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微睡みの夕べ
「初給料の使い道?」
 唐突な質問に、オルトは味見用の小皿を片手に、うーんと首を傾げた。
「随分と前の話だから、よく覚えてないな。多分、寮生活に必要なものを買い揃えて終わったんじゃないか?」
 配達員のほとんどは一番街郵便局裏の独身寮『蜂の巣』で暮らしている。寝台や机など必要最低限の家具は備え付けられているが、食器などの小物類は自分で用意するしかない。入寮してまず、共同厨房の設備に絶望した覚えがあるから、恐らくは鍋やら包丁やらを買ったのではないだろうか。
「なるほど、身の周りの品、ですね。オルトらしいです」
 真剣な表情で頷く看板娘は、先日初めての給料をもらったばかりで、その使い道に悩んでいるらしい。
 彼女の場合、衣食住は保証されているから、足りないものと言えば嗜好品くらいか。
「そういや、二番街に新しい菓子屋が出来たらしいぞ。結構評判がいいみたいだが」
「お菓子屋さん!」
 ぱあ、と顔を輝かせた看板娘だが、すぐにぐっと拳を握りしめ、ぶんぶんと首を横に振る。
「いいえ、確かにお菓子屋さんは魅力的ですが、初めてのお給料というのは特別なものなのです。ですから、何か記念になるものに使いたいのです!」
 甘い物に目のない彼女が誘惑を振り切って力説しているあたり、意志は固そうだ。
「まあ、急いで使う必要もないだろ」
 金は腐らないのだから、使い道がなければ貯めておくという手もある。
「よし、後は少し煮込めば終わりだ」
 鍋に蓋をしたところで、夕刻を告げる鐘が聞こえてきた。
 夕方といえど、窓の外はまだまだ明るい。おかげで、裏庭に寝転がってすやすやと寝息を立てている店主の姿も、ばっちり拝むことが出来る。
「……そろそろおっさんを叩き起こしてきてくれ」
「了解なのです!」
 軽やかに駆けていく看板娘の背中を見送って、やれやれと丸椅子に腰掛ける。
「あいつがきてから、ますますぐうたらになったんじゃないか……?」
 看板娘が店番をしてくれるのを良いことに、隙あらば裏庭で惰眠を貪っている店主。やる気がないにもほどがある。
「ユージーン! 夕食の時間ですよ。起きてください」
「うーん、もう少し……」
 窓越しの声を聞きつつ、食器棚から色鮮やかな大皿を取り出す。今日は白身魚とトマトの煮込み料理だ。初めて出すが、二人の口に合うだろうか。


「昼寝をするなとは言わないが、地面に寝転がるのはやめてくれ!」
 店主の背中を容赦なく叩けば、千切れた草や土埃が舞う。あちこちについた草の汁は、早く洗わないと染みになってしまうだろう。
「そう言われてもねえ……。外に長椅子を置くわけにもいかないし」
「せめて敷物を敷けー!」
「えー、面倒くさい」
 二人のやりとりを横目に、せっせと食器を運んでいた少女が、はたと手を打つ。
「そういえば! 屋根裏から降ろした荷物の中に、いいものがあったのです!」
 確かこの辺に、と呟きながら、店の隅に積まれた荷物の山をがさごそと漁り出す少女。
「あった! これです! これを使ってみたらいかがでしょう」
 長椅子の上に広げてみせたのは、なんと帆布製のハンモックだった。なぜこんなものが骨董店に持ち込まれたのかは謎だが、布は傷んでいないし、まだ使えそうだ。
「なるほど、ハンモックか」
 これなら寝心地も良いだろうし、服を汚す心配もない。何より、誰が見ても「昼寝している」ように見えるところが良い。
 なにせ、大の大人が裏庭で正体なく転がっているさまは、見慣れたオルトでさえも時々「まさか……!」と疑ってしまうほどに、心臓に悪いのだ。
「いいね。じゃあ明日にでも、裏庭に取り付けてみようか」
 それはすなわち、明日も惰眠を貪る気満々だ、ということだ。
「ほどほどにな」
「いくら寝心地が良くても、ちゃんとご飯の時間には戻ってきてくださいね」
 左右から釘を刺されて、あははと笑う店主。
「さあ、夕飯にしようか。わあ、今日は初めて見る料理だね。オルト君の故郷の味かな?」
 露骨に話題を変えられたが、まあいいだろう。
「見てくださいユージーン、このゆで卵サラダは私が作ったのですよ!」
「へえ、お花みたいで綺麗だね」
「ほらほら、さっさと皿を運んでくれ!」
 食欲をそそる香り、湯気の立つ深皿。食器の重なる音に、弾ける笑い声。
「うーん。平和だねえ」
「呑気なこと言ってないで、ほら座った座った!」
「待ちきれないのですー!」
 目が覚めてもなお、幸せな夢は続いている。


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