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丘に咲く花・3
 しん、と静まり返った店内に、少女の声だけが響く。
「私は、彼女の代わりに作られた魔導人形です。娘を失った領主を慰めるためだけに存在していたのです。領主が亡くなった今、その名前を名乗る資格などありません。ですから――私は帰りません。夫人にはそう伝えてほしいのです」
 震える声で、しかし毅然と言い放った少女に、バルバスは大仰に肩をすくめてみせた。
「そんな言葉で、夫人が納得されるとお思いですか。屋敷に出入りしていたヴォルフとやらが魔導機械の開発を行っていたことは存じておりますが、あのような得体のしれない輩に、生身の人間と見分けがつかぬほどに精巧なからくり人形など作れるはずがない。どうせなら、もっとましな嘘を吐いていただきたいものですな。――さあ、参りましょう」
 さっさとお連れしろ、と吐き捨てるように命じれば、事の次第を見守っていた護衛二人がずい、と進み出る。
「事情はよく分からんが、これも命令なんでな」
「暴れないでくれよ、お嬢さん」
 近づいてくる男達に「嫌です」と舌を出し、軽やかに裾を翻す。そして少女は事もあろうにオルトの背後へと回り込むと、その背中にぎゅっとしがみついた。
「お、おい! 何でオレのところに来るんだよ!」
「近かったからです!」
 身も蓋もない返事をしつつ、灰色の翼に顔を埋める。
「お願いです、オルト。そしてユージーン。私はここにいたいのです。生まれて初めて、自らの意思で決めたことなのです。――己を偽って生きるのは、もう嫌なのです!」
 背中越しの懇願。顏は見えずとも、いま彼女がどんな表情をしているのかは容易に想像がついた。白い頬を上気させ、菫色の瞳を輝かせて――。大人しい顔をして頑固一徹な少女は、こうなったら梃子でも動かない。
「あーもう、分かったから、翼を掴むな! 羽が抜ける!」
 慌てて手を離した少女に下がってろと合図して、ずいと一歩前に出る。
「こいつは帰らないと言ってる。それを無理に連れていこうってなら、こっちにも考えがあるぞ」
 力強く宣言してみたものの、男達との体格差は如何ともしがたく、どうにも迫力に欠ける。
 案の定、護衛二人は怯むどころか、むしろ憐れむような目でオルトを見下ろすと、わざとらしく声を張り上げた。
「庇い立てすると痛い目を見ることになるぞ、翼人」
お子様(ガキ)は引っ込んでな」
 あまりにも陳腐な脅し文句に色々と言いたいことはあるが、今はそれどころではない。
 とはいえ、この局面でオルトに出来ることは限られている。即ち――。
「おっさん、頼む。何とかしてくれ。そしたら――おやつに苺のタルトを焼いてやるから」
 男達を睨んだまま、一縷の望みをかけて放った言葉に、背後から「ほんと?」と心底嬉しそうな声が上がった。
 そう、オルトは知っている。この《ユージーン骨董店》のぐうたら店主は、自分から動くことなど決してないが、頼めば『ある程度は』耳を傾けてくれるということを。
「約束だからね、オルト君」
 そう念を押して、うきうきとした足取りで帳場から出てきた店主は、おもむろに懐へ手を突っ込むと、一枚の紙切れを取り出した。
「はい。これを見てもらえるかな」
 唐突な行動に、困惑した様子でバルバスを振り返る男達。
「バルバス様、これは……」
「ええい、何だというのだ!」
 護衛二人を押しのけ、ひったくるようにしてそれを受け取ったバルバスは、びっしりと書き綴られた文章に目を走らせて、むむ、と眉根を寄せた。
「なんだ、これは……契約書?」
「そう。ヴォルフが寄こした譲渡契約書だ。彼が作成した魔導機械・試作三十七号《リリル・マリル=クォーレ》における一切の権利を僕に譲ると記されている。つまり――その子は現在、僕の所有物なんだよね」
「はあ!?」
 図らずも見事に揃った声。オルトのみならず、なんと当事者である少女までが目を見開いて、呆然と立ち尽くす。
「おい! 聞いてないぞ、そんなの」
 その場を代表して声を上げたオルトに、店主は「あれ?」と首を傾げてみせた。
「前にヴォルフの手紙を見せたでしょ。その中の一枚がこれだよ」
 確かに手紙は数枚に渡っていたが、その中にこんな重要書類がしれっと混じっているなどと、誰が想像するだろうか。
「契約が取り交わされている以上、僕に断りなく彼女を連れていくことは許されない。ご理解いただけたかな?」
 あんぐりと口を開けたまま固まっている男の手からひょいと契約書を取り上げ、懐にしまい込む。そのあたりでようやく我に返ったバルバスは、怒りに顔を染め上げて、わなわなと拳を震わせた。
「ふざけるな! そんな茶番がまかり通るとでも思ったか!」
 激昂する男を見下ろして、店主は呆れたと言わんばかりに大きな溜息をついてみせる。
「僕はいたって真面目だし、この契約はカルディアの法に則って交わされた正当なものだ。異議申し立てがあるなら、領主代理本人が直接交渉しに来てほしいね。こっちは信用商売なんだ。身分証も提示しないような代理人と交渉する気なんかないよ。――というわけで、速やかにお引き取り願おうか」
 まるでその言葉を待っていたかのように、バタンと扉が開く。そしてなだれ込んできたのは、灰色の制服に身を包んだ一団――《銀狼警備隊》の面々だった。
「カルディア領主代理の使いを名乗る一行だな」
「町中での揉め事はご法度だと警告したはずだ!」
「詰所まで来てもらおうか」
 押しかけた警備隊に取り囲まれて、何やらぎゃあぎゃあと喚いていたバルバスだったが、隊員達は有無を言わさずに男達を店から引きずり出し、そのまま連行していった。到着から撤収までものの数分。見事な仕事ぶりだ。
「遅くなって申し訳ありません、ユージーン殿」
 最後に残った隊長が敬礼しようとするのをやんわりと押しとどめて、いやあ参ったよ、と頭を掻く店主。
「来てくれてよかった。ちょっとしつこいお客さんだったからさ」
 先ほどまでの迫力はどこへやら、いつもの調子でぼやいてみせる店主に、隊長は生真面目な表情のまま「実は……」と声を潜めた。
「今から一時間ほど前、白羊門で門兵と一悶着あったようなのです。通行証を提示するように求めても、なかなか応じなかったそうで……」
 一時間ほど前といえば、オルトが本局を発った頃合いだ。それでは、窓の外から聞こえていた騒ぎの元凶は彼らだったわけだ。
(まったく、最初から最後まで傍迷惑な連中だ……)
 呆れるオルトを尻目に、店主はやれやれと吐息を漏らす。
「なるほどね。それで、彼らは果たして本物なのかな?」
「押し問答の末に提示した通行証は、確かにカルディアの領主代理が発行したものだった、との報告を受けています」
「ふうん。まあ、なんにせよ彼らは『招かれざる客』だ。今後の来訪は丁重にお断りしないとね」
「承知いたしました。そのように申し送りをしておきます。……それでは失礼いたします」
 一礼して去って行く隊長を見送って、手ずから扉を閉めた店主は、突き刺さるような二組の視線に気づいて、さも不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「どうかした、じゃねえよ!」
 あまりにも色々なことが起こり過ぎて、どう反応していいのかが分からない。少女のことも、あのお騒がせな連中のこともそうだが、まずは――。
「……なんで警備隊が来るって分かったんだ?」
「僕が呼んだから」
 平然と答えながら髪をほどき、片眼鏡を外す。そして長椅子の上に身体を投げ出した店主は、ぱたぱたと手を振ってみせた。
「ここは曰くつきの物品も多いし、今日みたいに性質(たち)の悪いお客さんが来ることもあるからね。警備隊への連絡手段はちゃんと確保してあるんだよ」
 何でもないことのように言ってのけるが、《銀狼警備隊》は十二の街すべてに介入する権限を持つ特殊な警備隊だ。普段は街区を超えての犯罪捜査などに当たっており、間違っても一個人のために動くような組織ではない。
「……それじゃ、あの連中が来るって分かったのは?」
「耳がいいからね。あんな大声で喋りながら歩いてたら、嫌でも聞こえちゃうよ」
 確かにエルフ族は聴覚が優れていると聞くが、それで済まされる問題だろうか。第一、そんなに耳がいいのなら、配達のたびに大音声で呼ばわらないと出てこないのは何故だ。
(……ったく、食えねえおっさんだ)
 まだまだ聞きたいことはあったが、これ以上問い詰めても、きっとのらりくらりと躱されるだけだろう。それに、慣れないことをして疲弊しているのはオルトも同じだ。もうあれこれ突っ込む気力もない。
「……そういうことにしといてやるよ」
 ひょいと肩をすくめて、定位置と化した丸椅子にどっかりと座り込む。そんなオルトに代わって、今度は少女が声を張り上げる番だった。
「ユージーン! さっきの契約書はなんですか!」
 自分で届けたくせに、中身についてはまったく把握していないところが何とも彼女らしい。
「ヴォルフから聞いてない? こういう事態に備えて彼が用意しておいた、いわば保険のようなものだよ。追手がかかるだろうことは、君だって予想してたんだろう? だからわざわざ、こんなものを下げてやってきた。そうじゃない?」
 ひらひらと振ってみせた紙切れに、ぎょっと目を剥く。それはまさしく、店中探しても見つからなかった、例の『荷札』ではないか!
「おっさん! どっから出した、それ!」
「封筒の中に入ってた。手紙の束に紛れてたみたいだねえ」
 あはは、と笑ってみせる店主に、もう怒りを通り越して溜息しか出ない。
(……でもまあ、これで一つ謎が解けたな)
 荷馬車での移動は人目につきやすい。しかし荷物なら、ひとたび荷馬車に積み込まれてしまえば、あとは黙っていても目的地に着く。だからこそ彼女は『取扱注意の届け物』としてこの街へやってきたのだろう。
「ともあれ、これでしばらくは時間が稼げると思うよ。夫人は領主代理としての仕事が山積みで、当面はカルディアから動けないはずだからね」
 それに、と不器用に片目を瞑ってみせる店主。
「さっき自分でも言ってたじゃない。今の『主』は僕なんでしょ?」
 雇用主と所有者では、同じ『主人』でも意味合いがまるで違う。おいおい、と眉を顰めるオルトだったが、少女は紫色の瞳をぱちぱちと瞬かせると、何やら納得したように頷いた。
「確かに――その通りなのです」
「なら、何の問題もない。僕は君の主で、君はここの看板娘だ。僕は主らしいことなんて何もしてあげられないけど、嵐に怯える小鳥が羽を休める枝にはなれる」
 ざわり、と葉擦れの音が響く。風雪に耐えて枝葉を広げる世界樹は、すべての生命の《拠り所》だ。身を寄せ合って嵐が過ぎ去るのを待ち、やがては快晴の空へと旅立っていく。
 そんな巨木と同じ深緑の瞳を輝かせ、店主は爽やかに言い放った。
「もっとも、あの契約書には僕の署名が入ってないから、現時点では無効なんだけどね」
「!!」
 正当な契約が聞いて呆れる。いや、契約書自体は正当かもしれないが、やり口が完全に詐欺師のそれだ。
(あのバルバスとかいう野郎は、あんな紙切れ一枚に踊らされたのか……)
 遠路遥々やってきた挙句、いい加減な書類で煙に巻かれて強制退去とは、実に哀れな結末だ。
 もはや言葉も出ない二人を横目によっこいしょ、と長椅子から起き上がった店主は、懐から薄緑色の紙を取り出した。
「というわけで、君と交わすのはこっちの契約だ。三食昼寝つき、休みは月に七日。仕事内容は接客と雑用。慣れてきたら買いつけもお願いしたいなあ。それでお給金はこのくらいで……」
 つまりは従業員としての雇用契約という訳だが、意外にもきちんとした内容に、むしろ少女の理解が追いついていない。助けを求めるように見つめられて、どれどれと身を乗り出す。
「ええと……要するに、今まで通り店番をしてくれってことだろ。わざわざ難しく書くなよ」
「契約書ってそういうものでしょ」
 澄まし顔で答えた店主は、契約書の一番下、空欄となっている署名欄をひょいと指差した。
「この内容でよければ、ここに署名してくれる?」
 分かりました、と頷いた少女は、羽根ペンを受け取ろうとして唐突に動きを止めた。そして――。
「ユージーン。改めてお願いです。私に名前をつけてください」
 そういえば、事の発端は彼女の名前だった。ここに来て再び浮上した話題に、店主は困ったように頭を掻く。
「そんなに素敵な名前があるのに? リリエル・マリー・ロサ=カルディアス。カルディアの丘に咲く可憐な花々。とても美しい名前だ。これ以上の名前をつけろというのは、なかなかに難しい注文だね」
 得々と語る様子が、逆に胡散臭いと感じてしまうのは、ひとえに日頃の行いが悪いせいだろう。
「おっさん……面倒がってるだけじゃないだろうな」
 胡乱な目を向けるオルトに、店主はとんでもない、と首を振る。
「名前は大切なものだからね、適当につけたら後々困るでしょ」
 とても『お人形ちゃん』などというふざけた名前を提案した人物の発言とは思えない。
「……とはいえ、名乗る名前がないと不便なのは確かだし、どうしようね」
 ふむ、と腕を組んだ拍子に、その懐から折りたたまれた便箋が覗く。
 そういえば、店主が読み上げてみせた契約書の文面には、何か名前のようなものが入っていたような気がする。そう、確か――。
「なあ、さっきのリリル、何とかっていうのは何だ?」
「何とかではないのです! リリル・マリルです!」
 むっとしたように声を張り上げ、そして気恥ずかしそうに指をつつき合わせる少女。
「それは私――リリエル・マリーの愛称なのです。幼い頃、自分の名前が上手く発音できなくて、何度練習しても『リリル・マリル』になってしまい、そのうち皆からそう呼ばれるようになったのだそうです」
 微笑ましい光景が目に浮かぶようだ。悔しさに涙を滲ませる幼子と、それを愛おしそうに見つめる人々。何度も繰り返される舌足らずな響きは、屋敷中に笑顔の花を咲かせたことだろう。
「ヴォルフ様もその響きを気に入っておられて、私のことをそう呼んでくださいました」
 懐かしそうに語る少女に、何やら納得したように頷く店主。
「確かに。君にはぴったりだ。じゃあ決まりだね。君は今日から『リリル・マリル』だ。いいね?」
「はい。ユージーンがそう決めたのなら、私はそれに従います」
 言い回しだけは堅苦しく、しかしその表情は安堵と喜びに満ちている。しかしそのことに触れるとまた「魔導人形に感情などないのです」などと言い出しかねないので、そっと気づかないふりをする。
(まったく、名前を聞きに来ただけなのに、えらい騒ぎに巻き込まれちまったな)
 荒事にならずに済んだのは幸いだったが、どっと疲れてしまって、しばらく立ち上がれる気がしない。
 そんなオルトを尻目に、雇用契約書への署名を終えた少女は、「ところで」と可愛らしく小首を傾げた。
「オルトはいつ、苺のタルトを焼いてくれるのですか?」
「そうだよ、早く食べたいなー、僕」
 二対の瞳でじいっと見つめられて、げんなりと手を振る。
「今から焼いてる時間なんてあるか! 明日だ、明日!」
 先ほどの騒動ですっかり忘れていたが、そろそろ鐘が鳴る。午後の配達に向かわなければならない時刻だ。
「ええー。そうなのー?」
「今すぐ食べたいのです」
「お前らなあ……ついさっき昼飯を食ったばっかりだろうが!」
「甘いものは別腹です!」
 バターと蜂蜜を塗りたくったパンケーキを平らげた口で言うことではないと思うのだが、今は何しろ時間が惜しい。のろのろと立ち上がって上着を引っ掛け、鞄を肩にかけたところで、窓の外から非情なる鐘の音が響いてきた。
「それじゃあな!」
 駆け出そうとした瞬間、少女が待ったをかける。
「帽子を忘れているのです!」
 しまった、と足を止めたオルトに帽子を差し出し、そうして少女は深々と頭を下げた。
「オルト。先程は助けてくださってありがとうございました」
「な、なんだよ急に」
 少女なりに機会を窺っていたのだろうが、これは不意打ちもいいところだ。
「礼ならおっさんに言っとけ。オレはそんな、大層なことはしてねえよ」
「そんなことないのです。あの時のオルトは、とってもかっこよかったのです!」
 せめてお世辞なら良かったのに、こうも真顔で力説されては、気恥ずかしさ倍増だ。
「ほら、その、あれだ。届け物を目の前で掻っ攫われるなんて、配達員の名折れだからな」
「オルト君ったら、照れちゃって~」
「うっせえぞ、おっさん!」
 ここぞとばかりに茶化してきた店主を睨みつけ、くるりと踵を返す。
「じゃあな!」
 ぶっきらぼうに言い捨てて飛び立てば、地上から賑やかな二重奏が響いてきた。
「いってらっしゃーい」
「早く帰って来てくださいねー」
 夕刻になれば戻ってくると信じて疑いもしない、朗らかな声。
 雛の待つ巣へ帰る親鳥の心境とはこんなものかと、ちらとでも思ってしまう自分が、悔しいやら、悲しいやら――嬉しいやら。
(いいや! 断じて嬉しくない! 嬉しくないぞ!)
 ぶんぶんと頭を振って、脳裏を過った謎の感情を振り払い、翼に力を込める。追い風を受けてぐんと高度を上げれば、一番街まではあっという間だ。
「……明日までに、苺を探してこないとな」
 そんなことを呟きながら、オルトは灰色の翼を力強く羽ばたかせて、大空を翔け抜けていった。
丘に咲く花・終わり


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