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「助けてリリルちゃん!」
 勢いよく開かれた扉の向こうから飛んできた、鬼気迫る声。
 筒状に巻かれた布を抱きかかえ、骨董店に飛び込んできた女性の姿に、休憩中だった看板娘リリル・マリルは菫色の瞳を大きく見開いた。
「ノーマさん? 一体どうしたのです」
 栗色の髪を色鮮やかなヘアバンドでまとめ、薄く色の入った丸眼鏡を掛けた彼女こそは、四番街の目抜き通りに店舗を構える新進気鋭のデザイナーだ。
「これを見てよぉ~!」
 長椅子に寝転がっている店主には目もくれず、ずかずかと店内を横切ってリリルへと詰め寄ったノーマは、抱えていた布をばっと広げてみせた。
「まあ……! とても綺麗な生地なのです!」
 夏らしい、爽やかな水色の布。意匠化された波紋や水草の合間を縦横無尽に泳ぐのは、幻想的な尾をひらめかせた色とりどりの魚達。これでドレスを仕立てたらさぞ見栄えがいいことだろう。――魚が動き回っていなければ。
「うーん。泳いでるね」
 ひょいと起き上がり、なんとも端的な感想を述べる店主に、リリルもこくこくと頷きを返す。
「とても気持ちよさそうなのです」
「そうなのよ! まるで水槽を眺めてるみたいで癒やされるわよね――ってそうじゃなくて! 素敵な生地だと思って仕入れてみたら、この通りよ」
 馴染みの布地屋で在庫一斉処分をするというので出かけていったら、投げ売りされているこれを見つけた。これでワンピースを作ったらきっと素敵だろう、と衝動買いしたのだが、持ち帰って広げてみたらこの有様だ。
「あの店、たまに曰くつきの素材を売ってるから油断ならないのよねー」
 慌てて文句を言いに行ったのだが、一斉処分品なので返品は受け付けないと突っぱねられた。まあ、布地としては質もいいし、魚は布の上を泳いでいるだけで、飛び出てくるとかこっちを見てくるとか、具体的な実害があるわけでもない。しかし――。
「鋏を入れようとすると一斉に逃げ惑って、うっかり切りそうになっちゃうのよ」
 いくら布地の柄とはいえ、鋏で真っ二つにしてしまっては寝覚めが悪い。
「ねえリリルちゃん、どうしたらいいと思う?」
「うーん、どうしたらいいんでしょう……」
 頼ってきてくれたのは嬉しいが、生憎とリリルに『曰くつきの代物』をどうこうする能力はない。そもそも、これが魔法なのか呪いの類なのか、それさえも定かではない。
「ユージーン、どうにかなりませんか?」
 困り果てて長椅子を振り返れば、『ぐうたらエルフ』と名高い骨董店主は「そうだねえ」と呟いて、よいしょと立ち上がった。
「ちょっと貸してもらえる?」
「ええ、どうぞ」
 ノーマから受け取った布を机の上に広げ、近寄ってきた魚をちょいちょいとつつく。途端、ぱしゃりと尾をはためかせ、するりと逃げていく魚達。布地に新たな波紋の柄が浮き上がり、そして消えていく。
「そうだね、呪いって感じじゃないから、多分魔法を織り込んであるんだと思うよ。それも永続するような大層なものじゃないから、そのうち動かなくなるとは思うけど」
「そのうちじゃ困るのよ。どうしても、この夏中に仕立てちゃいたいの!」
 鼻息荒く宣言するノーマに、そうだなあと顎を掴む店主。
「それじゃあ……ええと、あれ持ってない? ほら、布に線を書く時に使うやつ」
「布に……ああ、裁縫用のチョークですか?」
 そうそう、と頷く店主に、不思議そうに首を傾げるノーマ。あまりに唐突な言葉だったから、訝しむのも無理はない。
 しかしリリルは知っている。この店主は決して、意味のないことを口にしないのだと。
「取ってくるのです!」
 くるりと踵を返し、わたわたと自室へ向かう。チョーク以外にも必要なものがあるかもしれないから、ひとまず裁縫箱ごと引っ掴んで店に戻ると、店主とノーマが長机の上に広げた布を端から丁寧に伸ばしているところだった。
「なるべく皺が寄らないようにね」
「分かってるって。でもこんなことして、一体どうするつもりなの?」
「それは見てのお楽しみ。ああ、戻ってきたね」
 ひょいと振り返り、早かったねと微笑む店主。
「これで良いですか?」
 愛用のチョーク入れを差し出すと、店主は「うーんと、これがいいかな」と、ピンク色のチョークをつまみ上げた。そして――。
「よいしょ」
 ささっとチョークを走らせ、布地の水面に輪を描いていく。無作為かと思いきや、よく見れば何匹か固まって泳いでいた魚を大きく取り囲むようにして、線を引いているようだ。
「まさか……この魚、線を越えられないの?」
 周囲を囲まれた魚は、ピンクの線にぶつかると、それ以上先に進めずに、すごすごと引き返していく。中には何度も突撃して突破を試みる魚もいたが、どうやっても線を越えられないようだ。
「やっぱりね。元が絵柄だから、同じく絵柄には影響されるんだ。こうやって魚を誘導してやれば、うっかり切り身にしないで済むんじゃないかな」
 しかも、この方法なら型紙の都合に合わせて魚の位置を決めることも出来る。そう説明されて、俄然やる気が出たらしいノーマは「素敵!」と手を叩いた。
「そうよね、折角の『生きてる柄』なんだもの、その特性を生かさなくちゃ勿体ないわよね!」
 スカートの裾に魚が集まるように調節して、波のような白いレースを入れて……などと、ひとしきりぶつぶつと呟いていたノーマだったが、はたと口を閉ざし、こほん、と咳払いをする。
「ありがとう、店主さん。これでリリルちゃんのサマードレスが縫えるわ!」
「えっ? 私のドレスなのですか?」
 思いがけない言葉に目を瞬かせる看板娘に、ノーマはにんまりと笑ってみせた。
「だってリリルちゃんに似合いそうなんだもの! これを着て、一緒に海へ行きましょう。この魚達に、本物の海を見せてあげたいの」
「それ、川魚だと思うけどねえ」
「細かいことは良いのよ! ねえ、リリルちゃん。私、張り切って作るから。出来上がったら絶対着てちょうだい!」
 ぎゅう、と両手を握りしめ、「お願い!」と上目遣いで迫ってくるノーマ。その押しの強さは、出会った時からまるで変わらない。
「いいんじゃない? きっと似合うと思うよ」
「そうよ! 絶対似合うんだから! 私の見立てよ、間違いないでしょう?」
 二人がかりで迫られては、リリルに勝ち目があるはずもない。
「わ、分かりました。是非、着させていただきます!」
 降参とばかりに声を張り上げれば、じゃあ早速、と腕を取られた。
「採寸しないといけないわね! お部屋を貸してちょうだい!」
「ええっ!? 今ですか?」
「思い立ったが吉日! 善は急げ! 急がば回れ!」
「最後のは違うんじゃないかなあ」
 冷静に突っ込みつつ、「屋根裏部屋に上がるのは大変だろうから、奥の脱衣所を使ったらいいと思うよ」と笑顔で扉を指し示す店主。
「ユージーン! なんで加勢してるんですか!」
「面白いから」
 いつもなら止めてくれるはずのオルトも、今は仕事中だ。リリルの窮地だからといって、そう都合よく現れてくれるわけもはい。
「もう……休み時間が終わるまでですよ?」
 抵抗するだけ時間の無駄だ。諦めてそう告げれば、ノーマは了解、と片眼をつむってみせた。
「まっかせて! ささっと採寸して、さくっと型紙を起こして、次のお休みまでには仕上げてみせるから!」
 創作意欲に燃えるノーマは、ちょっとやそっとのことでは止まらない。それが創作者の(さが)だと知っているからこそ、リリルも彼女を止められない。
 かくして、ノーマの新作サマードレス『せせらぎに金魚』は、予定を大幅に前倒しして週末には完成し、『出番』まで店のショーウィンドウに飾られて、道行く人々の目を楽しませることとなった。

「さあ、リリルちゃん! 次のお休みは海へ行くわよ~!」
「楽しみなのです!」
 SS「mannequin」で登場した新進気鋭のデザイナー、ノーマさんのお話。
 金魚の布は着物の反物です。柄が生きているように動く、というのはホラーではありますが、あまりリアルな絵柄でないのなら、うまいこと使えるんじゃないかと思いまして。
 爽やかな水色のサマードレス、きっとリリルに似合うことでしょう。
2020.08.03


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