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「どうもー。《垂れ耳》のおじさん、いるー?」
 賑やかな声と共に開いた扉。そこからひょい、と顔を覗かせた同僚の姿に、空いた食器を下げようとしていたオルトは露骨に顔を顰めた。
「ジャック。お前、今日は非番だったはずだろ。なんでこんなところにいるんだ」
 配達の合間を縫って骨董店で昼食を取っていたオルトとは違い、彼――《燕》のジャックは今日一日休みを入れていたはずだ。
 いつもなら昼過ぎまで寝ているか、女の子をナンパしに出かけているはずの彼が、この時間に顔を出すということは、恐らく『看板娘』目当てだろう。
「懲りないな、お前も」
「何が? 今日はちょっと、実家に顔を出してたんだよ。妹がもうじき結婚するんでバタバタしてるんだ。あー! リリルちゃん、こんにちは! 今日も可愛いねえ! そのドレスは新作かな? まるで花の国のお姫様みたいだ」
 オルトの背後に看板娘の姿を見つけ、嬉々として手を振るジャック。やはり目的はこっちじゃないか、と渋面を作るオルトをよそに、少女は照れたように笑いながら優雅に一礼してみせた。
「こんにちは、ジャックさん。そんなに褒められたら照れてしまうのです」
「いやだなあ、ボクは感じたままを言っただけなのに。でも、照れる君もとっても可愛いから、もっと困らせちゃおうかな」
 ますます調子に乗る同僚の頭を容赦なく小突き、「さっさと要件を言え」と凄んでみせれば、ジャックは「おお怖い」と翼を震わせた。
「ボクはただ、リリルちゃんと親交を深めたくって」
「深めんでいい。さっさと帰れ」
 しっしっ、と手を振るオルトに縋りつき、「待ってよー!」と情けない声を出すジャック。
「今日はちゃんと客として来たんだってば。で、おじさんはいる? 見てもらいたいものがあってさ」
 その言葉を待っていたかのように奥の扉が開き、ぬうっと現れたのは、骨董店のぐうたら店主ことユージーン。近隣住民からは《垂れ耳》のおじさんと呼ばれている彼は、エルフ族の中でも極めて長命な《古の森人(エルダーエルフ)》だ。
「やあ、いらっしゃい」
「こんにちは、おじさん。今日も相変わらずだね」
 十二番街出身のジャックは、店主とも顔見知りだ。そのせいなのか、店主の履いている靴が左右違っていようが髪にひどい寝癖がついていようが気にする様子もなく、そのまま爽やかに本題へと入る。
「この間、六番街でガラクタ市が開かれててさ。そこでちょっと面白いものを見つけたんだよ」
 そう言って鞄からいそいそと取り出したのは、一枚の皿。小ぶりだが少し深さがあり、花や草を意匠化した精緻な模様で縁どられている。しかし何よりも目を惹いたのは、その中央部分に記された流麗な文字だ。
「どこの言葉だ、これ」
「見たことのない文字なのです」
「そうなんだよ、全然読めなくてさ。でもお皿に文字が書いてるのって、ちょっと不思議でしょ。おじさんなら読めるかも、と思ってさ」
 どう? と問われた店主は、のんびりと頭を掻きながら、その皿を手に取った。
「ああ、これは東方の文字だね。しかも随分と古めかしい言い回しだ。ええと、今の言葉に訳すなら……」
 こほん、と咳払いを一つ。そして店主は珍しくも真面目な面持ちで、古の言葉を朗読し始めた。

 眩い光と深遠なる闇がぶつかり合い、混ざり合う。
 それはまさに、古き神々と――ひいては世界との――決別の瞬間だった。
 こうして一つの世界を滅ぼした『狭間に佇むもの』は、新たなる世界を無から創造し――しかしてそれを統治することはせず、最果ての島で眠りについた。
 故に、世界は今も光と闇の狭間、黄昏時を彷徨っている――


「……神話、なのでしょうか。唐突に始まって、唐突に終わってしまいましたね」
 小鳥のように首を傾げる少女。いかにも、ユージーンの語った内容は随分と中途半端――いや、まるで『手に取った本が上下巻刊行だったのに気付かず、間違えて下巻から読んでしまった』ような唐突さだ。
「なんか、どっかで聞いたことがあるような……黄昏のなんとかって伝承じゃなかったっけ?」
 腕組みをして考え込むジャックに、店主はおや、と意外そうに目を瞬かせた。
「博識だね。確かにこれは東方に伝わる創世神話、その後半部分だ」
「なんで後半だけ……」
 どんな嫌がらせだ、とぼやくオルトに、違う違うと手を振る店主。
「ガラクタ市で見つけたって言ってたよね。売主は、これが一点物だと思ってたんだろう。でも、よくご覧よ。この大きさ、この形。日常使いする皿にしては、ちょっと使い道が限られると思わない?」
 言われてみれば確かにそうだ。大きさの割に深さがあるからケーキなどを乗せるのは難しい。かといってそこまで深いわけではないから汁物にも不向きだ。となると――。
「分かりました! これはソーサーなのです!」
 瞳を輝かせる少女に「正解」と微笑んで、そっと皿を机上に戻す。そして店主はそこに、飲みかけのカップを置いてみせた。なるほど、絵柄は違えどしっくり来る組み合わせだ。
「つまり、これは本来、カップとソーサーのセットだったのに、バラバラに売られてたってこと?」
「じゃあもしかして……カップの方に前半部分が書いてあるのか?」
「そういうことだろうね。随分昔に、こういうのを四番街の製陶所が売り出してるのを見たことがあるよ」
 ちょっと変わった陶磁器を作ることで有名なその製陶所では、かつて『茶器と文学の融合』なる試みが行われていたそうだ。
「なんでも、読書家の集まりから依頼されて、新しい遊びのための茶器を作ったんだって」
 東方の札遊びを参考にして開発されたそれは、前半の物語が記されたカップと後半の物語が記されたソーサーをバラバラに並べ、その中から正しい組み合わせを当てるという、なんとも酔狂な遊びだった。
「何が面白いんだ、それ」
「正しい組み合わせを知ってないとそもそも正解できないからね。知を競い合う類のものだったんじゃないかな。記された物語も、こういう神話や民話、はたまた人気の娯楽小説なんかもあったみたいだよ。類似品もずいぶんと出回ってたから、これがその製陶所の物かどうかは、ちゃんと鑑定しないと分からないけど……って、なんでオルト君、変な顏してるの」
「いや、おっさんが骨董屋らしいことを言ってるから、明日は雨かなって」
「ホントホント。雨どころか雪かもしれないね」
 茶化すジャックに、口を尖らせて抗議する店主。
「酷いなあ。骨董屋としての僕に依頼しに来たんだろう?」
「まあね。でもここまでちゃんとした『鑑定結果』が聞けるとは思わなかったからさ。そもそも、おじさんがちゃんと仕事してるところなんて、生まれて初めて見た気がするよ」
 いつだって開店休業中の《ユージーン骨董店》は、そもそも店主が居留守を使っていることが多い。こうして店が開いていること自体が奇跡のようなものだ。
「それでは、この前半が記されたカップが、どこかに存在しているというわけですね?」
 少女の言葉に、店主は困ったように頬を掻くと、置いたままだったカップを取り上げて、冷めてしまった紅茶をぐいっと飲み干す。
 彼の言いたいことは何となく分かった。元々揃いで使うものが、こうして片方だけ売られていたという事実。先程店主が言ったように、単に何も知らない売主が単独で売ってしまったのかもしれないが、カップが先に壊れてしまい、残った皿が投げ売りされていた可能性もある。
「こういうのは巡り合わせだからね。ガラクタ市は毎月やってるから、気になるなら今度、オルト君に連れて行ってもらうといいよ」
 さり気なく話題を逸らしてくれたのはいいが、なぜこちらにお鉢が回って来たのか。
「何でオレが!」
「そうだよ、案内ならボクに任せて! ついでに美味しいケーキのお店とか、可愛い雑貨屋さんとか、張り切って案内しちゃうよ」
 ちゃっかりデートの誘いをぶち込んでくるジャックを睨みつけて、こほんと咳払いを一つ。
「……分かったよ。今度のガラクタ市には連れてってやるから。探してみようぜ、その片割れ」
「はい! 楽しみなのです!」
 満面の笑みで頷く少女だったが、急に表情を曇らせ、皿に記された文字を指でなぞる。
「でも、私にはこの文字が読めないのです。それに、前半部分がどんなお話なのかも分からなくては、探しようがありませんね」
 言われてみればその通りだ。困ったように頬を掻くオルトを横目に、ジャックが能天気な声を出した。
「大丈夫だよ。似たような感じの文字が書いてあるカップを探せばいいんだから。珍しいから、きっと分かるさ」
 きわめて楽天的な台詞に目を瞬かせ、嬉しそうに微笑む少女。
「ジャックさんの言う通りなのです。お皿がこれだけ個性的なのですから、カップだってきっと目を惹くに違いありません」
「そうだね。それに、もし見つけたカップに記されていたのが違う物語だったとしても、それはそれで面白いんじゃない?」
 件の読書家達もそうやって、時にわざと違う物語を組み合わせ、まったく新しい物語を生み出す遊びをしていたらしい。天地創造の神話から血みどろの愛憎劇へ、海底の御伽噺から天空の叙事詩へ。それはまるで――神々の遊びにも似て。
「作者が聞いたら噴飯ものだろうけどね」
「逆に面白がりそうだけど」
 あはは、と笑う声に重なって、午後の鐘が鳴り響く。慌てて身支度を始めるオルトと、それを手伝う少女を横目に、ジャックは改めて皿を手にすると、店主にだけ聞こえる声で、ぽつりと呟いた。
「悲しい神話だけど、後半だけならちょっと希望が持てるよね」
 おや、と目を細め、小さく微笑む店主。異なる世界、異なる時代に紡がれた神話の存在を知っているだけでも大したものだが、悲愴な前半部分まできちんと覚えているとは驚きだ。
「神話も伝承も、煌めく宝石のようなものさ。見る角度によって違う光り方をする。私怨で世界を滅ぼした極悪人も、完膚なきまでに破壊された古い世界も、別の視点から見ればまったく違った物語になる。だからこそ――この『遊び』に選ばれたのかもしれないね」
 現実に『もしも』はないけれど、せめて物語には、別の結末を繋げる遊び心を――。そんな思いが、この奇妙な食器を生み出したのかもしれない。
「いっそ、全然違う前半をくっつけてやったら面白いかな。例えば……そうだな、自分が住んでいた世界が、実は誰かの夢に過ぎないことに気づいてしまった、とか」
「だから夢ごと世界を壊して、現実に帰ろうとするのかい? それはそれで破壊的だけど、面白そうな話だね」
 楽しそうに笑ってみせる店主に「でしょう?」と得意げな顔をして、そしてジャックは手にしていた皿をひょいと店主に差し出した。
「これ、この店で預かってくれる?」
「構わないけど、いいのかい? 君が見つけてきたものなのに」
「ボクんちにあっても使わないからね。カップが見つかるまで置いておいてよ」
 恭しく皿を受け取った店主は、いそいそと帳場の奥へ向かうと、非売品を展示する棚の一角に、そっと皿を立てかけた。こうして飾られると、まるで高尚な芸術品のようにも見えるから不思議だ。
 満足げに頷く店主の横を、制服に着替えたオルトが駆け抜けていく。
「行ってくる!」
「はい、行ってらっしゃ~い」
「頑張ってね~」
 呑気に手を振るジャックの首根っこをがしっと掴み、そのまま引きずるようにして歩き出すオルト。
「お前も来い!」
「いやだよ、ボクはこれからリリルちゃんと楽しい語らいを~」
「うっせえ、暇なら手伝え!」
「そんなぁ~」
 情けない声を上げながら引きずられていくジャックを笑顔で見送って、扉を閉める。
 そして《ユージーン骨董店》のぐうたら店主はふわあ、と大きな欠伸をすると、「後はよろしく~」と看板娘に手を振って、店の奥へと消えていった。

皿の話・おわり


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