第4話「何をして」

 明けて翌日――。
 噴水広場は朝から異様な熱気に包まれていた。
『えー、えー。ただいまより、噴水祭特別企画『五大陸対抗料理対決』を行いまーす!』
 どこから借りてきたのやら、拡声の魔具を使い広場中に響き渡る声でそう宣言したのは、誰であろうエスト村長ヒュー=エバンスだ。
「五大陸って……なんで増えてるんだ」
 天幕の下、呆れ顔で頭を掻くのは青い前掛けをつけたエスタス。一方、隣の天幕では赤い前掛けをつけたアイシャが、どこで調達してきたのか何種類もの香辛料をせっせと仕分けている。
 噴水を囲むように設置された天幕は五つ。各大陸を想起させる色に塗り分けられた天幕の中にはそれぞれに簡易な調理台と大量の材料が用意されていた。
 南大陸代表はアイシャ、東大陸代表はエスタス。あとの三大陸の代表者は、どうやら村長が昨日広場中を駆け回って集めて来たらしい。
『制限時間は一刻! それぞれ、自慢の郷土料理を作っていただきます! 料理の種類・数に制限はありません! 皆さん、どうぞ存分に腕を振るってください!』
 噴水前の特設台で手際よく説明をしている村長は、北大陸代表で出場するのかと思いきや、料理が得意ではないという理由で司会進行役に回ったらしい。
 審査員には『公正を期すため』ということで、村長が適当に声を掛けた老若男女が十人ほど選ばれているが、末席の「特別審査員」と書かれた札が立てられた席は空席となっている。本来そこに座っているはずの人物は、叩いても揺すっても起きる気配がまったくなかったので、置き手紙だけしてそのまま寝かしておいた。
「カイトのやつ、手紙にちゃんと気づくかな……」
 一応、昨日のうちに説明はしてあるが、その時はまだ熱があったから、どこまで把握できているかがかなり怪しいものだ。
『さあ、鐘の音と共に調理開始です! 皆さん、準備はよろしいですか!?』
 大仰な身振りで時計台を指差す村長。長針がカチン、と頂点を示し、割れるような歓声が噴水広場を埋め尽くした。
『料理対決、開始です!!』
 どこからか快活な音楽が流れ出し、雰囲気を更に盛り上げていく。
「おいおい、やり過ぎだろ……」
 冷や汗を掻きつつ、エスタスは材料の並んだ調理台を改めて見回し、よし! と両の拳を打ちあわせた。
「やるしかないか!」
 献立はもう昨日のうちに考えてある。カイトと二人、成人するまでを共に過ごしたエスタイン王国の名物料理。帰省するたび母に作り方を教わっていたのが、まさかこんなところで役に立つとは思いもよらなかった。
 手際よく野菜を刻んでいくエスタスに対し、正面の赤い天幕の下では、アイシャが大きな擂鉢に香辛料を次から次へと放り込み、擂粉木でごりごりとすり潰している。
『おおっと、南大陸代表アイシャ選手! 一心不乱に香辛料を擂っているー!! 一体これは、何に使われるのでしょうか! 実に気になります!』
 いつの間にやらやってきた村長が、まるで格闘技の試合でも解説しているようなノリで、拡声魔具を手に実況しているのが、どうにも鬱陶しい。
『変わってこちらは東大陸代――』
「村長! 気が散るんであっち行ってください!」
 先手を取って抗議したところ、村長は残念そうな顔でそそくさと青い天幕を離れて行った。すかさず今度は緑の天幕、西大陸代表の実況を始めたが、こちらを気にしてか声量を抑えてくれている。
 そうして村長が五大陸の天幕を一通り回った頃には、あちこちの簡易竈からいい匂いが漂い始めていた。
「よし、これであとは煮込むだけ、と」
 一品目を終え、さて次に取り掛かろうとしたところで、再び目の前の赤い天幕が目に入る。どうやら香辛料の調合を終えたらしいアイシャは、それを鍋で炒めて、そこに具材と水を投入し終えたところだった。しかし、その時点ですでに、鍋から立ち込める匂いが半端ない。
「アイシャ……お前また、そんな強烈に辛そうなものを……」
 ちらりと窺えば、鍋の中身は真っ赤に染まっている。
「これはすごいですねえ〜」
 呑気な声に振り向けば、村長がエスタスの隣でふむふむと腕組みをしていた。
「村長!」
「あ、お邪魔でしたか? いや、一通り実況も終わったので、司会としてではなく一個人として皆さんの応援に来たんですが」
 確かに、各天幕は煮込みや二品目の下ごしらえと言った、実況するには地味な行程に突入している。あとは恐らく完成間際にあちこちを回るつもりなのだろう。
「公正を期すためお手伝いはできませんが、応援なら幾らでもしますよ!」
 あまり嬉しくはない申し出だが、横に居座られて延々実況されるよりは幾分マシだ。
「エスタス君が料理をしているところは初めて見ますが、なかなか手馴れてますよね。やはり、エスタインでは男女問わず料理も必修科目なんですか?」
「確かに学園でも習いましたけど、ほとんど自己流というか、母親が料理しているところを見て覚えたようなもんですよ。実はカイトの方が料理はうまいんですけどね。あいつに作らせると時間がかかって仕方ないんです」
 なるほど、と苦笑を漏らし、ついと向かいの天幕に目を向ける村長。その視線の先には、また何やら擂鉢で擂っているアイシャの姿がある。
「アイシャさんは……手際はよいようですが……」
「上手いんですよ、アイシャの料理も。ただとにかく香辛料が効いてるから、慣れないとキツイでしょうね」
 旅の途中など、手持ちの材料で調理するしかない時はまだ控えめになるのだが、今回は南大陸料理を出している屋台の店主が色々な香辛料を提供してくれているものだから、いつも以上に張り切っているようだ。漂ってくる香りも半端ない。
「そう言えば村長。カイトの様子を誰かに見に行ってもらえないでしょうか。このままだと、試食に間に合わないかもしれませんよ」
「そうですね。後で手の空いている人間を行かせましょう。今朝の様子では熱も下がってましたし、そろそろ起きているかもしれませんね」
 では、と手を振って天幕を後にした村長に、ほっと息を吐いたエスタスは、残り時間を使って二品目を作るべく、再び包丁を手に取った。
「アイシャさん、調子はどうですか?」
 ひょっこり顔を出した村長に、擂鉢を抱えたアイシャは表情を変えることなく、こくんと頷いた。
「すごい匂いですけど……」
「いい香辛料、手に入った」
 どことなく嬉しそうな声音でそう答え、擂り終えたそれらを鍋に投入し、ぐるぐると掻き混ぜる。
「それで完成ですか?」
「もう少し、煮込む。その間に、お菓子を作る」
「おやおや。これは楽しみですねえ!」
 お世辞ではなくそう答える村長を横目に、何やら揚げ油の用意を整えたアイシャは、続いて深めの器に卵だの小麦粉だのを投入すると、それを両手で捏ね始めた。
「あ」
 唐突にその手がとまり、珍しく焦ったような表情を浮かべるアイシャに、おやと小首を傾げる村長。
「隠し味、入れ忘れた」
 粉だらけの両手を見て思案するアイシャに、それなら、と片目を瞑ってみせる。
「私がやりましょう。何、そのくらいなら手助けしたとはみなされませんから大丈夫ですよ」
「頼む」
 ホッとした顔で、再び生地を捏ね出すアイシャ。
「どれを何に入れればいいんです?」
 何しろ調理台の上は材料と香辛料でいっぱいだ。
「紫の瓶。中身を全部、鍋に」
 相変わらず最低限のことしか言わないアイシャの言葉を手掛かりに、様々な瓶からお目当てのものを探し出す。
「ああ、これですね。これを鍋に、と」
 妙に粘度のある液体をとぽとぽと鍋に注ぎ込み、ぐりぐりと掻き混ぜて、村長は満足げにおたまを置いた。
「はい、できましたよ」
「助かった」
 僅かに表情を緩めたその顔が、彼女なりの笑顔であることを知っていたから、村長はどういたしましてとにっこり微笑んで、空になった瓶を脇に寄せると、さてと呟いた。
「そろそろ、誰かにカイト君の様子を見に行かせますかね。折角のお料理を食べてもらえなかったら、悲しいですもんねえ」
 こくこくと頷くアイシャに手を振って、天幕を出ていく村長。その背中を見送って、アイシャはようやく一つにまとまった生地を手際よく千切って丸めると、次々と揚げ鍋の中に放り込んでいった。

<< >>