第5話「どうなった」

 カラーン、カラーンと澄んだ鐘の音が鳴り響く。
『しゅうりょーう!! 皆さん、手を止めてくださーい! お疲れ様でしたー!!』
 間髪入れずに響き渡った村長の声に、仕上げを終えたエスタスはお玉から手を離した。
「ふう、終わったか」
 塩漬け肉と野菜を煮込んだ汁物が一品、付け合せが二品。一刻の間に作ったにしては上出来だろう。
 さてアイシャの方は、と向かいの天幕を窺えば、ぐつぐつ煮えたぎる鍋の前で満足げに腕組みをしているアイシャと目が合った。
「どんな出来だ? アイシャ」
「上出来。これなら、負けない」
 ぐいと親指を突き出して答えるアイシャ。彼女にしては珍しい感情表現に慄きつつ、こちらこそ、と笑ってみせるエスタス。
『さて、それでは早速審査に入りたいと思います! まずは緑の天幕、西大陸代表のリュシオーネさん!! リュシオーネさんはなんと、一昨年まで西大陸の『塔』で料理人をされていた実力派! 現在は港町リトエルで雑貨屋を営んでいらっしゃいます。さあ、『塔』の魔術士達を虜にした料理の数々、披露していただきましょう!』
 歓声に包まれながら審査員席へと進むのは、たおやかな名前の響きとは裏腹に肝っ玉母さんを絵に描いたような中年女性だ。袖から覗く逞しい二の腕は、『塔』で大量の食事を作り続けてきた証拠だろう。
「カイトのやつ、やっぱり間に合わなかったか……」
 一番端の特別審査員席は、相変わらず空いたままだった。それは観客も気になるところだったようで、ざわつく広場に村長の声が響き渡る。
『特別審査員がまだ来ておりませんが、時間がありませんので進めさせていただきます』
 申し訳なさそうにそう断りをいれた村長は、それでは、と大仰に片手を振り上げた。
『審査員の皆さん、どうぞ召し上がってください!!』
 一層大きな歓声が上がり、審査員達がそれぞれ旨そうに料理を頬張る中、赤の天幕ではアイシャが揚げ菓子を網の上で冷ましながら、ちらちらと広場の入口を窺っている。彼女もまた、カイトがまだ到着していないことを気にしているのだろう。
「大体、そもそもはカイトに食べさせるために買い出しに行っただけだもんなあ」
 それがいつの間にか、こんな大事になっているとは、世の中いつ何がどう転ぶか分からないものだ。。
『南大陸代表のアイシャさん、準備をお願いしますねー。その次は東、北ときて、最後は中央大陸という順番になりますよー』
 そんな言葉に審査員席を振り返れば、まだ審査員達は西大陸の料理に舌鼓を打っている。まだ時間はありそうだと判断して、エスタスは青の天幕を離れると、せっせと食器を並べているアイシャへと近づいていった。
「アイシャ、一人で大じ――って、なんかいつもに増してすごいな、それ」
 鍋から立ち上る刺激的な香りに、思わず顔を顰めるエスタスに、アイシャはえっへんと胸を張ってみせる。
「いい香辛料、手に入った。隠し味も、ばっちり」
「……一応聞くが、味見したよな?」
 その言葉に、はっと口を押えるアイシャ。
「……してないんだな」
「してなかった」
 これはまずい。辛過ぎて審査員がひっくり返りでもしたら一大事だ。
「今からでも遅くない。味見しといた方がいいぞ」
 真摯な瞳で提案するエスタスに、アイシャもさすがにまずいと思ったらしい。こくりと頷いて、赤く煮えたぎる鍋の中身を手早くすくい、なぜか二つの小皿によそったと思ったら、一つをぐい、と突き出してきた。
「……何で俺の分まで」
「私じゃ、分からない」
 要するに、辛いものに慣れている自分では、一般的な感覚が分からないと言いたいらしい。提案してしまった責任もあるし、と腹を括り、エスタスは差し出された小皿を受け取ると、その赤さにごくりと喉を鳴らした。
「……大丈夫なんだよな!?」
「大丈夫」
 自信満々に頷くアイシャを信じ、一気に小皿の中身を喉に流し込む。
「かっ……!! 辛っ……」
 それ以上は言葉にならず、顔を真っ赤にして咳き込むエスタス。そんな彼を尻目に、平然とした顔で「おいしい」と頷いているアイシャ。
「アイシャ、これはちょっとっ……ヤバい――え?」
「美味しい。大丈夫。――あ」
 真っ赤な顔で却下しようとしたエスタス、そして満足げな表情で審査員の分を器によそい始めたアイシャ。両者の足がふわりと地面を離れ、宙に浮き上がる。
「おおおおおお!?」
「わあ」
 まるで体から重さが消えてなくなったかのように、ぷかぷかと浮き上がった二人の体は、天幕に受け止められてどうにか静止した。
 衆人環視の中での出来事だ、集まった観客達からは驚愕の声が上がり、それが広場中に伝播していく。
「え、なにあれ」
「浮いてる?」
「お母さん、あの人たち飛んでるよー?」
「おいおい、町中での魔法はご法度だろ」
 どよめきが溢れる広場に、村長の冷静な実況が響き渡る。
『おおっと、南大陸代表のアイシャさん、東大陸代表のエスタスさんが突然宙に浮き上がりました!! これは一体どうしたことでしょう!?』
「こっちが聞きたいよ!!」
 思わず怒鳴り返すエスタスを尻目に、ポンと手を打つアイシャ。
「分かった。薬のせい」
「薬ぃ!? ああ、昨日買ってたあれか!」
 昨日、この噴水広場の出店の一つで買い求めていた『元気になる薬』。確か店主は「飛び上るくらい」にと言っていなかったか。
「本当に飛び上がってどうするんだ!! つーか、なんでそれを料理に入れた!」
「私じゃない。多分、村長。隠し味の瓶と間違えて、入れた」
『これは大変なことが起こりました!』
 やけに近くで声が聞こえると思ったら、拡声の魔具を手にした村長がバタバタと駆け寄ってくるところだった。
「すみません、私がさっき瓶を間違えてしまったんですね」
 さすがに魔具から口を離して謝罪してくる村長に、アイシャが仕方ないと手を振る。
「言い方、悪かった。隠し味は、こっち」
 空中で器用に体を回転させて、アイシャが指差したのは『紫色の硝子瓶』だ。昨日アイシャが買い求めていた『紫色の液体が入った瓶』と間違えてしまったのだろう。
「なんてもん入れるんですか!!」
 抗議するエスタスの横で、アイシャは動くコツを掴んだのか、水中を泳ぐように天幕の中を所狭しと飛び回っている。
「アイシャ! 何やってんだ!」
「楽しい」
 そんな様子を見上げて、村長は腕組みをするとしみじみと呟いた。
「はあ、確かにこれは、”飛び上がるくらいに”元気が出る薬ですねえ……」
「デショー。元気、ゲンキ」
 いつの間にやらやってきて、呑気な相槌を打っているのは、例の薬をアイシャに売りつけた異国の行商人だ。
「あんた! 何を売りつけやがった!」
 その声を聴きつけたエスタスは、天幕の支柱を蹴って空中で一回転すると、男の胸ぐらを掴んで抗議の声を上げた。しかし彼はぱたぱたと手を振りながら、陽気な声でこう返してくる。
「ダカラ、元気になる、薬だネー。楽しいデショ?」
「そういう問題か!」
『これは予想外の事態になりました。なんとアイシャさんの料理は、飛び上るほど元気が出るようです!』
 適当な実況を入れる村長に、観衆からは驚きと喝采とが半分ずつ上がっている。審査員達は何とも言い難い表情でこちらを窺っているが、今はそれどころではない。
「おい! これ、いつになったら効果が切れるんだ!?」
「さア?」
 小鳥のように小首を傾げる異国の商人に、またもやエスタスが怒鳴り声を上げようとした、まさにその時。
「そうだ」
 そんな声に振り向けば、どこか楽しそうに瞳を輝かせたアイシャがふわりと宙を泳いで近寄ってきた。
 そのまま両手を口に当て、こそこそと耳打ちをしてくるアイシャに、最初は皺の寄っていたエスタスの眉間が徐々に緩んでいき、最後はとっておきの悪戯を思いついた子どものような表情を浮かべて、ぱちんと指を鳴らす。
「そりゃいいな」
「行こう」
 ひょいと机の上のお盆を取り上げ、力強く天幕の支柱を蹴って、遮るもののない青空へと飛翔する、南の国の少女。
「ちょ、ちょっとアイシャさん!? どこへ行くんですか?」
 慌てた声を出す村長に、一度自分の天幕に戻ったエスタスが、楽しげに言葉を投げかける。
「ちょっと野暮用で! 先に進めててください!」
 こちらもお盆を手に、ひらりと碧空へ飛び出す赤毛の青年に、会場からまたもやどよめきが沸き起こる。
「ええっ!? あー、えーっと」
 説明もされぬまま取り残された村長は、しばし呆然と空を翔る二人の背中を見送っていたが、はたと我に返ると、手にしていた拡声の魔具を作動させて、今にも詰め寄ってきそうな観衆に向けて大声を張り上げた。
『えー、ただいま南大陸代表、東大陸代表が急用で飛んで行ってしまいましたのでー、先に北大陸代表の方、お願いしますです、はい』

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