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| 第四章[2] |
夢を見ているのだと思った。でなければとうとう、約束の時が来たのかとも。 それは、遥か昔に失われてしまった『音』。記憶の彼方に置き忘れてきた、懐かしい響き。 夢か現か、手っ取り早く確かめるために、ちょうど手に触れたものをぐい、と引っ張る。 ――痛い。 ならばこれは現実か。現実ならばなぜ今、あの『音』が聞こえるのか。 咄嗟に抱いた警戒心は、徐々に近づいてくる『音』を聞いているうちにどこかへ行ってしまった。 時は流れた。ここに残るのは、ただの思い出。 形なきものに、誰にも手出しは出来ない。 ならば今更、何の心配があろう。 腹を決めたところで、今度は泉の如く湧き出した好奇心を満たすべく、久方ぶりに腰を上げる。 賑やかな『音』は、すぐそこまで近づいていた。 「ほら、あれだ」 繋いだ手の先ではしゃいだ声が響く。すぐ目の前にいるはずの王女、その背中すら見えない濃霧の中、ラウルは彼女が示しているだろう前方を窺って目を細めた。 「光なんか見えるか?」 「らうっ! ひかり、ちっちゃなひかり、あるよっ!」 訝しげな声に答えて、頭上の少女が嬉しそうに声を上げる。 「もうすぐそこだ。あ、足元に気をつけろ、大きな石がある」 「おう」 慎重に石をまたぎ、やれやれと顔を上げた、その瞬間。 飛び込んできた光景に、ラウルと少女は揃ってぽかん、と口をあけた。 「村、みたいだな」 王女の呟きが、誰もいない広場に響く。 それは、朽ち果てた村。木々に寄り添うようにして建てられた小屋はどれも苔むし、中には完全に倒壊しているものもある。井戸らしき石組みには枯葉が積もり、高い木々の上に張り出すようにして作られた見張り台はところどころ腐って落ちてしまっていた。 「だれも、いない、ね」 どこか不安げな少女の言葉に頷いて、その体を地面に下ろす。そして確かめるように周囲を見回したラウルは、感慨深く呟いた。 「人が住まなくなって大分経つみたいだが、随分大きな集落だったみたいだな」 広場を中心に並んだ見慣れない様式の建物は、ざっと見渡しただけでも二、三十ほど。中には木の上に建てられたものもあり、その建物同士は吊橋のようなもので結ばれて、樹上での行き来も可能になっているようだった。しかし、そのどこからも人の気配は感じられない。何もかもが緑に埋め尽くされてしまったかのように、人々の暮らしの痕跡すら窺えなかった。 「光っていたのは……あ」 「あ?」 素っ頓狂な声に振り返ると、王女が奇妙な表情で固まっている。 どうした、と言いかけて、ぎょっと目を見張るラウル。突如動きを止めた二人に小首を傾げた少女は、彼らの視線の先にある「もの」に気づいてきゃっきゃと笑い声を上げた。 「へんなのー♪」 「おー、笑いが取れて嬉しいのぉ。じゃがそろそろ見てないで助けてくれるともっと嬉しいんじゃがのー」 村を支えるようにそびえ立つ巨木、その枝から逆さにぶら下がって、その声の主はにかっと笑ってみせた。 「いやー、ちょーっと木の天辺まで登ってみたらうっかり足を滑らせてのー」 「その年で木登りとは、元気で何よりだなあ」 「感心するところじゃないだろ、ちょっとは怪しめ」 やれやれ一張羅が台無しじゃ、などとぼやきながら体を叩けば、土埃と枯葉が盛大に舞い踊る。 つい先程まで木の枝にひっかかって蓑虫のようにぷらぷらと揺れていたのは、一人の老人だった。 地面まで届きそうな白髪に白髭、ずるずる長衣に節くれだった木の杖とくれば、まさに御伽噺に出てくる「森の隠者」そのものだったが、そういうものは無口で偏屈と相場が決まっている。ところがこの老人はラウルの不躾な視線を咎めることなく、髪に絡まった蔓を引っ張って遊ぶ少女を怒ることもなく、しきりと感心している王女に目を細めてふぉっふぉっふぉ、と髭を揺らしている。 その立派過ぎる髭に半ば埋もれるようにして輝いているものこそが、王女が見つけた光の正体だった。眩い光に目を細めていると、老人はうほほ、と奇妙な笑い声を上げて、 「そんなに見つめられるとわしゃ照れるのぉ」 「照れるな、気色悪い! ってか、じいさん、その首飾りは――」 「おお、これか? これは魔晶石といってな、この村を守る結界の要となっているものじゃよ」 「へえ、結界――結界?」 あまりにもさらっと言われたために聞き流しそうになったが、結界とはまた穏やかではない。 「結界に守られた村――? もしかしてここ、森人の……?」 かつて養父から聞かされた昔話が脳裏を過ぎる。何人も立ち入ることの許されない森人の村、そこは聖なる結界で守られている――。 驚きの表情で見つめてくるラウルに、老人は深々と頷いてみせた。 「そうじゃ、ここは森人の村。ただし、『かつての』という言葉がつくがの」 寂しげな口調に、思わず口をつぐむ。朽ち果て、時の流れに埋もれ行く村。人々の記憶から失われ、ただ風だけが行き過ぎる――。 沈痛な面持ちの三人に、老人はがらりと口調を変えて続けた。 「それにしても、旅人がここを訪れるなど、かれこれ三百年ぶりかのー。霧の結界を越えてくるとは、さぞ高名な魔術士か、それとも人ならざるものか。どちらにせよ客人には変わるまいて」 目を瞬かせた少女をそっと引き寄せ、ラウルは努めて平静な口調で尋ねた。 「あの霧はやっぱり普通の霧じゃなかったのか」 「さよう。方向感覚を狂わせる魔法の霧じゃて、普通の者ならば決してこの村に辿り着くことは叶わぬ。五百年もの昔、さる偉大な魔術士が施した結界じゃよ。以前やってきた魔術士は、霧の中で十日も迷ったとさんざんぼやいておったがのー」 ちらり、と物言いたげな視線を向けられて、ラウルは困ったように頬を掻いた。 「俺は魔術士なんかじゃない、ただの神官だ。こいつらも魔術なんて――」 使えない、と断言しかけて、ふと傍らを見る。 何やら難しい顔で老人の話を聞いていた王女は、視線に気づいて小鳥のように首を傾げた。 「なんだ?」 「いや、まさか、実は魔術士だ、なんて言わないよな?」 何を馬鹿なことを、と言わんばかりに目を見開き、ついでくすりと笑みをこぼす王女。 「魔力は遺伝しない。母が魔術士だからといって、子供が必ずしも魔術士になるとは限らないぞ」 「そういうもんなのか」 それなら何故、と首を傾げるラウルだったが、老人はそれ以上詮索しようとはしなかった。 「ま、何にせよお主らは幸運じゃったのー。本来なら、何の手立てもない者があの霧の中を彷徨い歩けば、良くて逆戻り、悪くて遭難、行き着く先は天の上じゃよ」 とんでもないことをさらりと言ってのけつつ、ひょいと天を仰ぐ。梢の向こう、僅かに見える空はどんよりと曇り、今にも泣き出しそうな雰囲気だ。 こりゃいかんのー、と呟いて、老人は三人をぐるりと見渡した。 「天の涙に溺れる前に、我があばら家に客人を招待するとするかのー。今日中に森を抜けるのは無理じゃて、今宵一晩泊まっていきなされ。何もないところじゃが、退屈しのぎに昔話の一つでも聞かせて進ぜよう」 「いや、俺達は――」 ぐぐぐぅぅぅ。 先を急ぐから、と続けようとして、緊張感のない腹の虫にがくりと項垂れる。 「らうっ、るふぃーり、おなかすいたっ!」 「私も、腹が減ったな」 「お前らなあ……」 きゃいきゃいと騒ぐ少女二人に目を細め、ついでにラウルの肩を慰めるように叩いて、老人は杖をつい、と持ち上げた。 「あそこじゃ。ついてきなされ」 節くれだった杖の先が示したのは広場の先、木にもたれかかるようにして建っている一軒の小屋。木がなければ今にも倒壊しそうな有様だったが、屋根が腐り落ちていないだけまだましというものだろう。 「……まあ、雨が凌げるだけいいか」 やれやれ、と立ち上がれば、鼻先を掠める雨の雫。 「降ってきたな」 にわかに降り出した雨は、あっという間に乾いた大地を黒く染めていく。急がないと、と歩きかけて、ラウルはふと老人の姿がないことに気づいた。 「あれ、じいさん――」 「ここじゃここじゃ」 声は小屋の方から響いてきた。いつの間に移動したのやら、老人は小屋の前で三人を手招きしている。開け放たれた扉の中からはほのかな明かりが漏れ、何か美味しそうな匂いまで漂ってきた。 (……そういや、こんな昔話があったな) 迷いこんだ深い森で親切な老婆に助けられ、一夜を明かして目覚めてみたら、なんとそこは檻の中――。 物語中の老婆は人の肉を食らう魔物だったが、ではこの老人は一体何者だろう。 思わず考え込んでいると、業を煮やした少女達に左右から腕を引っ張られた。 「用心棒、早く行こう」 「らうっ! ごはんっ♪」 「お、おいお前ら――」 一応の抗議をしようとして、ますます勢いを増してきた雨に口をつぐむ。 この雨の中で野宿するよりは、少々怪しげな老人の誘いに乗った方が得策か。 そう自身を納得させて、ラウルはかの老人が手招きする小屋へと走り出した。 |
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