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はじめてのお給料・1
 はい、と手渡された小袋には、銀貨がずっしりと詰まっていた。
「ユージーン? これは何のお金ですか?」
「お給料だよ。二ヶ月分。遅くなってごめんね」
 すっかり忘れてたんだ、と頭を掻く店主に、こちらこそ、と苦笑を返す。
「私もすっかり忘れていました。もう――そんなに経ったのですね」
 少女がこの街へやってきたのは、まだ春も早い芽吹月だった。気付けば暦は花宴月を通り越して金緑月へと移り替わり、心地よい風が吹き渡る季節となっていた。
「はじめてのお給料なのです!」
 この街に来るまでは、働いて金を稼ぐという生活そのものに縁がなかった。それどころか、屋敷から一歩も出ることなく、ひそやかに一生を終えるものだと思っていたのに。
 お給料。小遣いや駄賃ではなく、自身で働いて稼いだ金。その重みに、ようやく『この街で暮らしている』実感が沸いた。そんな気がする。
「なんだか、大人になった気分なのです」
 骨董店で働き始めて二ヶ月あまり。毎日が驚きと発見の連続で、あまりの目まぐるしさに、父を亡くした悲しみに浸る暇もないほどだった。ここへと送り出してくれた老魔導技師は、それすらも計算に入れていたのだろうか。
「これからは遅れないようにするからね。もし僕が忘れてるようだったら、容赦なく取り立ててくれていいから」
 冗談めかして笑う店主に、素朴な疑問をぶつけてみる。
「ところでユージーン、このお金はどのように使えばよいのでしょうか?」
「君が働いて稼いだお金なんだから、君が買いたいものを買うために使えばいいんだよ」
「そう仰られても、使い道がありません。三食昼寝つきですから」
 住み込みで働いているから、ここで暮らすだけならお金を使う必要がないし、先だって大量の服を頂いてしまったから、衣類にも困っていない。つまりは、衣食住のすべてが、この狭い空間で完結してしまっているわけだ。
「そうか……そうだよねえ。そもそも、このあたりの店じゃ、君が好みそうなものも売ってないし」
 お使いがてら自分のものを買おうにも、十二番街にあるのはパン屋と小間物屋、それに農場だけだ。質実剛健が売りのパン屋には洒落た菓子など置いていないし、簡易郵便局を兼ねた小間物屋で扱っているのは鍋や釜、箒や籠などの生活雑貨が主だ。
 そういえば梱包用のリボンなら売っていたかも、などと小間物屋の品揃えに思いを馳せたところで、はたと思い出す。
「そうそう、さっきオルトが洗濯板と盥を買い替えないと、と言っていました。水汲み用の桶も傷んでいるので、それらをまとめて買うというのはどうでしょうか」
 この店の道具はどれも年代物で、中には底が抜けていたり柄が取れていたりして使えないものも多い。この際だからまとめて買い替えれば家事もしやすくなる。
 我ながら名案だと思ったのだが、しかし店主は慌てふためいて制止の声を上げた。
「それは君のお給料から出すようなものじゃないから!」
「そうなのですか?」
「そうだよ。そういうのは必要経費だから、ちゃんと僕に言うこと。いいね」
 彼がこんな風にきっぱりと命じるのは珍しいから、素直にはい、と頷く。金に無頓着なのかと思えば、そういうところはしっかりしているのだから、何だか面白い。
「それでは、買い替えが必要と思われるものを一覧にしておきますね」
「うん、お願いするよ。オルト君が業を煮やして自腹を切る前にね」
 なるほど、オルトならやりかねない。すでに台所周りでは、包丁や寸胴鍋など調理器具の幾つかが確実に持ち込まれているし、気づくと食器が増えていたりする。本人は「寮じゃ使えないから持て余してたんだ」と言っていたが、もしかして新調したものなのかもしれない。
 あとで問い詰めておこう、と心に誓う少女を横目に、店主は『給料のまっとうな使い道』について、更に思案を巡らせているようだった。
「うーん……そもそも、お金ってどう使うものだっけ」
 何やら哲学的なことを言い出したが、煮詰まる前に止めるべきだろうか。
「使うあてがないなら貯めておいても……ああ、そうだ」
 店主の瞳がきらりと輝く。それはまるで、新しい悪戯を思いついた子供のようで。
「ほかの街にはもっと色々な店があるから、オルト君にお願いして案内してもらったら?」


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