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二年前 ~はじまりの一歩~
 大学の入学式などというものは、結局のところどの時代でもさして面白いものではなく。
 学長のお言葉だの理事長のお言葉だのを聞いているうちに、座席で居眠りをしそうになるのは致し方ないことだろう。
「ふぅ……」
 前日に引っ越してきたばかりのこともあり、部屋の片づけやらであまり寝ていなかったレンは、式が終わってからも眠気が抜けきらず、ぼーっとしながらキャンパスを歩いていた。
 明日からのオリエンテーション日程などの説明を受け、あとは帰宅するのみである。
 早いところアパートに戻って一眠りしたいレンは、各種クラブの勧誘合戦が繰り広げられている正門までの道を避け、人通りの少ない裏門へ向かっていた。
(そういや、朝ここまで案内してくれた子はこっち使ってたよな……)
 裏門は利用者が少なく、もっぱら資材やらの搬入口となっているらしい。正門には立派な警備員詰め所が設けられているのに対し、裏門はちっぽけな詰め所によぼよぼの警備員が一人という、実にしょぼくれた警備体制である。
 しかし、レミーと名乗った少女は迷うことなく裏門を使い、居眠りしていた警備員のおっさんと仲良く言葉を交わしていた。そして広大なキャンパスを、レンの手をひっぱって入学式の会場まで連れて行ってくれたのだ。正門からは、大学だけでなく、下は幼稚園から上は大学院まで多くの新入生が詰め掛けており、あの時間で正門を使っていれば確実に遅刻していたことだろう。
 時間がなかったせいでろくにお礼も言えず、式場について受付を済ませた時には、すでに少女の姿はなくなっていた。
 彼女は一体何者だったのだろう。
(しかも、妙なこと言ってたし……)
 走りながらレミーが言っていた言葉。
『だからお兄ちゃん、《Shining k-nights》に入ろ!』
 その意味を尋ねる暇もなく、また余裕もなかった。
 あの言葉。《Shining k-nights》とは一体何のことなのか。
「あ、お兄ちゃん!」
「え?」
 唐突にかけられた声に立ち止まると、裏門の横で手を振る少女の姿が目に留まる。
「お疲れ様! 退屈だったでしょ?」
 言いながら駆け寄ってくる少女に、レンは目を白黒させた。
「え、あ、うん、まあね」
 などと答えつつ、レンは首を傾げる。
(なんでこの子、こんなところに……?)
「小難しいことをだらだら喋ったって、どうせ誰もちゃんと聞いてないのにね。やめた方がいいよって毎年言ってるんだけど、体裁ってものがあるからって聞いてくれないんだよね」
 まるで関係者のような物言いをする少女。
「あ、あの……・君は」
「レミーだよ。レミー・キャロル」
 言ったでしょ? と言わんばかりに見上げてくるレミーに、思わず苦笑を浮かべる。
「うん、そうだね。今朝はありがとう、レミー。おかげで遅刻せずにすんだよ」
「どういたしまして! しょっぱなから遅刻じゃ、幸先悪いもんね」
 大人ぶった言い回しをする少女は、しかし見るからに幼く、愛くるしい。だが小生意気なガキという印象を周囲に与えないのは、あまりにも無邪気な笑顔の賜物だろう。
「それで、レミー」
 なぜここに、と聞こうとするのを遮って、レミーはレンの腕を取る。
「お兄ちゃん、もう帰るだけでしょ? 一緒に来て欲しいところがあるんだけど、だめ?」
「一緒にって、どこに?」
「ひ・み・つ!」
 そう言った瞬間の、まるで小悪魔のような笑みを、レンは一生忘れないだろう。

 行き先を教えられないままレミーに引っ張られ、レンが辿り着いたのは、竹之内学園の学生寮だった。
 竹之内学園には、《LUNA-01》に暮らす者だけでなく、外部からも多くの人間が入学している。親元を離れて生活しなければならない彼らのために、格安で提供されているのがこの学生寮だ。
 寮は男子・女子ともに十棟ほど用意されており、しかもすべて個室。食事もおいしく設備も充実していることからかなり評判が良い。
 しかし、さすがに大学生以上になると、寮ではなく一人暮らしを望むものがほとんどで、レンも最初は寮を勧められたが、安いアパートでの一人暮らしを選んだ一人である。
「レミーは、寮に住んでるの?」
 レンの問いかけにレミーはううん、と首を横に振る。
「レミーはおうちに住んでるよ。さ、こっちこっち」
「え? うん」
 レンの腕を引っ張り、レミーが向かっているのは、立ち並ぶ寮の中でも一番外れに位置している二つの寮だった。女子寮『Nadeshiko』と男子寮『Masurao』。この二つは今年完成したばかりの寮で、今のところ入寮者はいない。しかしそのことを、この時のレンが知る由もなかった。
 レミーは、隣り合って建てられた二つの寮の間に建てられている共有スペース、通称「談話室」へと、レンを引っ張って行く。
「ほらほら、お兄ちゃん。こっちだよ」
 談話室を通り抜け、更に奥のエレベーターへと向かうレミー。室内に人気はなく、明かりだけが無人の部屋を煌々と照らしている。
(誰もいないのか……・でも、こんなところに入り込んでいいのかな?)
 談話室は寮生だけでなく、一般の生徒や外部の人間も自由に入れることになっているらしい。とはいえ、寮生に知り合いもいないのに入り込むというのは、いささか気が引けた。
「はい、これに乗って!」
 ほとんど待たずに開いたエレベータの扉にレンを押し込むレミー。
 そして、エレベーターに乗り込んだレミーが、カードキーのようなものをコンソールのスリットに差し込んだ辺りから、さすがのレンもどうもおかしい、と感じ始めた。
「えっと、レミー?」
 このままではどこに連れて行かれるのか分かったものではない。そう思って再びレミーを問いただそうとするレンに、レミーはにっこりと、極上の笑みを向けてくる。
「大丈夫。すぐ着くから。きっとびっくりするよ」
「なに、が?」
 そういっている間にも、エレベータは急速に降下していく。
 はた、とレンは、エレベータのコンソールを見た。階数ボタンは2FからB2Fまで。それなのに、エレベータはぐんぐんと降下し続けている。とっくにB2Fは通過しただろう。しかし、エレベータは止まらない。
(一体……どこへ行くんだ?)
 レンが緊張の面持ちをレミーに向けたその時。
 チーンという音とともに降下が止まり、エレベータの扉がすっと開く。
 そして。

「ぅわぁ……」
 扉の向こうに広がる光景に、レンは言葉をなくした。
「ね? 驚いたでしょ?」
 どこか得意げにレンを見上げるレミーに、しかしレンは言葉を返すことなく、ただ扉の向こうを凝視していた。

 薄暗い照明の下、巨大なスクリーンには漆黒の宇宙と、その下に広がる月面が映し出されていた。
 月面に張り付くような半球状のコロニー。半透明な天井から漏れる街の光は、とても幻想的で美しい。
 各種モニター類がさまざまに点灯し、静かな動作音が響くそこは、まるで宇宙暦以前のSF映画に出てくる宇宙船のブリッジそのもの。
 秘密警備隊《Shining k-nights》の作戦司令本部。最新鋭の設備が並べられ、コロニー内の全ての情報が集結するそこは、この時はまだ、始動の時をただただ待っていた。
 エレベータからレンを引っ張り出し、レミーはくるりと、スクリーンに背を向けてレンを見る。
 天井から一筋の光がレミーを照らし、豊かな金髪が乱反射してレンの目を細めさせた。
「《Shining k-nights》へようこそ! 歓迎します」
 それはまるで、天の祝福。光に照らされ、こぼれんばかりの笑顔でそう告げる彼女は、まさに天使のごとく、神の御声を伝える。
「え? ちょっと待って、僕は……」
「この場所を知った以上、もう引き返せないよ?」
「そ、そんなっ……」
 ただ、無理やりここに連れて来られただけなのに。
 そう抗議しようとしたレンだが、次の瞬間はっと口をつぐむ。
(なんで、そんな悲しそうな目してるんだ、この子……・)
 そう。
 無邪気に笑うレミーの瞳が、どこか切ない色を帯びていることに、ふと気づいてしまったレン。
(なにか、事情があるのか……)
 基本的にお人よしなレンは、その瞳につい絆された。のちのち、あれは騙されたのだと気づいてしまうのだが。
「……僕に、何かできるのかな」
 そう聞いてしまったのが、まさに運の尽き。
 ぱぁっとと笑うレミーの瞳からは、先ほどまでの切ない表情はすっぱりと消し飛んでいた。
「できるよ! だって、レミーが選んだんだもん。間違いないよ!」
 そう。それは最早、逃れられない定め。
 レミーに目をつけられた時点で終わりだったのだと、のちのち彼は振り返る。

 とにもかくにも、この日。《Shining k-nights》は動き出した。
 例えそれが、本格始動までの些細な一歩だとしても。
 これから先、レンに降りかかる不運と苦難の日々の、それはまさに最初の一歩であった。


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