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 真夏の水曜、午後二時。  無慈悲に照りつける夏の日差しに、商店街の人通りもまばらで、誰しもがわずかな日陰を辿るようにして彷徨い歩いている。
 そんな灼熱の時間帯に、ふらりと訪れたのは、憔悴しきった顔の男子学生だった。
「あの……お店、やってますか」
 不安そうにそう尋ねてきたのは、入口の看板が『ただいま外出しています』のままだったからだろう。
「ああ、すみません。看板をひっくり返し忘れてました。大丈夫、営業中ですよ。どうぞこちらへ」
 何食わぬ顔で看板をひっくり返し、店内で一番涼しい席を勧める。
 弱めていたエアコンの温度を上げ、商店街で配っている夏祭の団扇をそっと差し出してから、奥のキッチンで麦茶のグラスを用意して戻ってきた頃には、この世の終わりとばかりに憔悴していた学生の顔も、だいぶ落ち着きを取り戻していた。
「外は暑かったでしょう。よろしかったら召し上がってください」
 お盆で運んできたグラスの一つを客の前に、もう一つは向かい側に置いて、よっこいしょと席に着く。
「改めまして、いらっしゃいませ。道端と申します。本日は賃貸のお部屋をお探しですか?」
 にっこりとお決まりの文句を紡げば、男子学生は一瞬泣き出しそうな顔になって、それから「はい! 実は……」と堰を切ったように話し始めた。


 水曜日の午後。この時間帯は不思議と、こういう『切羽詰まった事情』を抱えた客がやってくる。
 夏目翔太と名乗ったこの男子学生も、もれなくその一人だった。
「ははあ、なるほど……。下宿先が廃業、ですか」
 近隣に中規模の大学があるため、この辺りにはまだ下宿を営んでいる家が幾つか残っている。
 そうは言っても、昨今は風呂・トイレ共同、エアコンなしの生活を選ぶ学生も減った。学生寮ですらプライバシーが守れないと忌避される時代だ、致し方ないと言えよう。
 そんな中、彼が下宿生活をしていたのは、ひとえに家賃が安いからだという。
 地方から上京しての一人暮らし、実家は農家で仕送りも少ない。わずかな仕送りとバイト代で暮らしていける部屋となると、どうしても限られてくる。
 今の下宿は学校側からの紹介で、互いの身元も保証されていたし、どうせ普段は授業とバイトで忙しく、部屋には寝に帰るようなものだったから、これまでは特に不便も感じず生活できていた。
「まさか、大家さんが急逝するとは思わなくて……。学校側に相談したんですけど、今は紹介できる下宿がないから、自分で不動産屋を回って探してこいと言われてしまいまして」
 しかも、その知らせを受けたのは、彼が実家に帰省していた最中だというのだから、なんとも不憫なことだ。
「貯金もそんなにないし、親からも多少の補助はするけどあまり期待するなと言われてるので、とにかく安くて、早めに引越せる部屋を探してるんです」
 多少の猶予はもらえたものの、今住んでいる部屋は下宿人全員が退去し次第、建て壊しになるという。
「ほかの人たちは、うまいこと学生寮に空きが見つかったり、前々から引越しを予定していたりして、行き先が決まってるらしいんです。あとは俺だけで」
 そうは言っても今は夏休み、しかもお盆シーズンだ。駅前に幾つかある大手チェーンの不動産屋はこぞって夏期休業中で、ほとほと困り果てていたところに、この『芥不動産』を見つけたのだという。
「俺、この商店街が通学路なんですけど、ここに不動産屋さんがあるって知らなくて」
「はは、皆さん、そう仰いますよ。この店、二年くらい前に改装しましてね。それまではもう、昭和のドラマに出てくるような小汚――いえ、風情のある店構えだったんで、夏目さんのように若い方が気軽に入って来やすい店にしようと一念発起してリフォームしたんです。ところが、今度は不動産屋っぽく見えなくなってしまって」
 表通りに面した入口を一面ガラス張りにして、店内には白いカウンターテーブルを配置して明るい雰囲気を出し、椅子や小物はレトロ可愛い芥子色に統一した。
 出入りの内装業者も渾身の出来映えだと豪語していたのだが、今度はお洒落すぎて、カフェと間違えて入店する者が多発。仕方なく、表に物件情報の看板を出したり、(のぼり)を立てたりと色々工夫しているのだが、なかなか認知度が上がらない。
「さっき通りかかった時、隠れ家カフェっぽいなと思ったんですけど、そういうことだったんですね」
 納得した表情の彼は、うっかり脱線した話を元に戻すべく、きりりと表情を引き締めた。
「その、引越し代を貯めないといけないので、バイトのシフトを増やしたんですけど、そうすると今度は部屋をゆっくり探す暇がなくて。今日はたまたま一日空いていたので、何とか今日中にどうにかしたいと思って」
 よほど『早く出ていけ』の圧が強いのだろう、疲れ切った顔で、ぐっと拳を握りしめる。
「無理は承知でお願いします、なんとか家賃五万以内で、今月中に引っ越せる部屋を見つけてもらえませんか。今の部屋は六畳一間で、トイレとミニキッチンは辛うじて室内にあるけど風呂がなくて、庭先にコインシャワーが置いてあるだけです。エアコンもなくて蒸し風呂状態だから、今の時期は日中はとても部屋にいられないんです。今より酷いことにならなければ、文句は言いません!」
 詳細に語られた現状に、思わず目を見開く。
「夏目さん……すごい部屋に住んでいらしたんですね」
 これが四半世紀前なら『典型的な男子学生の一人暮らし』で済んだ話だが、今時野外のコインシャワーブースなど、海の家かキャンプ場でもなければお目にかからないだろう。
「あ、やっぱりそうなんですか? 俺、一人暮らしは初めてなので、他のアパートとかマンションとか、どういう感じなのかよく分からなくて」
「お友達や先輩のお部屋に遊びに行かれたことは?」
「いやー、あんまり友達いなくて……。部活とかサークルにも入ってないから、部屋を行き来するほど親しい人間いないんですよ」
 恥ずかしそうに頬を掻く、その『純朴な好青年』を絵に描いたような横顔に、うんうんと頷く。
 上京して一年半、慣れない環境での一人暮らし。誘惑の多い都会に揉まれてなお、純真さを失わず、苦境に腐らず、懸命に生きてきた青年に、少しでも笑顔になってもらいたい。
「夏目さん。私に任せてください。――実は、とっておきのお部屋があるんです」
 戸棚から秘蔵の物件ファイルを取り出し、今時珍しい手書きの図面を抜き取る。
「古くからお付き合いのある、元下宿なんですけどね。今はシェアハウスに近い運用をしていて、木造二階建て、八畳一間にトイレとバスルームがついていて、家賃はなんと破格の四万円です」
「ええっ!?」
 驚くのも無理はないだろう。あまりにもあっさりと、現在の下宿よりも好条件の部屋を提示されたのだから。
「えっと……あの、何か問題があるから家賃が安い、というわけじゃないですよね? 事故物件、ってやつ」
 最近はインターネットの台頭で、訳あり物件の情報は瞬時に共有・拡散される。それまでは業界用語だった『事故物件』という言い回しも、随分と浸透したものだ。
「ああ、そういう物件ではないので安心してください。建物自体が築五十年を超えていて、全体的に古めかしい作りなんですが、耐震工事も済んでいるし、室内は随時リフォームを入れています。この三点ユニットバスはここ十年くらいで新しくついたので綺麗ですよ。ただ、キッチンが各部屋にないので、料理がしたい場合は共用部にある厨房を使ってもらう必要があるのと、やはりシェアハウスというのは人を選びますからね。見知らぬ他人との、節度を持った共同生活が出来るだろう方にしか紹介していないんですよ」
「そんな……俺、人付き合いとかあまり得意じゃないんですけど……?」
 怯えた顔をする彼に、ぱちりと目配せを一つ。
「大丈夫。初対面の僕と、こうしてお喋りが出来ているんだから問題ありませんよ。夏目さんならきっと大丈夫です」
 これでもプロだ、人を見る目には自信がある。
 一見、気弱そうに見えて、多少のことではへこたれない、力強く図太い魂の輝き。
 この青年ならば、多少癖のある住人がいようと、うまいこと暮らしていけるだろう。
 そこが、当社自慢の隠し球――幽霊とのシェアハウス(・・・・・・・・・・)だとしても。

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