しているわけじゃありませんから」
「心配せずともよい。お主は笑っていてくれ」
 よしよしと頭を撫でられて、途端に機嫌を直すディオ。そんな息子を愛しげに抱えて、微笑みあうフレイとルシエラ。幸せそうな家族の構図に、思わず笑みがこぼれる。
 そこへ、遠くから何やら賑やかな声が聞こえてきた。
「もう、急に呼び出さないでよね!? 大事な魔法薬の調合中だったんだから!」
「あらあら〜、どうせあの配合では失敗していたでしょうし、いいじゃありませんの〜」
「腹減ったっすー。飯はどこですかー」
「えっ、こんなに集まってるの? 何を作ればいいんだよ! 俺、そんなすごいの作れないよ?」
「いいのよ、とりあえず食べられれば! ほら、助っ人いっぱい連れて来たわよ!」
「……呼んでないのも混じってますが、まあいいでしょう」
「うわっ、酷いっすよリファ師。俺だって魔術科の一員じゃないっすかー」
 途端に賑やかになる中庭に、魔女帝の朗らかな笑い声が響く。
「この離宮がこんなに賑やかになるのは久しぶりです。なんて嬉しいことでしょう」
「ああ、そうだね。それじゃあ昼食ができるまでの間、歌でもお聞かせしましょう! 題して――離宮の狂詩曲」
 ディオをルシエラに預け、どこからか取り出だしたる竪琴をつま弾けば、途端に溢れ出す華やかな音楽。
 白亜の宮殿に響き渡る歌声と歓声は、いつまでも続いたという……。

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