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二年前 〜平和な世界〜

「あのぉ〜」
 遠慮がちにかけられた声に、レンはサンドイッチにかぶりついた状態で声の方向、つまり上を見上げた。
 竹之内学園内、中庭の外れに植えられた木の下で昼食中のレンの目の前に、一人の青年が立ってこちらを見下ろしている。
「なにか?」
 慌ててサンドイッチを口から離して尋ねるレンに、その人物は慌ててしゃがみ込んでレンに目線を合わせると、恐縮しきった様子でこう尋ねてきた。
「こちらの学生の方ですよね? 申し訳ないんですが、学長室への行き方を教えては下さいませんか?」
 人懐こそうな瞳。黒髪を首の後ろで一つにくくり、シャツにジーンズとラフな格好をしている。年のころはレンと同じくらいか、ちょっと上だろうか。
「学長室、ですか?」
 目を丸くするレン。そんなものがこの大学のどこかにあることすら知らなかった。いや、あるのはあるだろうが、一学生には恐らく在学中ずっと縁のない場所である。
「ご存知ありませんか。いや、すいません。さっきから色々な方に尋ねているんですが、皆さんご存じないようで」
 時刻は12:36。午後の授業は13:00ちょうどからで、辺りにもレンのように外でランチをとる学生や、また食事を終えてスポーツに汗を流したり、談話に興じる学生達がちらほら見える。
「入り口のインフォメーションに聞けば分かると思いますけど……」
 そう言ってみるが、青年はそうなんですけどね、と頭をかく。
「聞いてみたんですが、なんだか複雑でさっぱり分からなくって。この大学部のどこかにあることだけは確かなんですが」
 学園内には幼等部から大学院までの校舎、図書館、コンピュータ館、食堂に職員塔など、大小さまざまな建物がひしめき合っている。敷地自体が広大な上に建物が多いので、ほとんどの学生は、自分が使う教室や建物のことしか頭に入れていない。
 レンも多分にもれずその状態で、入学して一月ちょっとの現在でも、人に案内できるのは食堂と大学部のメイン校舎である12号館だけだ。
 普通の学生なら、授業がない時に色々と探索したりも出来るが、入学してすぐにレミーによって謎の警備隊にスカウトされてしまったレンは、それ以降、空き時間になるとどこからともなくレミーがやってきて、彼を引っ張り回すという日々を送っている。そんな日々が続いてすでに一月、もういい加減慣れてきているレンだった。
「お食事の邪魔をしてすいませんでした。それでは」
 そう言って立ち上がり、どこかへ行こうとする青年に、人の良いレンは思わず声をかけてしまっていた。
「あ、あの!」
「はい?」
 くるりと振り返る青年。
「良かったら、一緒に探しましょうか? 僕、午後の授業はないので……」
 そういいながら、心の中では
(ああ……これだからレミーやクラリスに「お人よし」って言われるんだよなあ……)
 とぼやくレン。しかし、性分なのだから仕方がない。
「本当ですか? 助かります。あ、申し遅れました。私はエドワードと言います。エドワード・R=山本です。どうぞよろしく」
 笑顔で手を差し伸べてくるエドワード。その手をかるく握り返して、レンも名乗り返す。
「レンです。レン・K=サレイ」
「レン君ですか。それじゃあよろしくお願いします。私の予想では、恐らくこの15号館か16号館だと思うんです」
 カバンから学園内マップを取り出して、あれこれと喋りかけて来るエドワード。その話し方はとても快活で、また頭の良さそうな印象を受ける。そんな彼に好感を覚えながら、レンは休講の時間を彼のために費やし、色々と二人で探し回って、30分後にようやく学長室を探し出すことができたのだった。


「失礼します」
 重厚な木の扉が自動で開き、二人の目の前にぱぁっと眩い光が広がる。
「どうぞ、入りたまえ」
 張りのある男の声が響く。目が慣れると、学長室の壁一面がガラス張りになっており、学園内の様子が一望できることが分かる。
 そんな一面のガラスの前に立派な机が置かれ、そこにどっしりと座っていた人物が立ち上がって、二人を出迎えた。
「あ、あの……それじゃ僕はこれで」
 その場を立ち去ろうとしたレンだったが、その腕をエドワードがしっかりと掴んでいる。そしてそのまま、半ば引きずられるように部屋に入ると、背後でドアが閉まったのを確認して、エドワードが口を開いた。
「はじめまして。エドワード・R=山本と申します」
「ジョナサン・レイモンド=竹之内だ。歓迎するよ、山本君」
(こ、この人が……)
 エドワードはレンの腕を離してくれず、所在無げなレンは、エドワードの脇からちらちらと学長席の人物を観察していた。
 竹之内学園の学長は、現竹之内財閥総帥が兼任しているという。つまり---
(この人がレミーのお父さんってわけか……)
 そう思うとなにやら感慨深い。
 ジョナサン・レイモンド=竹之内は、年の頃四十代後半、すらりとした長身をセンスの良いスーツに包んだ、なかなかにハンサムな御仁だった。栗色の髪はレミーと違うが、どこか子供のような輝きを持つその瞳はレミーに似ているな、とレンは思う。
「よく来てくれたね。ここは分かりづらかっただろう?」
 エドワードに歩み寄る学長に、エドワードはにこやかに答える。
「ええ、ですが、彼が一緒に探してくれましたので、なんとかたどり着けました」
 そう言ってレンをひっぱり、学長の方に押しやるエドワード。慌てるレンに、学長は笑顔で、
「そうか、君が案内してくれたのか。ご苦労だったね。見たところまだ新入生のようだ、さぞ見つけづらかっただろう?」
 目を瞬かせるレン。今年の新入生は大学部だけでも二百人を裕に超えている。その一人一人を覚えているはずもない。それとも、自分はそんなに新入生っぽい、つまりは学園に馴染んでいない風に見えてしまうのだろうか。
「い、いえ……」
 そう答えるのが精一杯なレンに、学長は柔和な笑顔を向ける。
「警部を無事ここに案内するという大役を果たした君の名前を、ぜひ聞かせてくれたまえ」
「あ、はい。僕は……え?」
 あまりにさらっと言われたので聞き流しそうになったが、どうも妙な単語が混じっていた気がする。
「おや、言わなかったのかね?」
 エドワードを見る学長。エドワードはいやぁ、と頭をかきながら、レンに向かって敬礼してみせた。
「このたび銀河連邦警察《LUNA-01》派出所に配属されました、エドワード・R=山本警部です。なにか困ったことがあったら、いつでも相談に来てください。もっとも、まだこちらに不慣れな私では、逆に色々教わることの方が多そうですけどね」
 あまりの驚きに言葉が出ないレン。
(け、警部って……お巡りさん?)
 学長室を探して彷徨う間、他愛もない話をしていた二人だったが、エドワードがそれらしき話題を出したことなど一度もない。
 この《LUNA-01》へは数日前にやってきたばかりだとは言っていたが、レンはてっきり、転入生とか、見学の人間かなにかだと思っていた。
(だ、だって…どうみても、学生じゃ……)
「ところで山本君、随分若く見えるがおいくつかね? いや、私も若作りだと言われるが、君には負けそうだ」
 同じことを学長も思ったのだろう。そんな質問に、エドワードは笑顔で答える。
「そんなご謙遜を。私は35です。5月には36になりますが」
 開いた口が塞がらないレン。
(さささ、35〜?!)
 どう見てもそうは見えない。多く見積もっても二十代の域を出ない外見だ。これはサギだ。レンは頭を抱えそうになる。
「前任の警部からの引継ぎは受けられたかな?」
「いえ、ご挨拶は済ませましたが、まだ引継ぎは行っていません。何しろ、あのご高齢ですから……」
「そうだな。まあ、時間はあるのだからゆっくりと行ってくれて構わんよ。何しろ、この《LUNA-01》は今まで警察の出動件数ゼロという、極めて平和な町だからね」
「そう聞いています。いやぁ、平和なのは良いことです。警察なんて暇で暇でしょうがないくらいが一番ですよ」
 ショックで固まったままのレンを尻目に、学長とエドワードはのほほんとした会話を続けている。
 と、唐突に扉が開いて、金色の風が吹き込んできた。
 否。金髪の少女が学長室に飛び込んできたのだ。
「お父様、ここにレンお兄ちゃんが来てるって……あー、いたいた! 探してたんだよぉ〜」
 茫然自失のレンに飛びついて、レミーはそこで初めてエドワードの存在に気づいたようだった。
「お客様?」
「ああ、レミー。こちら昨日付けで派出所に配属された山本警部だ。これはうちの娘で、レミーという」
 学長の紹介に、エドワードがにこやかに頭を下げる。
「はじめまして、エドワード・R=山本です」
「はじめまして! レミー・キャロルですっ」
 同じようにぺこりとお辞儀を返すレミー。そして、父親である学長を見上げる。
「お父様、レンお兄ちゃんを借りていってもいい?」
 学長が片方の眉を上げてみせた。
「そうか、彼がレン君か。なるほど、レミーの言ったとおり、人の良い青年なのだね。学園内で迷った警部をここまで案内してくれたのだよ」
「そうだったの? ほんっとレンお兄ちゃんってお人よしだね。でもレミーはそんなお兄ちゃんがダイスキっ」
 この辺でようやくショックから立ち直ったレンだったが、何を言っていいのか分からずおろおろしていた。
「レン君、娘はこの通りとんだはねっ返りで、色々と迷惑をかけるだろうが、よろしく頼むよ」
 穏やかに言う学長。その言葉の裏に、なんだか色々なものを感じ取って、レンは冷や汗をかく。
(そうだよなあ、レミーがあれだけのことやってるの、この人が知らないわけないんだよなあ……)
 隊員専用の寮を作ったり、その地下に秘密基地を作ったり、《LUNA-01》の制御プログラムである《Selene》を支援システムに使ったりと、そんなことはレミー一人の力では到底出来ないことだ。
 となれば、《Shining k-nights》結成・活動の裏には竹之内財閥が全面的についていると思って間違いない。
 そして彼は、その財閥の総帥だ。つまりは、黒幕もいいところである。
「は、はい……」
 なんと答えていいか分からず、ようやっと搾り出したのはそんな返事だけ。
「それじゃお父様、また後でね!山本警部、ごきげんよう!ほらお兄ちゃん、行こう!」
 そんなレンを引っ張って、レミーは部屋を後にする。そして、一挙に静かになった学長室で、相変わらず穏やかな表情の学長と柔和な笑みのエドワードは、表情はそのままに、改めて向き直る。
「……それでは、君を呼びたてた件について話をしようじゃないか」
「はい、例の連中の動きに関してですが……」


「休講になったって聞いたのにどこにもいないから、《Selene》に頼んで探してもらったの」
 学園内のカフェ『Crescent』にて、お気に入りのパフェを口に運びながらレミーは彼女が学長室へやってきた経緯をレンに説明していた。
「そうしたらお父様のところにいるって言うから、びっくりして飛んでいったんだよ? そうしたらあの、新しい警部さんと一緒だったなんて」
「まあ、なんというか、成り行きでね。それにしても、あの人が警部だなんて、嘘みたいだよ」
 未だに信じられない様子のレン。
「そう?あの人、凄い人だよ。経歴を見たけど、解決した事件の数や内容だけでも凄いのに、それ以外にも、銀河中央大学を主席で出てたり、射撃の連邦認定S級ライセンス持ってたり、大型宇宙船の操縦資格を持ってたりと、とにかく凄い人って感じなの」
 彼女がそんな個人情報をどこから取ってきたのかは、あえて聞かないレンだった。
「へえ……でも、そんなエリート警部がどうして、《LUNA-01》に来たのかな?」
 先ほどの学長の話ではないが、この《LUNA-01》は平和そのものだ。ここに来て一月ちょっと、《LUNA-01》内のニュースを取り扱うチャンネルはいつでもほのぼのとした話題ばかりだし、暮らしていてもほとんどトラブルのトの字も噂に聞かないほどに、ここは穏やかに時が流れている。
「そうだね。でも、ある意味適任だと思うけどな」
 含みのある言い方をするレミーに、首を傾げるレン。そんなレンに、レミーはそうだ! とスプーンを手放した。いつの間に食べ終えたのか、中身のなくなったパフェグラスにスプーンが踊る。
「忘れてた。お兄ちゃんに用があって探してたんだ。あのね、お仕事なの」
「え?」

 この平和な《LUNA-01》で、レミーはお仕事だと言う。
 《Shining K-nights》の仕事は、コロニーの平和を守ること。

それは、レンの感じる平和が、見せかけのものであるという事実に他ならなかった。

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