第2話「どこで」

 事の発端はといえば、遡ること七日前――。
 のどかな昼下がりのエスト村にて、村長ヒュー=エバンスがふと漏らした一言だった。


「そう言えば、今度エルドナでお祭りがあるんですよ」
 エルドナはローラ国西部で一番の賑わいを見せる街だ。街道が交差し、様々な人や物が行き交う交わりの街。辺境の村エストからは馬車で三日ほどのところにあり、エスト村唯一の宿『見果てぬ希望亭』を定宿にしている遺跡探索の冒険者三人組――エスタス・カイト・アイシャ――も、遺跡で見つけたお宝の鑑定と換金のためにエルドナへ行くことがある。
「へえ、お祭りですか! この時期に珍しいですねえ」
 眼鏡を光らせて食いついてきたのは、知識神ルースに仕える神官であるカイト。神官に課せられる「知識の旅」の途中、この辺境の村エスト近郊のルーン遺跡に興味を抱き、西大陸から渡ってきた冒険者の一人だ。
「夏祭にしても早い気がするなあ」
 剣の手入れをしつつ首を傾げたのは、赤毛の剣士エスタス。カイトの幼馴染であり、幼い頃から現在に至るまで、「尻拭い担当」を否応なく押し付けられている不運の人でもある。
「噴水祭」
 窓辺でぼそっと呟いたのは、三人組の紅一点こと精霊使いのアイシャだ。知識の旅の途中で出会い、行動を共にするようになった南大陸出身の彼女は、共通語が不得手ということもあり、常に必要最低限のことしか喋らない。
「おや、アイシャさんはご存じだったんですね」
 細い目を更に細めて、嬉しそうに説明を始める村長。なんでも、二百年ほど前、エルドナの中央広場に大きな噴水が設置されたことを記念して始まった祭で、三年に一度、六の月の終わりに三日間開催されるらしい。
「広場にはたくさんの出店が出て、とても賑やかなのよ。夜には噴水が魔法の光で照らされてね、それはもう綺麗なの」
 お茶のお代わりを運んできた宿の女将レオーナが、うっとりとした表情でそう話してくれた。
「まだ結婚して間もない頃、仕入れついでに二人で見に行ったんだけど、あのエドガーが感動で泣きそうになっててね」
「えっ……」
 思わず絶句するエスタスの背後から、ごほんごほんとわざとらしい咳ばらいが聞こえてくる。ばっと振り向くと、焼き菓子の乗ったお盆を手にした宿の料理人エドガーが、むすっとした顔でレオーナを手招きしていた。
「レオーナ。菓子を忘れてる」
「あら、あなた。ありがとう。ねえ、覚えてるでしょ? 昔見に行った、エルドナの噴水祭。綺麗だったわよねえ〜」
「……ああ」
 口数の少なさではアイシャに勝る剛腕の料理人は、そうとだけ答えると、さっさと厨房に戻っていってしまった。
「照れ屋さんなんだから、もう」
 ぷんぷんと怒ってみせるレオーナだが、そのあまりにも似合わない単語に慄くエスタスとカイトを尻目に、村長がずれかけた話を元に戻そうと、努めて軽快な声を出す。
「実はですねえ、その噴水祭の出店で、エスト村の農作物や加工品を売ろうと思ってるんですよ。出店許可もいただいてるんで、あとは当日の売り子さんを探すだけなんですが、皆さんこの時期は畑の世話で忙しくて、なかなか手が空いてないんですよねえ」
 言いながら、ちらっちらっと三人組に視線を送る村長。なるほど、祭の話題はその前振りだったのかと苦笑を浮かべて、エスタスはいいですよ、と頷いてみせた。
「今は暇ですから、俺達でよかったらお手伝いしますよ。なあ、二人とも」
「ええ! その噴水にも興味がありますしね。いやあ、エルドナの噴水は何度も見てますけど、そんな歴史のあるものだとは気付きませんでしたよ〜。俄然興味が沸きました」
「祭は、楽しい」
 どうやら二人とも異存はないようで、その言葉に村長もホッと胸を撫で下ろすと、いやあ助かりますと何度も頭を下げた。
「あちこちに声を掛けたんですが見事に振られ続けてしまって、皆さんが頼みの綱だったんですよ。いやほんと、ありがとうございます」
 出発は二日後の朝と決まり、細かい日程などを打ち合わせして、村長は弾むような足取りで『見果てぬ希望亭』を去っていった。
「安請け合いしちゃっていいの? ああ見えて、村長は人使いが荒いわよ?」
 からかうレオーナに、エスタスは苦笑を浮かべて答える。
「それは重々承知してますけど、祭と聞くとつい、嬉しくなっちゃうんですよね」
 エスタスとカイトの故郷である東大陸のエスタイン王国でも、頻繁に祭が行われていた。その日ばかりは学校も休みになり、小遣いを握りしめて出店を冷やかしたり、意中の子をどうやって踊りに誘うかで頭を悩ませたものだ。
「しばらくは遺跡に潜る予定もないし、ちょうど良かったですよ」
「そうだ!」
 素っ頓狂な声に振り向くと、何か思い出したらしいカイトがわたわたと手を振っている。
「そういえば遺跡で見つけたあの首飾り! 鑑定してもらおうって言ってたの、すっかり忘れてましたよエスタス!」
「ああ、そう言えばそうだったな」
 つい先日、ルーン遺跡を探索中に古びた首飾りを見つけたのだが、何しろ彼らは魔術士でもなければ鑑定士でもない。ただの装身具なのか、それとも魔法のかかった品なのかも分からず、とりあえず持ち帰ってきたものの、そのままになっていた。
「ちょうどいいから、ついでに鑑定してもらってこようぜ」
「ええ、忘れずに荷物に入れておかないと」
 早速荷造りを、と二階の部屋へすっ飛んで行くカイトの背中を見送りながら、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干す。続いてエドガー手製の焼き菓子を、と手を伸ばしたら、人数分用意されていたはずのそれはいつの間にか綺麗になくなっていた。
「アイシャー! 俺の分まで食べただろう!」
「おいしかった」
 口の傍に焼き菓子のカスをくっつけて、うんうんと頷いてみせるアイシャに、がっくりと肩を落とす。
「楽しみにしてたのに……」
「まあまあ。エルドナから帰ってきたら、また作ってくれるわよ。それに、明後日のお弁当もね。楽しみにしててちょうだい」
 レオーナにそう励まされ、よろしくお願いしますと頷いてよろよろと立ち上がる。カイトほどではないが、明後日からの遠出に備えて荷造りをしておかねばならない。
「往復六日に、祭が三日か。帰ってくる頃には月が変わってるな」
「季節も変わってるわよ。いよいよ夏の到来だわ」
 北大陸の夏は短い。故に人々は、駆け抜ける夏を存分に謳歌する。
「手伝うばっかりじゃなくて、祭をちゃんと楽しんでいらっしゃいね。素敵な出会いがあるかもしれないわよ」
 茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってくる女将に、そりゃ楽しみだと軽口で応え、階段を軽快に上り出す。その途端、上階から聞こえてきた悲鳴に苦笑を漏らし、エスタスは残りの段を一気に駆け上がった。
「どうしたカイト!」
「助けてくださいエスタス〜! 本が、本が雪崩れてっ……」
「またか……」

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