[TOP] [HOME]

仮面屋
 急な雨に閉口して、慌てて近くの店先へと飛び込んだ。
 普段から閑散としている商店街は、ゲリラ豪雨のせいで人っ子一人見当たらない状態になっている。
 まるで、雨に閉じ込められた廃墟のようだ。世界が色を失って、すべてが雨音に掻き消されていく。
「はあ……びちょびちょ」
 この時期は急な雨が多いんだから、折りたたみ傘を持ち歩きなさい、という母の小言が脳内に響き渡る。そうは言っても、ただでさえ参考書やノートでパンパンの鞄には、若干の余裕など存在しないのだ。
「オヤいらっしゃい」
 背後からの声に、ひゃっと飛び上がる。
「おおっと、驚かしちゃったね。ごめんヨ」
 半開きのドアからにゅっと上半身だけを外に出した状態でそう謝ってきたのは、ピエロの仮面をつけた男の人だった。首から上は派手なのに、その下はジャージにエプロン姿で、何ともちぐはぐだ。
「いやあ、それにしても凄い雨だ。良かったら雨宿りしていくカイ?」
「いえ、すぐ止みますから」
 どうせ通り雨だ、十分も待てば先ほどまでのギラギラ太陽が顔を出すだろう。
 しかし、ピエロのお兄さんはちっちっちと指を振る。
「今日はこのあと、ずっと降ったり止んだりみたいだヨ」
 異常気象ってヤツだねえ、と大げさに肩をすくめてみせたお兄さんは「ところで」と扉の横、ショーウィンドウの片隅を指さした。
「うちの商店街、貸し傘サービスをやってるんダ」
 ショーウィンドウに貼られていたのは『貸し傘あります』のステッカー。なるほど、商店街のお店でならどこでも借りられて、使い終わったらどこの店に返してもいい、そういうサービスのようだ。
「というわけで傘を貸してあげたいんだけど、店の奥にしまいこんじゃってるからサ。取ってくる間だけでいいから、ちょっとだけ店番してくれると嬉しいナ」
 こちらが気後れしないように、わざと理由を作ってくれているのだ。これ以上固辞するのも失礼だろう。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
 念のため、鞄にぶら下げた防犯ブザーをいつでも引っ張れる位置に調整しつつ、扉をくぐった途端――思わず「うわっ」と声が漏れた。
 壁や棚、机の上にいたるまで、すべてが仮面で埋め尽くされた店内。あまりの異空間ぶりに目眩がしそうだ。
「ハハ、驚いた? うちは古今東西、ありとあらゆる仮面を集めた、仮面専門店なのサ」
 ちょっと待っててネ、と言い残して、奥へ消えていくお兄さん。
 開店準備の真っ最中だったのだろう、カウンターには掃除道具が置きっぱなしで、レジ奥に置かれたラジオからは、店のイメージとは真逆の賑やかなアイドルソングが流れている。
 やることもないので、店内をぐるりと見まわしてみると、確かに『古今東西』『ありとあらゆる』仮面がコーナー別に置かれていて、なかなかにカオスな雰囲気を醸し出していた。
 恐らくメインで取り扱っているのはヴェネツィアンマスク。お祭りで使われるド派手な仮面だ。TVで見たことがあるけれど、仮面だけでなく衣装も凝っていて、仮装コンテストなんかも行われているらしい。
「……これも仮面……かあ」
 お隣のコーナーはプロレス用のマスク。確かに顔を覆い隠すし、派手さはヴェネツィアンマスクに引けを取らない。
「こっちは……うん、お面……」
 その隣は急に雰囲気が変わって、ひょっとこや般若、狐面などの和風なコーナーになっていた。単独で見かけたら悲鳴を上げそうなくらいに迫力があるけれど、この店の中だと、不思議と慎ましく感じてしまう。
 続いてショーウィンドウに目を移すと、そこには何故かシュノーケルとフィンが展示されていた。夏だから、なのだろうか。確かにシュノーケルには専用のゴーグルがついているけど、これは明らかに専門外なのでは?
「お待たせ―!」
 唐突に明るい声が響いて、大きなバケツを抱えたお兄さんが戻ってきた。『ガラクタ横丁・貸し傘』と書かれた傘立て替わりのバケツには、色も柄もバラバラの傘が投げ込まれている。
「イヤー、今年は空梅雨だったからさ、しばらく出番がなくて、つい倉庫の奥に押し込んだままだったんだよネ」
 好きなのを選んで、と突き出されたバケツから、ひとまず無難そうな透明のビニール傘を引っこ抜く。こちらは取っ手部分にシールが貼られていて、一目で貸し傘と分かるようになっていた。
「ありがとうございます。お借りします」
「ハイヨー。返すのは、商店街の店ならどこでもいいからネ」
 そのまま店内を突っ切り、ちょうど先ほど私が雨宿りしていた位置にバケツを設置して、これでよし、と満足げなお兄さん。仮面で顔は見えないのに、動作がいちいち大げさなせいか、まるで全身から感情がにじみ出ているようで、とても分かりやすい。
「あ、あの。開店前なのにお手間を取らせてしまって、すみませんでした」
「いいってことヨ。うちは元々、営業時間が決まってないし。窓を開けようとしたら、困ってるお嬢さんが見えたからサ。お節介しただけ」
 こちらこそ店番ありがとネ、と差し出されたのは個包装の塩飴だった。非日常を売りにしているような店なのに、ちょいちょい飛び出てくる日常感が、なんだか面白い。
「貸し傘サービス、今まで知りませんでした。すごく助かります」
 塾通いで毎日のように通る商店街だったけど、いつも急いで通り過ぎるだけだったから、どんな店があるかさえ把握していなかった。
「駅前に大型スーパーが出来てから、客足が遠のいちゃってネー。商店街も必死なんだヨ」
 少しでも常連客を増やそうと、あの手この手で独自のサービスを打ち出しているらしい。
「この貸し傘サービスはね、近所の小学校でやってるのを知って、取り入れたらしいヨ」
 だから時々、小学校のシールが貼ってある傘が混じってるんだよね、と笑うお兄さん。ピエロの顔は泣いているのに、伝わってくるのは楽しげな雰囲気ばかりで、なんだかちぐはぐだ。
「おっと、引き留めちゃってごめんネ」
「いえ、こちらこそ――」
 視界が真っ白に染まる。少し遅れて轟いてきた雷鳴に、近くで雷が落ちたことを悟った。
 見れば、窓の外はスコールもかくやという土砂降りの雨。モノクロームの世界を切り裂く雷光は恐ろしいくらいに美しいが、この状況で外に出るのは自殺行為だろう。
「うわあ……」
「これはしばらく無理っぽいネ」
 やれやれと大仰に首を振って、お兄さんは放置しっぱなしの掃除道具を雑にどけると、カウンター裏から木製のスツールを引っ張り出してきた。
「立ちっぱなしじゃ疲れるでしょ。好きなだけ雨宿りしてっていいからネ」
「はあ……ありがとうございます」
 どうせもう夏期講習の開始時間には間に合わないだろうし、この豪雨を突っ切って辿り着いたところで、ずぶ濡れの体で冷房の効いた教室に長居したら確実に風邪を引く。それならもう、今日はすべて雨のせいにしてしまおう。
 お兄さんの言葉に甘えてスツールに腰掛け、重い鞄を床に置く。ついでに、汗拭き用に持ち歩いていた大判のタオルハンカチで濡れた髪や手足を拭くと、少しだけ気持ちが落ち着いた。
 高三の夏休み。本来なら余所見をする暇もないこの時期に、こうして一息つけたのは久しぶりかもしれない。今年は毎年楽しみにしていた祖父母宅への帰省も叶わず、夏休みのスケジュールはすべて勉強の二文字に埋め尽くされた。みんな同じ、今だけの我慢――なんて言葉は、もはや慰めにもならない。ならないけれど、それに縋るしかない。
「お嬢さん、いい仮面つけてるネー」
 唐突な言葉に、思わず椅子から腰が浮きかけた。
「はい?」
 見れば、カウンターに頬杖をついたお兄さんが、こちらをじいっと見つめている。ピエロの仮面の奥、見えるはずのない瞳がキラリと光ったような、そんな錯覚さえ覚えるほどに。
「からかわないでください」
「おっと、仮面が落ちちゃうよ。ほら、この通り」
 にゅっと伸ばされた手が、頬に触れ――ることはなかった。気づけば、その手には白い仮面が握られていて、お兄さんはそれをカウンターに載せ、そっと指でなぞってみせる。
「ほら、典型的な『優等生の仮面』だ。言いたいことを我慢して、可能性から目を逸らして、自分の声から耳を塞いでる」
 その仮面は――唇をぐっと噛み、瞼をぎゅっと閉じ、耳を手で覆っている少女は――確かに私の顔をしていた。

 本当は親の進める『いい大学』なんて行きたくない。安定した未来なんか望んでいない。――でも、不安定な将来は怖い。だから、周囲の進めるまま、無難な道を辿り続ける。
 それでいいのか、本当にこれが正しいのか、いつだって不安で仕方がなくて。
 それでも、一歩踏み出す勇気も、親や先生を説得する気概も、私にはなくて。
 だから、この仮面は私。優等生でいることしか出来ない、私そのものだ。

 雨が唸る。雷が鳴り響く。雷光に照らされる仮面達はまるで、私を嘲笑っているようだ。

「うちはね、販売だけじゃなくて買い取りもしてるのサ。だからこの仮面、要らないなら買い取ってあげるけど、どうする?」
 泣き顔のピエロは、ゴシックホラーな情景の中でも、どこか滑稽だ。だからだろうか、他の仮面と違って、あまり怖く感じない。
「買い取ってもらったら、どうなりますか」
「どうもならないヨ。君はまた新しい仮面を被るでショ?」
 人はみんな、仮面を被って生きているんだから、とピエロは笑う。泣き顔で、笑っている。
「でも、無自覚に被った仮面よりは、自覚して被ってる仮面の方が、コントロールしやすいと思うんだよネ」
 自身の仮面を指さし、胸を張る道化師。
「この店にいる間は、ボクはピエロでありたいのサ。陽気で、ふざけてて、ちょっとドジで、みんなを笑わせる道化師。だからこの仮面を選んだ」
 ずらりと並んだ仮面を指し示し、「さあ、君は何を選ぶ?」とばかりに首を傾げてみせる道化師。
 笑い顔、泣き顔、怒り顔、澄まし顔。ありとあらゆる感情を体現した仮面達が、じっと私を見つめてくる。私を、俺を、僕を選べと、無言の圧をかけてくる。
「今までの仮面をかなぐり捨てて、別の仮面を被って生きる。それだけで違う自分になれるんだ、こんなに簡単なことはない」
 なんと魅力的な提案だろう。
 ――それでも。
「返してください。私にはまだ、それが必要なんです」
 この仮面は私。揺らいでしまう私を守るための、心の鎧だ。
「ウンウン。君の人生だからネ。選ぶのはいつだって君自身だ」
 何故か満足げに頷いて、お兄さんはまるで冠でも捧げ持つような手つきで、仮面をそおっと差し出してきた。
「これが必要なくなったら、またおいで。その時は高値で買い取ってあげるヨ」


 遠雷が聞こえた、と思ったら、急に視界が明るくなった。
「……あれ?」
 雨に降り込められていたはずの店内には、ギラついた陽光が差し込んでいる。
「オヤ、起きたかい?」
 アップテンポの洋楽に合わせてハタキを振っていたお兄さんが、ひょいと振り返った。
「私、寝てました?」
「うん。メトロノームみたいに揺れてて、ちょっと面白かったヨ」
 いつの間に眠ってしまったんだろう。さっきまでお兄さんと何か――話をしていた気がするのだけれど、あれも夢だったのだろうか。
「あっという間に晴れたねエ」
 開け放ったドアからぐいと身を乗り出して、「いやー、雲一つない青空!」と笑うお兄さん。外はすっかり晴れ渡って、道も乾き始めている。さっきまであんなに酷い雨だったのが、まるで夢のようだ。
「貸し傘はもう必要ないかナ」
 外に出していた貸し傘のバケツを引っ込めるお兄さんに、慌ててビニール傘を返却する。
「あ、はい。ありがとうございました」
「どういたしまして! また必要になったらいつでも借りに来てネ」
 バケツをカウンター奥に引っ込め、掃除用具もしまい込んで、ラジオを止めるお兄さん。代わりに流れ出したのは、少し寂しげな曲調のオルゴール曲。あとは窓とカーテンを閉め、お兄さんがジャージから着替えれば、本来の『仮面屋』が完成するのだろう。
「開店前に、本当にすいませんでした。今度は客として来ますので!」
「ウンウン、いつでも大歓迎だヨ!」
 じゃあねと手を振るお兄さんに背を向けて、重い扉をくぐる。
 晴れ渡った街はいつもより眩しくて、思わず眼を細めた。
終わり


 所属しているサークル「空想工房」の会誌「カケラMONO2」に出したお話。テーマは「仮面」でした。

 文字数を気にせず、思うがままに書き殴ったら五千字を超えまして、規定文字数(最大三千字)に納めるべく、半分近くを削る羽目になった、思い出深い作品です。
 サイト掲載にあたって、会誌掲載版ではなく、初稿の方に手を加えました。「カケラMONO2」をお持ちの方は、読み比べていただけると面白いかも知れません。

 書き始めた当初、主人公は「優等生の仮面」を売り払い、別の仮面を被って店を去る予定でした。ところが書き進めるうちに、彼女が「今はこの仮面で生きるんだ」という意志を持ち始めたので、ラストの展開を変えました。もっと後味の悪い終わり方を予定していたので、これはこれで良かったのではないかと思います。
 珍しく登場人物が一切自己紹介をしない・自分のバックヤードを語らない作品になりましたが、文字数制限のある読み切り短編だとそこまで入らない、というのが正直なところです。
 主人公にクセがない分、もう一人の登場人物・仮面屋店主が思いっきり胡散臭くなりました。彼のような「クセの強い喋り方をする、ちょっと(?)胡散臭いお兄さん店員」が好きで、ついつい色々な作品に登場させてしまいます。(《gilders》のジョーカーなど)
 こちらの「仮面屋」はゆめみの町にある商店街・ガラクタ横丁のお店ですので、そのうち同一世界・同一時間軸を舞台にした「松和荘へようこそ!」や「Boarder Life」などにも登場するかも知れません。

(初出:空想工房・会誌「カケラMONO2」/2021.01.22)
2022.03.21


[TOP] [HOME]



© 2021-2022 seeds/小田島静流