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| 第三章[10] |
新緑の大地にそびえる煉瓦の城壁。列を成す旅人の群れは、さながら菓子にたかる蟻のよう。 この地を再び訪れることになろうとは、ついぞ思わなかった。しかも、よりにもよってこの場所で邂逅するとは、運命とは実に皮肉なものだ。 (ふ……くだらんな) 小さく首を振り、目の前に佇む少女へと視線を戻す。 「?」 きょとん、と見上げてくる新緑の双眸。先刻、茂みの中に彼の姿を見つけた時も、彼女は今と同じ邪気のない瞳で微笑みかけてきた。そして手招かれるままこの丘の上までやって来た少女は、不安など微塵も感じていない様子で、ただ静かに彼が喋り出すのを待っている。 (ルフィーリ、か。なるほど、光そのものだな) 海色の双眸に映るのは、あどけない少女の姿。光を編んだような金色の髪、柔らかな曲線を描く薔薇色の頬。すんなりと伸びた手足は、透き通るように白い。 あと十年もすれば、男たちの視線を釘付けにすること間違い無しの美少女。しかし、それはあくまでも"人間の子供"としての評価に過ぎない。彼女の真価は、そして真の姿は――。 (お前は……) 問いかけて、ふと自嘲めいた笑みを浮かべる。そして、ネシウスは固く閉じていた唇をゆっくりと動かした。 「――お前は何故、《民》と行動を共にしている?」 唐突な言葉に首を傾げる少女。それが戸惑いではなく、ただ単純に言葉の意味を理解していないのだと気づいて、ネシウスはまじまじと目の前の少女を見つめた。 「らう?」 「……記憶が破損しているのか、それとも固有情報の欠落か? では、力が不安定なのもそのせいだな。……まあいい。言葉を変えよう。お前は何故、あの人間達と一緒にいる?」 噛み砕いた言い方に、ようやく合点がいったのか、少女は嬉しそうにぎゅっと胸元を握り締めた。そして、 「やくそく!」 「!」 約束よ 私を愛しているのならば その尊き名に誓って 私のために―― 「……!」 ざぁ、と血の引く音が聞こえた気がした。 まるで頭から水でもかけられたように、蒼白な顔で立ち尽くす青年。その唇から漏れたわずかな嗚咽に気づくことなく、少女は無邪気な笑顔を浮かべて繰り返す。 「るふぃーり、らう、ずーっといっしょ♪ やくそくし――」 「それが――」 ゆらり、と少女の前に腰を落とし、その肩を掴む。そして、氷のような眼差しを少女に向けると、ネシウスは語気も荒く問い質した。 「それがそなたを縛るものか?!」 「しばる、なに?」 小首を傾げる少女の無邪気さが、余計にネシウスの心をざわつかせる。しかし少女は彼のことなどそっちのけで、どこか照れたように笑いながら言葉を紡いでいく。 「あのね、るふぃーりはね、らうとずーっと、いっしょ、いたいの。それには、やくそく、ひつようだって。だから、やくそくした」 「どんな……どんな約束をした?」 苛立ちを押さえ、言葉を搾り出す。そんなネシウスの様子を不思議そうに見つめながら、少女はおずおずと唇を動かした。 「えっとね、りゅう……」 はっと口ごもる少女。そして、勢いよく首を横に振る。 「いっちゃだめって、やくそくした。だから、いわない」 「……この私にもか?」 「いわないっ」 強情な幼子に溜め息を吐き、ネシウスはやれやれ、と呟いた。 「そなたは――」 「らうっ!」 突然、弾かれたように振り返る少女。はっと手を離せば、彼女はもうネシウスなど見向きもせずに駆け出していく。 「らう〜! ろーらぁ〜」 草原を駆けてくる二つの影。ぶんぶんと両手を振る少女に、先頭を走る黒髪の青年が片手を上げて応える。 彼こそが、ラウル=エバスト。『影の神殿』を壊滅せしめた若きユーク神官、そしてローラ王女を誘拐し国王に呪いをかけた怪盗<月夜の貴公子>。 そう、少女があれほどに慕っているのは、他でもない――。 (あれが……) 「らうっ!」 「だっ……!」 勢いよく飛び込んできた少女を受け止めて、ラウルは地面に尻餅をついた。 「いってぇ……」 呻くラウルを心配そうに覗き込んでくる少女。その頭をがし、と掴んで、ラウルは目を吊り上げる。 「おとなしく待ってろって言ったろ?! どうして人の言うことが聞けないんだ、お前はっ!」 「ごめんなさぁい」 珍しく素直に謝ってくる少女に、拍子抜けしたように目を瞬かせる。そして、深く息を吐いたラウルは、遅れてやってきた王女を肩越しに睨みつけた。 「ったく、目を離すなってあれほど言ったのに」 「本当にすまない。吟遊詩人の歌があまりにも素晴らしかったから、つい……」 心底申し訳なさそうに謝罪しつつ、しかしと首を傾げる王女。 「それにしても、よく居場所が分かったな?」 彼女がラウルと合流したのは、つい先ほどのことだった。 辺りを一通り探し終え、とぼとぼと戻ってきた王女は、ちょうどに町から戻ってきたラウルと合流することが出来た。そして少女がいなくなったと聞かされたラウルは、迷うことなく少し離れたところの丘を指差して、 『――あそこにいる』 そうして、自信たっぷりに走り出すラウルを半信半疑のまま追いかけた王女は、彼の示した方角から駆けてくる少女の姿を発見して、それはもう驚いたものだ。 「いやその……勘だよ、勘」 気まずそうに頭を掻くラウルに、ぎゅっとしがみ付く少女。 「らう、るふぃーり、よんだ? よんだ?」 「よんだ、じゃねえ! ったく……」 王女からルフィーリがいなくなったと聞かされた時は流石にひやっとしたが、さほど心配はしていなかった。そもそも彼女が危険な目に遭っていれば、ラウルにも否応無しに『伝わって』くるはずなのだ。 この繋がりを逆手に取って『呼びかけて』みれば、すぐ近くから返って来た元気の良い返事。そして声の方向へと向かってみれば、この通りだ。元気いっぱいの少女からは、離れていた寂しさと二人に会えた喜びがひしひしと伝わってくるものの、恐怖や怯えといった感情は全く感じられない。 「勘弁してくれよ……」 思わずぼやくラウルの頭をよしよしと撫でる少女。その手をばしっと払いのけて、ラウルは少女を睨みつけた。 「それにしてもお前、なんだってこんなところまで来たんだ?」 この辺りには、少女の興味をそそるようなものなど何もない。訝るラウルに、少女はあっけらかんと答えた。 「よばれた、から」 予想外の答えに、思わず顔を見合わせる二人。 「呼ばれた? 誰にだ」 「ねしうす!」 びし、と丘の上を指差した少女だったが、その先には若木が一本揺れているだけ。 「あれえ?」 さも不思議そうに首を傾げる少女。しかし、彼女に限って嘘を言っているということはないから、その「ねしうす」なる人物は確かにそこにいて、既に立ち去った後なのだろう。それにしては気配も足音もしなかったな、と首を捻るラウルに、王女がそっと囁く。 「知り合いか?」 「いや、そんな名前聞いたこともないぞ。どんな奴なんだ?」 そう問われて、少女は一生懸命に語り出した。 「えっとね、ねしうすは、あおくて、つめたいの! つきのよる、らう、さがしてくれた。くらい、しらない、ばしょ。とびら、あいた。でね、るふぃーり、よんでた。だから」 聞いているだけで頭が痛くなってくる説明に、もういい、と手を振るラウル。 「とにかく、勝手にどこかへ行くんじゃない。これ以上約束を破るようなら……」 「らうっ! るふぃーり、やくそく、まもる!」 必死の表情でしがみ付いてくる少女の頭をくしゃり、と撫でて、よいしょと立ち上がる。 「ほら、とっとと行くぞ」 少女らをどやしつけ、足早に歩き出すラウル。その荷物がほとんど増えていないことに気づいて、王女は眉を潜めた。 「そう言えば、やけに早く戻ってきたが、買い物は出来たのか?」 「いやな、手配書はあちこちに貼られてるわ、警備隊がうろちょろしてるわで、とてもじゃないがゆっくり買い物が出来る雰囲気じゃなかったんだ」 実は買い物途中で賞金稼ぎらしき二人連れと一悶着あったりもしたのだが、そのことは告げずにラウルは続けた。 「大したモンは買えなかったが、その代わりに北に抜ける道を教えてもらった。街道はもう見張られてるらしいからな、森を突っ切るぞ」 「分かった」 荷物の紐を握り直し、ぐっと顔を引き締める王女。目的地まではあと少し。ここで捕まっては元も子もない。 「じゃあ、今日は森の中で野宿だな」 努めて明るい声を出す王女に、何故か少女が喜びの声を上げる。 「のじゅくっ! たのしいっ」 「何が楽しいんだ……」 ぼやきながら、少女の伸ばしてきた手を乱暴に取ってずんずんと歩き出す。 「わ、待ってくれ」 慌てて追いかける王女の背後で、小鳥達が一斉に飛び立った。 「ん?」 「こら、早く来い!」 振り返りかけて、ラウルの怒声に肩をすくめる。そして、王女は再び走り出した。 「おーい、待てってば!」 道なき道を進む三人の後姿を見つめながら、男は密かに息を吐いた。 (気づかれては……いないようだな) 隠れる必要などなかった。堂々と出て行って、あの男に直接問い質せばよかったのだ。 それなのに姿を隠してしまったのは、効力を失ってなお彼を縛り続ける掟のせいか。いや、何よりもまず、後ろめたさがあったからかもしれない。彼女に接する資格もまた、とうの昔に失われているのだから。 それでも、彼女の真意だけは確かめる必要があった。確かめることで、自らに言い聞かせようとした。――しかし。 (約束、だと……?) かつて。この丘の上で交わした『約束』。 柔らかな紅唇が紡ぎ出したその言葉は、茨のように絡みついて、甘い痛みと共に毒を注ぎ込んだ。 思い出されるのは、狂おしいまでの熱さと、そして―― (……く……!) 無意識のうちに握り締めた拳から、血が滴り落ちる。地面にぽたり、ぽたりと垂れる赤黒い雫を忌々しそうに見つめて、ネシウスは頭を振った。 (……所詮は人間、ということか……) 吐き捨てるように呟いて、ふと空を見上げる。 (これは……?) 春風に乗り、遥か彼方から運ばれてくる密やかな旋律。人の耳では到底聞き取ることの出来ない微かな音を、ネシウスの耳ははっきりと捉えていた。 「……まだ存在していたとは……!」 端正な顔立ちを歪め、尚も響く音色に耳をそばだてる。それは伸びやかな笛の音だった。木管の織り成す複雑な旋律は、ただひたすらに呼びかけている。 ――我がもとへ来たれ、友よ!―― 「忌々しい……!」 青緑の瞳に静かな怒りを湛え、くるりと踵を返す。 最初の一歩を踏み出す前に、その体はするり、と空に溶けて、後には何も残らなかった。 |
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