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「うちは代々、霊力の強い人間が出やすい家系らしくてね。その体質を生かして、祖父母の代まで悪霊払いを生業にしてたんだよ」
 悪霊払い。言葉で聞くと胡散臭いが、自分の隣に幽霊が正座して、一緒に話を聞いているような状況だと、否が応でも納得するしかない。
「ただ、昨今は複雑な事情で現世に未練を残している幽霊が多いらしくてね。力技で祓ってしまうよりも、きちんと未練をなくして成仏してもらう方がいいってことで、三十年くらい前にこの『松和荘』を始めたんだ」
 要するに、あちこちから未練を残して現世に留まっている幽霊を集めてきて住まわせ、未練を解消する手伝いをするシステムに変更した、というわけだ。
「なんで集めちゃうんですか!」
「あちこちで好き勝手にされるより、一所に集めておいた方が目も行き届くからって」
 時代の移り変わりとともに下宿を希望する学生が激減し、廃業を余儀なくされた矢先のことだったから、建物を遊ばせておくよりはいいじゃないかということで、一族からも特に反対意見は出なかったらしい。
 そんなわけで、下宿から一転『幽霊アパート』となった松和荘だが、この画期的なアイディアには一つ、重大な欠点があった。
「困ったことに、これだと儲からないんだよね」
 幽霊達は当然のことながら賃料を払えない。故に、幽霊相手のアパートでは、建物の維持費がかかる分だけ赤字になる一方なのだ。
「そりゃそうですよね」
「アタシが言うことじゃないけど、やる前に気づきなさいよ」
 呆れ顔の貴子に、香澄も「ほんとだよねえ」と溜息を漏らす。
「そんなことを、祖母が知り合いの不動産屋に零したら、『だったら、その条件で同居してくれる人間に部屋を貸して住んでもらえば賃料が取れていいんじゃないか』という話になって」
 それを聞いて、思わず背後の不動産屋を振り返ってしまった侑斗を、誰が責められようか。
「道端さん!」
「待って! それ言ったの僕じゃないです! うちのご隠居! 先々代の店長!」
 後ずさりながら弁明する道端に、それもそうかと頬を掻く。三十年も前の話なのだから、下手をすれば彼は生まれてさえいないだろう。
「すいません。いかにも道端さんが言いそうな台詞だと思ってしまいまして」
「ひどいなあ、もう」
 床に『の』の字を書いて分かりやすくいじける道端のことは放っておいて、改めて香澄へと向き直る。
「それで、幽霊つきアパートの誕生ですか」
「そういうこと。今、八部屋あるうちの六部屋は埋まってて、一部屋は改装中。だからここには今、六人の人間が納得ずくで暮らしてる。君が七人目になってくれると嬉しいんだけどね」
 意外だった。てっきり、ここまで話したからにはもう契約するまで帰さないぞ、くらい言われると思っていたのに。
「――秘密を知られたからには、みたいな展開にはならないんですか」
 思わず聞いてしまったら、それはもう盛大に笑われた。
 香澄は腹を抱えて笑い転げるわ、文は顔を真っ赤にして噴き出すのを堪えているわ、道端に至ってはちゃぶ台をバンバン叩いて大笑いしていて、これはこれで腹が立つ。
「悪者の台詞じゃないのよ、ソレ」
 貴子だけが呆れ顔で、投げやりなツッコミを入れてくる。
「いやその、ここまで突っ込んだことを聞いちゃったら、もうここに住む以外ないのかなって」
「なあに、人に話したって、まともに信じてもらえるようなものじゃないからね。選ぶのは君次第だよ」
 有難い言葉だったが、そもそも侑斗には選り好みをしているような余裕がない。今度ゲリラ豪雨がやってくれば、次は自分の部屋が水浸しになる可能性もあるのだ。
 ここが運命の分かれ道だ。腕組みをして考え込む侑斗に、香澄がぱたぱたと手を振ってみせる。
「そう難しく考えることでもないよ。ただ、人間同士で相性の合う・合わないがあるように、人と家にも相性がある。見たところ、君は『松和荘』と相性がいいんじゃないかなと、私は思うよ」
 実に含蓄のある台詞だったが、笑いすぎで涙を滲ませながら言われても今一つ格好がつかない。
 しかし、その言葉で腹が決まった。いや、逆だ。張りつめていたものが解けて、肩の荷が下りた。
 相性が合うか合わないかなんて――住んでみなければ分からないじゃないか。
「ここに決めます」
 自分でも不思議なくらいに、迷いのない言葉が出た。
 その決意をかみしめるように、まっすぐ見つめれば、笑いの残滓を振り払った香澄が深く頷きを返す。
「松和荘へようこそ。歓迎するよ」
 差し出された手をおずおずと握り返せば、がっしりとした手がその上に重なった。
「よろしくねぇ、新しい同居人サン☆」
「よ、よろしくお願いします」
 香澄の手に重ねるようにして、ぶんぶんと振り回される手。いや、振り回しているのは香澄の方か。クールな雰囲気だが意外にノリがいいらしい。
「触れられないのは残念だけど、こういうのはキモチよね」
 くるりと上向いたまつ毛でバチンとウインク。ごつい笑顔だが愛嬌があるな、と思ってしまったあたり、すでにこの空間に順応し始めてしまった気がする。
「アタシの好みとはちょっと違うけど、いいボケしてくれるし、真面目そうだし、うまくやっていけそうじゃなぁい?」
 好みだったらどうなっていたのだろう。それを聞いたら決意が鈍りそうなので、あえてそこはスルーしておく。
「じゃあ早速ですが、契約に必要な書類を用意しますね」
 にこやかに言って踵を返す香澄。追随しようとした文が、思い出したようにくるりと振り向く。そして――。
「侑斗さんとお呼びしてよろしいのでしょうか。どうぞよろしくお願いしますね」
 軽やかな声に、頬が緩むのが自分でも分かった。
「よろしくお願いしますっ!」
 この機を逃すまいと勢いよく手を差し出した侑斗に、驚いたように目を見開た文は、嬉しそうに手を伸ばし――。

 すかっ。

「えっ」
「こういうのは気持ち、ですものね」
 触れられないその手は、白く滑らかで。そして―僅かに透き通っており。
「私のようなものにまで気を使ってくださって、とても嬉しいですわ」
 形だけ握手の真似事をして照れたように笑う文と、人の悪い笑みを浮かべて、それでも黙ってくれている貴子。そして――。
「ああー、せっかく勇気を振り絞ったのに残念でしたねー!」
 生ぬるい微笑みを浮かべつつ、すべてを台無しにする台詞を吐く道端。
「道端さん!」
「いやー、気づかなかったのも無理ないですよねー。文さんは年季が入ってるから、念動力で物体を動かしたりは出来るんですけど、生きてる物には触れないんですよ。これ、幽霊のほとんどに当てはまることなんですけど……」
 ぺらぺらと薀蓄をたれるこの優男を、一発殴りたくて仕方がない。

 かくして、松和荘の歴史に名を連ねることとなる苦学生・桐崎侑斗の苦悩は、書類を手に戻ってきた香澄が道端の背中に容赦ない一撃を叩き込むまで続いたのであった。

「道端さん、うるさい」
「は、はいぃ……」

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