気分転換でもしてきたら、と友人に紹介されたのは、噂の樹上喫茶店『小夜啼鳥』だった。
夕闇を背に縄梯子をよじ登れば、小さな扉の隙間からほのかな明かりが漏れている。
恐る恐る扉を開ければ、カランと心地よい鈴の音が鳴った。
「いらっしゃい」
まだ客のいない店内に、店主の落ち着いた声が響く。
「お客さん、うちは初めてだね。どんなお茶をご所望かな?」
初老の店主は、客が『本当に必要としているお茶』を調合できるというもっぱらの噂だ。
ごくりと喉を鳴らし、用意してきた言葉を紡ぐ。
「その……スランプから抜け出せるお茶なんて……ありますか?」
ほほう、と楽しげに呟く店主。背後の棚からいくつかの茶筒を選び出し、手際よく調合していく。迷いのなさは、まるで腕利きの薬師のようだ。
「物書きさんかね」
「ええ、まあ……。駆け出しですが」
「締切が近いのに、ネタが降りてこない、と」
「なぜそれを!」
分かるさ、と目を細めながら、ティーポットにお湯を注ぐ。カバーを被せて砂時計をひっくり返したら、今度はカップにも少量の湯を入れて温める。
「常連に劇作家がいてね。よく窓際の席で唸ってるよ」
なるほど、この樹上喫茶店は夕暮れから明け方までの営業だから、締切に追われる同業者の憩いの場になっているというわけか。
「目が覚めるやつを、なんて言われるもんで、珈琲も扱うようになったのさ。おかげで最近は珈琲店になりかけてるがね」
カップの湯を捨て、代わりに牛乳を入れる。砂時計の砂が落ちきったら、濃く淹れたお茶をなみなみと注いで、あっという間に出来上がり。
「お待ちどうさん。特別ブレンド『
深い青のカップに映える乳白色のお茶。添えられた焼き菓子は羊の形。
「い、いただきます」
意を決してカップを傾ければ、穏やかな香りがふわりと広がった。これはそう、草原を駆け抜ける風、降り注ぐお日様の匂い――。ほっと肩の力が抜けて、なんだか眠く……いや、眠くなっては困る!
「マスター、これで本当にスランプが治るんですか!?」
そう問いかければ、店主はにんまりと口の端を引き上げた。
「スランプが治るお茶なんてあったら、世界中の作家が押しかけてきて、閑古鳥が鳴く暇もないさ。今、お客さんに一番必要なのは、そう――『良質の睡眠』だ。さあ、飲み終わったらさっさと帰って寝台に潜るこった。ぐっすり眠ってすっきり目覚めたら、何かが変わっているかもしれないだろう?」
書き上がったらまたおいで。そうしたらまた、とびきりの一杯をご馳走しようじゃないか。
今日のお代は、その時までつけておこう。