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はじめてのお給料・3
「なるほど、そういうことか。ってか、二ヶ月も滞納してたのかよ、おっさん」
 あはは、と頭を掻く店主を睨みつけて、長年の疑問を口にする。
「そもそも、この店ちゃんと帳簿をつけて……ないんだな」
 すい、と逸らされた視線ですべてを悟り、どっと溜息をつくオルト。
 滞納していた二ヶ月分の給料をぽんと渡せるということは、金に困っているわけでもないのだろう。繁盛しているとは言い難いこの骨董店だが、ひっきりなしに届く配達物を見る限り、取引先も多く存在するようだ。だからこそ、帳簿はしっかりつけておかないと困ったことになるのではないか。
「おっさん一人で切り盛りしてる状態ならともかく、従業員が増えたんだから、ちゃんとしておいた方がいいぞ。そうすりゃ給料の滞納だって防げるだろうが」
 ごもっとも、と頷く店主だったが、その表情は暗い。
「いやー……。実は僕、帳簿とかつけるの、大の苦手なんだよね」
「だろうな」
 得意ならそもそも、こんな事態には陥っていないはずだ。
「あの! それなら、私が!」
 茶器を運んできた少女が、お盆を片手にそっと手を挙げた。
「難しい計算は出来ませんが、使ったお金とお店に入ってきたお金を記録して、月ごとに計算すればよいのですよね? そのくらいなら出来ると思います」
「本当に? それは助かるなあ」
 手を叩いて喜ぶ店主に、少女は何やら申し訳なさそうに笑ってみせる。
「この二ヶ月間、私がした『仕事らしい仕事』はお掃除くらいですから。もっとお役に立ちたいのです」
 つまりは客らしい客が来ていない証左でもあるのだが、彼女としても『胸を張って給料をもらえる仕事』が欲しいのだろう。
「それなら、君に任せるよ。まずは帳簿を買ってこないとね」
 というわけで、とオルトの肩にポンと手を置き、にっこりとほほ笑む店主。
「彼女と一緒にお買い物、お願いできるかな?」
 一周回って元の話題に戻ってきたわけだが、オルトはうーん、と困ったように頬を掻いた。
「他の街区となると、まずは二番街だよなあ。いきなりあの街を歩かせるのは危険すぎないか?」
「そうかな? あそこなら色々なお店があって退屈しないと思うんだけど」
 何やら神妙な顔つきで議論を始める二人に、きょとんと目を瞬かせる少女。
「十二番街のお隣は十一番街ではないのですか?」
 その言葉に、二人は思わず顔を見合わせて、なるほど、と手を打った。
「そこからか」
「そこからだったね」
「? 私はおかしなことを言いましたか?」
 小鳥のように小首を傾げる看板娘に、いいやと手を振る。
「普通の街なら、街区が数字順に並んでるのは当然だからな」
 一番街の隣は二番街。二番街の隣は三番街。規則正しく並んでいると考えるのが当然だ。しかしここは《世界樹の街》。他の街の常識は、ここでは通用しない。
「うーん、口で説明するのは難しいんだよね。オルト君、相関図持ってない?」
「今日は非番だからな、さすがに持ってないぞ」
 そうかーと残念そうに呟きながら、手近にあったいらない紙に、さらさらとペンを走らせるユージーン。
 まず中央に世界樹。その周りに幾つもの丸を描いて数字を振り、それぞれを線で繋げていく。
「この街はね、色々な世界に存在する《世界樹の街》を、不思議な力で繋げたものなんだ」
 当然、街区同士は地続きではなく、それぞれを繋ぐ門を通って、異世界の街へと移動しているわけだ。
「十二の街区は暫定的に数字を振ってあるだけで、必ずしも隣り合ってるわけじゃない。だから、この十二番街から直接行ける街区は二番街だけだし、二番街からは三番街や四番街へ行くことができる。もっとも、空は全部繋がってるから、オルト君なら一番街からこの店までひとっとびなんだけどね」
「門を使って移動すると時間がかかるからなあ」
 春に彼女をこの店まで『配達』した時は、一番街からいくつもの街区を経由して、ようやく十二番街へと辿り着いた。いくつもの馬車を乗り継いで、優に二時間以上はかかっただろうか。
 空を翔ければあっという間でも、地上を往くと時間と手間がかかる。これが《世界樹の街》最大の難点であり、オルト達『空便』配達員が活躍する所以でもあった。
「街区同士の繋がりも様々でね。時間制限があったり、特定の天候じゃないと移動できなかったり。一方通行の門もあるし、中には通れない門もある」
 住人はこれらを把握した上で街区を行き来しているわけだが、不慣れな者にとっては地下迷宮以上に厄介な場所だろう。街区の案内書が旅人にバカ売れなのも頷ける。
「つまり、この街はとっても不思議な街なのですね」
 なるほど、と感心しきりの少女だが、そのふんわりとした感想には不安が募る。『知らない道を進むのは危険』ということくらいは伝わっただろうか。
「それで、お隣の二番街というのは、どのような街なのですか?」
 そう、隣が十二番街と同じように牧歌的な地区なら、何も心配することはない。問題は、二番街が《迷路の街》と呼ばれていることにある。
「二番街は、ありとあらゆる世界の街角を無理やりくっつけたような街だ。角を曲がるごとに違う街に来たような、そんな造りになってる」
 町並みも、そこに暮らす住人も、何もかもがごちゃ混ぜで。現実と虚構の区別すらつかないような《継ぎ接ぎの街》。それが二番街だ。
「お話を聞いている限りでは、それほど危険な街には思えないのですが」
 そう、二番街は比較的安全な街だ。危険な猛獣や怪物が襲い掛かってくるわけでもないし、社会情勢が不安定なわけでもない。ただ――。
「とにかく迷いやすいんだよ。町並みがごちゃごちゃしてる上に、道が迷路みたいに入り組んでてな。曲がる角を一つ間違えただけで大変な騒ぎになる」
 空を往けるオルトなら、多少迷ったところで何の心配もない。しかし、狭い十二番街の中ですら迷子になる彼女にとって、二番街は危険以外の何物でもない。
「迷子札を作ろうか」
「ユージーン! こども扱いはやめてほしいのです!」
 真顔で言ってのける店主に思わず抗議の声を上げたが、オルトまでもが「それがいい」と同意を示したものだから、少女は頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「二人とも酷いのです!」
「いやいや、本当にそういう話なんだよ? 二番街は不安定でね、うっかり空間の狭間に入り込んでしまうと、戻れない可能性だってあるんだ」
 言いながら、乱雑に描いた街の相関図に、更なる丸をいくつか書き加えていく。
「異なる世界の街を繋げていると言ったけど、今繋がっている街のほかにだって、たくさんの世界が存在してる。普段は干渉しあうことはないんだけど、世界同士にも相性があって、ごく稀に道が開いてしまうことがあるんだ」
 二番街はその干渉が起こりやすく、未知の世界に繋がってしまうことがある。見知らぬ通りに一歩足を踏み入れたら、その先は断崖絶壁だった、などということだってあり得るわけだ。
「警備隊が目を光らせてはいるけど、ちょっとした油断で二度と帰れなくなる可能性がある、ということだけは、肝に銘じておかないといけないよ。二番街だけじゃない、この《世界樹の街》そのものが、平穏に見えて実はとても不安定な街なんだ」
 それはまるで、泡沫の夢のように――。そう嘯くユージーンの横顔はどこか寂しげで、改めて彼が異なる時間を生きる種族であることを思い知らされる。
 ここではない何処か。時の彼方、世界の果て――その先までも見通すような、静かな瞳。
 ユージーン・アルファルド。『孤独』を意味する名を冠して、彼はどれほどの時を生きてきたのだろう。どれほどの出会いと別れを繰り返してきたのだろう。
「まあ、どのみち次の休みは七日後だ。それまで待ってもらうことになるけどな」
 あえて軽い口調で話題を切り替えれば、少女が驚いたように目を瞬かせた。
「随分と先なのですね。いえ、お買い物自体はいつでもよいのですが、そんなに働きづめでは体に障りませんか?」
「郵便局の休みってそんなに取れないものだっけ」
 意外そうに見つめてくる店主に、いやいやと手を振る。
「同僚が臨時休暇を取るんで、代わりに何日か出ることになっただけだよ」
 《世界樹の街》の郵便局は年中無休だ。そのため、職員は交代で休みを取っている。オルトが所属する《空便》配達員の休日は月に八日。これを、配達状況や個人の予定に応じて、うまいこと割り振るわけだ。今回はたまたま連勤になってしまっただけで、そのあとに三日連続で休日をもらっている。
「元々、そんなに忙しいわけじゃないからな。多少増えたところでどうってことないさ」
 しかも、今回埋め合わせで入ったのは古巣の三番街だから、一から地図を頭に叩き込む必要もない。
「少し先になるけど、それでもいいか?」
「問題ありません! それまでに、この本でお勉強しておきます」
 そう言ってどこからか取り出したのは、『保存版《世界樹の街》の歩き方』と題された一冊の本だ。随分と使い込まれており、あちこちから付箋が飛び出ている。
「ユージーンから頂いたのです。まだ少ししか読めていないのですが、とっても面白いのですよ」
 宝物を押し抱くように、ぎゅっと本を抱きかかえて、やれ隠れた名店がどうの、謎の城がどうの、と語り始める少女。適度に相槌を入れつつ聞き流していると、何やら聞き慣れない地名や単語が混じるようになってきたので、慌てて制止をかけた。
「ちょっと待て。その本、いつのだ?」
「え? ええと……」
 奥付の頁をめくった少女が、ぎょっと目を見開く。
「翠樹暦216年」
「おっさん! 百年も前の案内書を渡すな!」
 あれー、と小首を傾げる店主。
「つい最近買い替えたばっかりだと思ってたんだけど、そんなに前のだった?」
(……これだから長命種は……!)
 深い溜息を吐きつつ、窓際に置いてあった肩掛け鞄から青い表紙の本を引っ張り出し、ほら、と差し出す。
「そこに書いてある情報は古すぎるから、鵜呑みにしない方がいい。とりあえず、これを貸してやるよ。一番街しか載ってないけどな」
「ありがとうございます! まあ、色々と書き込まれていますね」
 いそいそと頁をめくる少女。地図には迷いやすい道や分かりにくい番地などが書き加えられており、名所旧跡の解説文にも注釈が添えられていた。広場の出店情報やおすすめの一品まで書き込まれているあたりが、実にオルトらしい。
「オルト、これはお仕事用なのではないですか?」
 心配そうに尋ねてくる少女に、大丈夫だと胸を張る。
「備忘録代わりに持ち歩いてるだけだからな。それに、そろそろ最新版が出る予定なんだ」
 『《世界樹の街》の歩き方』を出版しているのは、一番街の片隅にある小さな出版社だ。少女の読んでいた『保存版』は十年毎に出る総集編で、普段は街区ごとの案内書を年に数回発行している。
「一番街は店の入れ替わりが激しいからな。年に一度は改訂版が出るんだよ」
 その他の街区は数年に一度しか改訂されないところもあり、十二番街に至っては、ここ二十年ほど改訂されていない。
「そうなのですね。最初に訪れた時は馬車から眺めるだけでしたから、いずれじっくりと散策してみたいのです!」
 うっとりと語る少女だったが、その『馬車から眺めるだけ』の道程がとてつもなく長かったことは、すっかり忘れているようだ。
 《はじまりの街》と呼ばれる一番街は広く、名所を回るだけでも一日や二日では終わらない。かつては一番街担当の配達員だったオルトですら、訪れたことのない場所が多々あるのだ。
「ま、そのうちな。まずは二番街で肩慣らしだ」
「ありがとうございます! 今から楽しみで仕方ないのです!」
 無邪気に喜ぶ少女を見ていると、体よく面倒事を押しつけられたことについて、文句を言う気にもならなくなる。
「さて、そろそろ飯にしようか」
 店主が買ってきたパンと朝食の残りのスープで簡単な昼食を取ったら、午後からはまた店の片付けだ。
「スープを温めてくるのです!」
 パタパタと台所に走る少女。この二ヶ月で、火を使うことにもすっかり慣れた。店に来た当初を思えば、驚くべき成長ぶりだ。
「いやーほんと、しっかりしてきたよね、彼女」
 まるで孫の成長を喜ぶ祖父のように、しみじみと呟く店主。
「彼女が一人で街区を移動できるようになれば、お使いをお願いできるから、僕も助かるなあ。そうすれば配達物も減るから、オルト君に毎日何往復もしてもらわないで済むよ」
 それはそれで寂し――くはない。ないはずなのだが、なぜか少しだけ心が揺れる。
「まあ、まずは二番街で迷わないようになってからの話だけどな」
「道のりは長そうだねえ」
 とりあえずは明日、二番街の案内書を買ってくるところから始めよう。


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