第3話「誰が」「誰と」

「すごい」
 珍しくもアイシャがそんな感想を呟くほどに、エルドナの街は人で溢れ返っていた。
 三年に一度の祭りとあって、街の住人のみならず、大勢の観光客が押し寄せているようだった。街の中央にある噴水広場には出店が立ち並び、あちこちから色々な匂いが漂ってくる。
「アイシャ、離れるなよ。迷子になるぞ!」
 エスタスが注意したのも束の間、アイシャはふらふらと出店の一つに引き寄せられ、店主の熱心な言葉に耳を傾けている。
「アイシャ!」
 妙なものを売りつけられては敵わない、と慌てて駆けつけたが、時すでに遅し。アイシャはどぎつい紫色の液体が入った硝子の小瓶を握りしめ、ほくほくとした表情で立ち上がった。
「何を買わされた!? 妙な薬じゃないだろうな!?」
「ヤダナー、お客サン。変な物、売ってないヨー」
 パタパタと手を振る店主は、浅黒い肌の青年だった。アイシャと同じく南の出身なのだろうか。言葉にもどこか異国の響きが混じる。
「元気になる、薬」
 アイシャの返答に思わず眉を顰め、彼女が握っている小瓶を胡乱げに眺めるエスタス。
「カイトにか?」
 そう尋ねると、アイシャはどこか照れくさそうに、こくんと頷いてみせた。
 三人組の《暴走知恵袋》ことカイトの姿がここにないのには理由がある。ここまでの道中ではしゃぎ過ぎたのか、昨日の夜から体調を崩し、街に着くやいなや宿屋の寝台で寝込む羽目になっているからだ。
「ソレ飲めば、たちまち体軽くナルヨ。飛び上るくらいに元気出る、間違いナシ!」
 器用に片目を瞑ってみせる店主に、聞き慣れない言葉で何かを告げ、くるりと踵を返すアイシャ。
「お、おいアイシャ!」
「ご飯、買わないと」
 二人がカイトを宿に残して広場まで出向いたのは、昼食を調達するためだ。村長は明日から店を出すための最終確認に役場へと出向いている。昼食を探すがてら祭の雰囲気を味わってくるといいですよと勧められて、二人でこの噴水広場へやってきたのだが、あまりの人出と店の多さに、もはやお腹いっぱいといった感じだ。
「お客サン、美味しい店アルヨ。南の料理ネ」
 ちゃっかり話を聞いていたらしい青年の言葉に、すでに歩き出していたアイシャがものすごい勢いで戻ってきた。
「どこ」
「五軒先の紫色の天幕ダヨ。串焼きも炒め飯もアッタヨ。山羊の煮込み、美味しかったナァ」
「山羊の煮込み!!」
 アイシャのこんな弾んだ声を聞いたのは初めてな気がする。
「買ってくる」
 走り出しかけたアイシャを慌てて引き留めて、エスタスはまあまあと宥めるような声を出した。
「故郷の料理にはしゃぐのは分かるけど、南大陸の料理ってあれだろ、香辛料がききまくってる奴だろ。今のカイトにそれは酷だと思うぞ」
 エスト村に居つく前、三人であちこち回っていた頃から、食事当番は交代制だった。定宿が出来た今では作る機会も少なくなったが、アイシャが当番の時に出てくる、匂いも味もかなり強烈な南国の料理の数々は今でも鮮明に覚えている。エスタスはともかく胃腸の弱いカイトは割と大変な思いをしていた。
「それだったら、東大陸の料理を探してやった方が、あいつも嬉しいんじゃないか」
 エスタスとカイトの出身地である東大陸の料理は薄味で、出汁を利かせて素材の味を引き出すものが多い。今の弱っているカイトにはその方がいいと思っての提案だったのだが、アイシャはぶんぶんと首を振った。
「弱ってる時、辛いのを食べる。汗が出て、元気になる」
「俺やアイシャならそれでいいかもしれないが、カイトは胃が弱いんだぞ。今のあいつに辛い物なんか食べさせたら、逆に胃をやられて寝込んじまうよ」
「香辛料は、薬」
「いや、だからその香辛料にやられるんだって」
 一歩も引かないアイシャに、やれやれと頭を掻くエスタス。口数こそ少ないが、彼女がこうと決めたらテコでも動かない頑固者であることはこれまでの付き合いで学んでいる。
 どうしたものかと頭を抱えかけたその時、能天気な提案が背後から響いてきた。
「では、料理対決をするというのはいかがでしょう?」
 聞き慣れた声に二人して振り返れば、そこには宿の入口で別れたはずの村長の姿があった。
「村長!?」
「話は聞かせてもらいました。南大陸の料理か、東大陸の料理か。お互いがそれを作って、カイト君に決めてもらえばいいんですよ」
 幸い、ここには材料も豊富にあることですし、とにこやかに言ってのけ、さあどうです? と周囲に呼びかける。
「ソレ、いいネ!」
「お、なんだ? 面白そうな話してるじゃねえか」
「南と東の料理対決だってよ、みんな!」
 どっと歓声が沸き上がり、何だかもう当事者を置き去りにして勝手に盛り上がり始めた周囲を、村長のよく通る声が効果的に煽る。
「それでは、対決は明日の朝! この噴水広場の特設会場で行います! 皆さん、どうぞお楽しみに!!」
 万雷の拍手が沸き起こり、見知らぬ人々から叱咤激励の声を浴びせられ、アイシャとエスタスはぽかんと立ち尽くすしかなかった。
「そ、村長……」
「いやぁ、何か祭を盛り上げる企画はないかと役場の方に言われましてね。ちょうどいいじゃありませんか。明日までに二人とも、何を作るか決めておいてくださいよ」
 というわけで、と手にした包みをひょいと持ち上げ、にっこりと笑う村長。
「今日のところは、北大陸の名物料理で我慢してください。さあ、カイトさんが待っていますよ。宿に戻りましょう」

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